<もしもし日刊です>

なでしこジャパンの11年女子W杯ドイツ大会優勝メンバーは今、海を越え、1年に2シーズンをこなしている。なでしこリーグ2部オルカ鴨川FCの元日本代表MF近賀ゆかり(36)は、まとまった休みなしの日々を30代に差し掛かった16年から4季連続で続けている。あくなきサッカーへの情熱と探求心。海を渡って戦い続けるベテランの言葉を聞いた。

動機はシンプルだった。始まりは16年末。INAC神戸から、11月に開幕するオーストラリア、Aリーグのキャンベラ・ユナイテッドへ移籍。14年のアーセナル以来、2度目の海外挑戦を決断した。

「チャンスがきて、興味があったからです。(2月の)シーズン後に所属先がない可能性もあって不安もありました。でも、挑戦したい気持ちが強かった」

初の南半球の舞台で近賀は躍動した。スペースや、周囲を的確にカバーする能力を評価され、慣れた右サイドバックではなくボランチとして全12試合に出場。リーグ優勝に貢献し、チーム内投票での年間最優秀選手(MVP)にも選ばれた。

翌春からは日本と同じ春開幕の中国2部杭州とメルボルン・シティーでのプレーを2年間続け、19年春に鴨川へ。同冬には3季連続でメルボルンCへ移り、無敗でのリーグ制覇とプレーオフ優勝を果たした。1年で春秋制と秋春制の両シーズンをこなす場合、どちらも合流はおおむね開幕1週間前ごろ。ほぼオフがない中で状態を維持し、クラブの承認を得るために結果で示して4年連続で実現させてきた。

「体への負担は感じたことがないです。逆に一年中、試合があるのは幸せなこと。中断期間もあるし、うまく調整しています。今季以降もできるところまで(両立が)できたらいいですけど、また違う道に興味が出れば、その道に進むと思います」

海外挑戦の重要性を意識し始めたのは、代表活動で先に海を渡った海外組の姿を見てからだという。

「永里優季や安藤梢が海外に行って最初に代表に合流した時の試合で、国内組が海外選手に苦戦する中、その2人や海外経験のある澤さん、宮間とかは外国仕様になっていて、大きな差を感じました。アーセナル移籍もその影響が大きくて、欧州に行くとサッカーが別物でした。今は欧州、米国は残念ながら日本のリーグよりレベルも上で規模も大きい。今は熊谷が頻繁に出場していますが、チャンピオンズリーグ(CL)などクラブ同士であれだけレベルの高いゲームができると、経験もまた違ってくると思います」

Aリーグもスピード、パワーが日本とは違い、年々レベルも向上しているという。海外経験での成長に確信を持つ一方で、挑戦にあたっての慎重な意見も忘れていない。

「若い時から海外に何も知らずに行って、いろんなことを経験できるというほど環境は整ってないです。ある程度、自分の体への理解や環境変化への対応力が身についてから行っても悪くないと思います。海外は練習量が少なく、個人に任せる部分もある。若い選手がただ体重を増やして帰ってきちゃうとか、練習が少なくて状態が上がらないという話も聞きます。中国はリーグもクラブもお金があり、ブラジル代表が2人いるクラブもありました。日本もプロ化の話が出ていますが、リーグに外国人が増えたり、魅力的な場所になれば海外に出なくても経験は積めますし、代表強化にもつながると思います」

現在は再び鴨川に籍を移し、5度目の“ダブルシーズン”に向けて調整中だ。 「(コロナ禍で)このような状況になって残念ですけど、自分は何も変わらないです。この歳になってもただうまくなりたいし、いろんなことができるようになりたい」

今年の冬、近賀はどこにいるのか。海外で培ったたくましさを力に、その挑戦は続いていく。【松尾幸之介】

◆近賀ゆかり(きんが・ゆかり)1984年(昭59)5月2日、横浜市生まれ。小学3年時に兄の影響でサッカーを始め、湘南学院高、日体大を経て03年に日テレに加入。11年にINAC神戸へ移籍。14年のアーセナルを経て神戸に復帰し、16年末にオーストラリアAリーグのキャンベラ・ユナイテッドへ移籍。以降、春開幕では中国2部杭州や、なでしこリーグ2部鴨川、冬開幕ではメルボルン・シティーで3季連続でプレー。日本代表デビューは05年3月のオーストラリア戦。当初はFWやMFだったが、07年に右サイドバックに転向。11年ドイツ大会優勝など3度のW杯や12年ロンドン五輪銀メダルなどを経験。162センチ、51キロ。