<サッカー、あのときの一言~8>

「ボールは汗をかかない」。95年7月、ブンデスリーガ・シュツットガルトからジュビロ磐田に加入した当時の現役ブラジル代表主将のMFドゥンガが、自らの哲学「発想と規律のバランスが重要」とのメッセージを込めて発した言葉だった。

同8月の第2ステージ鹿島戦でJリーグデビュー。磐田の攻撃力は数段アップしたが、相手の2倍以上のシュート数を放ちながら敗戦が続いた。日本の夏独特の高温多湿、降雨も多くピッチが重いコンディションの中、プロ1年目の名波、2年目の藤田、服部、田中、恥骨結合炎による1年離脱から復帰した中山らが90分間、ガムシャラに走った。同9月のホーム広島戦。磐田はシュート14本を放ちながら、4本の相手に1-2で負けた。唯一のゴールはドゥンガのJ初得点だった。チームメートの働きを評価しつつ、こう続けた。

「ブラジルに昔から伝わることわざだが、ボールは汗をかかない。このコンディションなら、ボールを走らせる必要があるんだ」。

母国の優勝に導いた94年米国ワールドカップ(W杯)。ドゥンガは1試合平均で300本近いパスを出した。通常のMFが200本ほどと言われた当時、群を抜く数字だった。気候、ピッチ、相手のコンディションを見極め、ボールを動かす。ヨハン・クライフの名言「ボールを動かせ、ボールは疲れない」にも似たドゥンガのひと言から2年後に試合巧者のプレーを意識させた「勝利至上主義」が、ポテンシャルと発想力を兼ね備えた若手たちと融合。97年第2ステージで初優勝し、そのまま年間王者となった。磐田の「黄金時代」の始まりだった。

「ボランチ」というポジション名も日本に定着させたドゥンガは98年限りで磐田を退団し、翌99年に母国で現役引退。2度ブラジル代表監督を務めた一方で、現役時代から継続する社会福祉活動に力を入れてきた。今年も新型コロナウイルス感染拡大で生活に苦しむ母国の人々に食料を届け、存在感を示している。