近年、陸上界をにぎわせた「厚底シューズ」。

 道具もまた、パフォーマンスに影響を及ぼす存在であることがあらためて浮き彫りになったが、陸上に限らず、過去にも他の競技で用いる道具がクローズアップされたことがあった。

 その1つが、競泳の水着だ。

 2009年5月10日、快記録が生まれた。

 オーストラリア・キャンベラで行われた「第1回日本・オーストラリア対抗」の背泳ぎ200mで、入江陵介が世界記録を1秒08上回る1分52秒86を出したのだ。

この記録は、「幻」となった。

 ところがこの記録は、「幻」となった。入江が着用していた水着が、国際水泳連盟によって実施されたのちの審査で認可されなかったため、記録も公認されないことになってしまったためだ。

 入江に限った話ではなかった。海外の選手の中に何人も世界記録を出したスイマーがいたが、彼らも公認されずに終わった。

 前年から、競泳では水着がクローズアップされていた。いわゆる「高速水着」が世に送り出され、その水着をまとった選手たちが、驚くほどタイムを向上させ、大きな注目を集めたのだ。

 他のメーカーも黙ってはいなかった。各社から、新たな製品が次々に生まれていった。

 そうした動きに対し、国際水泳連盟は新たなルールを設けて規制を図ったが、個々の製品に対する確認作業をシーズンが始まる前に行うことができなかった。

 そのため、さまざまな大会のあとにチェックをする状況が生まれ、混乱が生じていった。

 入江の着用していた水着のメーカー側は、ルールに抵触しないと考えていたが、結果として認められず、記録もまた、非公認となった。

力のない選手に記録は作れない。

 一方で日本水泳連盟は基準に合致していると判断し、日本記録として公認。そのため、世界記録より日本記録が速いというねじれた状況が生まれたのも、当時の混乱を物語っていた。

 ただ、当事者からすれば、たまったものではない。

「悔しいけれど、もう一度世界記録を作るチャンスをいただいたと思っています」

「水着の影響じゃない、と必死に努力している選手の姿を見てほしいです」

 入江は率直な胸中を明かした。

 どんな水着であろうと、泳ぐのは人だ。力のない選手に記録は作れない。

幻の世界記録を上回るタイムを叩き出す。

 日々、プールでの練習を中心に、地道に取り組んできたからトップスイマーとしての地位がある。

 極度に道具がクローズアップされることは、そんな過程が端折られているかのようでもあった。

 入江の言葉にも、悔しさがにじんでいた。

 ただ、悔しがっているばかりではなかった。

 幻の世界記録から約2カ月、入江は国際水泳連盟の基準に合致した水着で世界選手権に出場すると、幻の世界記録を上回る1分52秒51のタイムを叩き出す。

 惜しくも優勝こそならなかったが、銀メダルを獲得。オリンピック、世界選手権を通じて初のメダルを手にした。

「少し悔しい気持ちと、ほっとした気持ちで感情が爆発しました」

 笑顔を見せていた入江は、表彰式のあと、涙を流した。のしかかっていた重圧とそこからの解放があった。

「外に出たくない」と思うほど失意に沈んだ。

 入江はその前年の北京五輪に出場していた。200mは世界ランク3位ということもあり、メダル候補と期待を集めていた。

 周囲の視線、そして「僕のレースまでに、(北島)康介さんや松田丈志さんがメダルを獲られて、自分も獲らなければ、という気持ちが強かった」という自身の気持ちもあった。

 それがためか。迎えた決勝のレースは--。

「力みもあったし、それまで自分より速い選手と泳ぐ機会もあまりなかったこともあります。ペースがみんなばらばらで、波もすごくて、自分のレースができませんでした」

 5位で終えた。北京から帰国したあとは、人と顔を会わせるのが辛くて「外に出たくない」と思うほど失意に沈んだ。

 そこから再起しての2009年だった。

泳ぐのは水着ではなく、あくまでも選手。

 水着騒動の渦中に投げ込まれて、それでも自分を見失わず、しっかり準備をして結果を手にした世界選手権は、一度落とされて、そこから這い上がったからこその強さがあった。

 泳ぐのは水着ではなく、あくまでも選手であることをあらためて証明する泳ぎでもあった。

 入江は2012年のロンドン五輪に出場、100mで銅メダル、200mと4×100mメドレーリレーで銀メダルを獲得。

 2016年のリオデジャネイロで3大会連続五輪出場を果たしたあと、単身、アメリカに渡り、新たな環境で練習に取り組んできた。

 長年慣れ親しんだところから変えるのは、ベテランならなおさら不安もあっただろう。それでもチャレンジする道を選んだ。

 昨年の世界選手権では100m6位、200m5位となるなど、日本背泳ぎの主軸としての活躍を見せ続け、東京五輪を目指している。

 今なお損なわれずにいる強さの源の1つとして、2009年もきっとある。

(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)