植田「BJCのチーフセッターという大仕事、お疲れ様でした。まずは感想から聞かせてください」平松「『やり切れた』と感じています。BJCはとても重要な大会で、本当にしんどいというか、中途半端な気持ちでセットはできない。でもチームのみ…


 
植田「BJCのチーフセッターという大仕事、お疲れ様でした。まずは感想から聞かせてください」平松「『やり切れた』と感じています。BJCはとても重要な大会で、本当にしんどいというか、中途半端な気持ちでセットはできない。でもチームのみんなが自分の決断をフォローしてくれたり、ついてきてくれたことで、今やれることはすべてできたし、いい結果、いい熱量に繋がったと思います。良い意味での酒の肴ができましたね。今大会の映像を見ながらしばらく呑めそうです(笑)。おじいちゃんになっても見てるんじゃないかな」植田「男女ともこんなに最後までもつれる大会はなかなかないんじゃないでしょうか」平松「結果はどうであれ、『いい大会にしたい』というのが一番でした。そのために一つ一つの課題のどこをどこまで詰める、どこを緩めるといったバランスは難しかったのですが、共通のゴールに向かって仲間たちと進むことができたと思います」植田「ルートセッターは、チーフを頂点としたチームで大会に臨んでいますよね。あらためて今大会での平松さんの役割を教えてください」平松「今大会のチームは8人で、メンバーはチーフが決めて招集します。準決勝・決勝はそれぞれ男女4課題ずつ8課題ありますが、8人それぞれに担当課題がありました。僕が壁に架空の点線を引いて、男子か女子かだけ割り振って、あとは自由に担当パートを選んでもらったんです」植田「なるほど。8人の中でも課題作成がメイン、修正がメインなど役割に違いがあって、担当はチーフが割り振っているのかと思っていました」平松「より力のある人がたくさん課題を作る、というのはチームの中でフェアじゃないと思っています。それぞれが課題を作った後は、みんなで話し合って調整を重ねていき、最後はチーフである僕がGOサインを出します。課題の順番も最初は決まっていなくて、起承転結を意識して最終的に僕が決めました。それもチーフの役割の一つですね」

BJC2020のセッターチーム。左から水口僚、杉田雅俊、岩橋由洋、笠原大輔、濱田健介、平松幸祐、平嶋元、尾崎浩詔

 
植田「セットする上でのテーマはありましたか?」平松「大きなテーマを決めて臨もう、というのは特にないんですよね。しいて言えば、五輪を前にして注目度も高かったですし、ボルダリングの魅力が最大限に伝わるようなファイナルにしたいとは考えていました。『やっぱり面白い』とか『自分もクライミングしたいな』って気持ちになるような熱量や内容。そこは意識していたと思います」植田「壁の形状からスラブが少なくて、決勝も確かにランジなどのパートはあるんですけど、肝心なところは“取れるか、取れないか”の『真っ向勝負』な課題が多かったように思います。言葉にしていないまでも、その意識はチームの中でありましたか?」平松「たぶん単純に、我々セッターの中に選手たちの“強さ”を見たいという考えがあったと思うんです。だから(コーディネーション系のような)コマーシャル的な課題はあまりなかったですし、飛んだりすることがそんなに重要じゃないっていうのは確かにあった気がしますね」植田「一つ気になっていたことがあって、“日本っぽい課題”ってよく言うじゃないですか。『日本の課題は繊細で、正解ムーブにたどり着けないと登れない。海外はもっと曖昧で、ゴリっと行ける時もある』といった選手の言葉を聞くこともあります。とは言うものの、いろいろなムーブで攻略できる課題もある。この点についてはどう考えていますか?」平松「試登したりして調整を繰り返す僕らは、一つの課題にかける時間がすごく長いと思います。それは1個の正解ムーブにしか導かないということではなくて、すべてのホールド配置やその角度に意味を持たせるというか。難易度は十分なんですけど、自分たちが納得するまで突き詰める。課題を指摘し合う際の着地点も、細かいところまで配慮した結果なんです」

平松「第3課題は“乗らない”選択をした伊藤選手だけが切り抜けられた」
植田「野口選手の最後の粘りには、そのキャリアすべてが詰まっていた」

植田「ここからは決勝課題を振り返っていきたいと思います。まずは女子。第1課題は、ゾーン獲得後の行き方が2通りありました。野中生萌選手のようにダイナミックに足を止めるのか、野口啓代選手のように足を先に送ってスタティックに進むのか。第2課題は、選手がトライするまでは“登りやすいんじゃないか?”と、いちクライマーながらに感じていました」

女子第1課題、ダイナミックなムーブを選択した野中生萌(上)と、静的にムーブを起こした野口啓代(下)。

 
平松「第1課題は野中選手のようなムーブを想定していましたが、バランス的に他の課題が濃かったので、ここはそこまで詰め切らないでいこうと。第2課題は確かに難しい箇所はそれほどないのですが、いろんな選択肢が思い浮かぶ課題でした。ムーブを早く見つけられないと、傾斜がありますし、足を先に送ったりもするので消耗するんですよね。(完登できなかった)伊藤選手のようにムーブを見つけられないままねじ伏せようとすると、腹筋がすごいヨレてくる。反対に一撃した野口選手は『読みの力』が際立っていました」

第2課題に挑む伊藤ふたば。

 
植田「野口選手が2連続完登したことで、この時点で勝つのは野口選手かな?と思いましたが、続く第3課題が一つのポイントになりましたよね。6人中5人がスタートで大苦戦。多くの選手が終始、左足を気にしていました」平松「スタート後に左足で踏む面が、本当に微妙な角度とフリクションなんです。体重を預けられそうで、預けられない。下に小さいビスホールドが挟まっていて、それで少し持ち上げて面の角度が変わるようにもしています。相当に試行錯誤を重ねたところです」植田「細かいですね(笑)。野口選手は競技後の囲み取材で『第3課題は全然わからなかった』と話していたようです」

©JMSCA 勝負を分けた女子第3課題。

 

 
平松「あの左足は乗ろうとすればするほど、乗りづらくなる。だから“乗らない”という選択をした伊藤選手だけが切り抜けることができた。彼女だけ外から一気に行ったことで、しっかり踏み込むことができたんですね。距離感も微妙で、他の選手は片手で行けそうとか、何回かやれば行けそうと感じたかもしれない。さらに、その先が凹角になっていることまで理解するのも重要でした」植田「どん突きの壁が観客側に出ているので、入り込めたんですね」平松「はい。そのコーナーに入り込んでいけば安定できたんです。伊藤選手は1トライ目からそこに向かって行っている。それと実は、ゴール前の右足で使うハリボテの角度を難しくすることも考えたんです。でもそうすると、伊藤選手が完登を逃した可能性もあった。僕らはよく感覚的にホールドをちょっとずらしたりすることがあるんですけど、そうやって難しくする決断をするほうが簡単な時もある。今回は“変えないリスク”を選択したことが、結果的に良かったんだと思います」

コーナーに上手く入り込めた伊藤は、2トライ目で序盤の難所を攻略した。

 

平松氏いわく、この右足のハリボテの角度はもっと難しくしていた可能性もあったという。

 
植田「この課題を唯一完登した伊藤選手がゾーン獲得数の差で単独首位に立ち、最終課題を迎えます。これは内容もビジュアルも記憶に残るものでした。ランジで始まるところから何から見たことのない課題で、自分もやってみたい!と思いましたね」平松「これはでき上がった瞬間に、最終課題だなって(笑)。確実に観客の方々の目が行くのではないかと」

女子最終第4課題。

 
植田「(5番手で登り)暫定首位に返り咲いた野口選手の最後の粘りは凄かったですよね。そのキャリアすべてが詰まった登りのように思えて、『絶対に優勝する』という気持ちが感じられました」平松「(絶対に落ちないムーブを)『見つけてやる』みたいな(笑)。その結果、彼女はゆっくりとゴール前のカチに右手を出せる方法を見つけたんですけど、僕らとしては勢いで取りに行って、的も狭いのでブレて落ちることもあるかと想定していました」植田「野口選手はなるべくスタティックに固めてから取りに行く方法を探りに探って、明らかに青い(ゾーンの)ホールドは手で使うためにあるのに、そこに置いた左手を(オレンジのボリュームに)戻してさらに逆手にした。少しでも落ちないところまで探って固める“ザ・啓代スタイル”で登り切った」「一方(最終6番手で完登した)伊藤選手は素直に行って、不安定な部分も物ともせずにデッド(手がホールドから離れ、無重力になった間に取りに行くムーブ)でパッと取った。以前は落ちないポジションを常に取っていくことがクライミングの王道とされていたと思うのですが、最近の若い世代は“不安定でも最後に安定したポジションを決めれば落ちないじゃん”ということを当たり前にやっている」平松「それは感覚的なところで、今の若い選手たちはうまいですよね。この右手を出す時には、左足の置き方も重要でした。あの不安定さは選手にとっても新しい感覚があったはず。最初のランジも、壁から外側に飛び出すようで気持ちいいんですよね。これはジムでは出せない非日常的なもの。この課題にはそういったものが詰まっていました」

平松「『後世に伝えたい』第2課題…原田選手の一撃には震えました」
植田「調整を重ねた点が勝敗の分かれ目に…リスペクトしかないです」

植田「男子の場合、公式大会の第1課題はサクっと登れる導入的な課題が多いイメージがあります。でも今回、原田選手は登れなかった」平松「確かに、先頭かつ一番端にあったこの課題は次に繋ぐ役回りでした。なのでゴール取りの最後の右手は、いくらでも悪くできるんですけど、しっかりゴールできるように取り付けました。ゾーン獲得後に下半身から体を動かしていくことが大事だったのですが、原田選手はそれが決まらなかったように思います」

男子第1課題を完登する井上祐二。

 
植田「そして第2課題。これは何より、計算された無駄のない内容と、現代アートかというようなビジュアルを両立した綺麗な配置に目が行きました。結果も原田選手のみが完登。しかも一撃。他にゾーン到達は川又選手だけというシビれる課題でした」平松「個人的には『後世に伝えていきたい課題』だと思っています。まずは創造性ですよね。これだけホールドが並んでいるのに、取りに行くポイントが限られている。この組み合わせで、そうやって作れるんだという」

©JMSCA 「後世に伝えていきたい課題」(平松)だという男子第2課題。

 
植田「凹んでいるところは岩っぽさもありますよね。人工壁にはなかなかない」平松「加えて選手に要求するクライミングの力が、ちょっとイっちゃってる(笑)。最後の最後に吐き出されるところまで我慢しないといけない。指の力もそう。フルパワーが求められる。だから、原田選手の一撃には震えました。純粋にカッコよかった。クライマーの『強さ』や『限界』を測るには、この課題が鍵になるんだろうなと思っていたので。この笹のようなホールドは他に10本以上残っていたんですけど、第2課題以外では誰も使いませんでした。もちろん他の課題にも使えたんですが、『あの課題に勝るものはない』というセッター同士のリスペクトがありましたね」

渾身の一手が決まり、原田が優勝への流れを大きく手繰り寄せた。

 
植田「先ほど話した“日本っぽさ”を挙げるなら、次の第3課題な気がします。最後なんか、イライラするだろうなって(笑)」平松「ゴール取りのポイントは足なんですよね。このホールド自体が大会では初披露で選手は慣れていないですし、足の置き場所が見つかりづらい。やっぱり外傾(スローパーのように手前に傾いていて手足がかかりにくい)していない外側に足を置きたくなるんですよ。そうすると踏ん張れなくなって、左に行く力がなくなっちゃう。すごく足にプレッシャーがかかっていて、確かに海外ではあまり出ない緻密さがあると思います」

右足の踏み位置によって距離が出ず、ゴール取りに失敗する楢崎智亜。

 
植田「完登者は出ませんでしたが、ゴール取りまで行った選手もいましたし、勝負の行方が最終課題に持ち込まれたことで、セッターの“失敗した感”は少なかったですよね」平松「セッター的には、完登が一つも出なかった悔しさが残りましたけど」植田「迎えた最終課題。原田選手が完登したことで優勝を決定づけましたが、ポイントはありましたか?」平松「これはセッターみんなの力ででき上がった課題でした。セット初日の夜の最後に、2時間くらいみんなで試登して。決勝前にも1カ所だけ調整を加えました。カンテ(壁の角)際にTOPホールドがあるんですが、5センチくらい左にずらしたんです。その時に細長いペットボトルの『濃いめのカルピス』を飲んでいたんですけど、その1本分だけ(笑)。少し遠くすることで、手を返す動作が大きくなるようにしました」植田「念入りに調整したところが勝敗の分かれ目になったと。その深い読みや経験によって、セッターのみなさんがそこまでケアしていたとは……リスペクトしかないです」

このTOPホールドは「細長い『濃いめのカルピス』1本分」ずらしていたという。

 
平松「最後に印象的だったのは、最終課題を井上祐二選手が登っている時、先に競技を終えていた原田選手がめちゃくちゃ応援していたこと。自分の優勝が決まっているのに本気で大声を張り上げていたんです。選手同士、大会中はもっとドライかと思ったらそんな姿が見られて、選手同士が尊敬し合う、クライミングの良さをあらためて感じました」植田「一般のジムでも、同じ壁を登っているとお互いに登ってほしいという気持ちになりますよね。そういう仲間意識がクライマーにはある」平松「第一線で活躍するトップ選手たちも同じなんだと思うと、いいなって、そう思いましたね」【あわせて見よう!BJC決勝動画&課題画像は以下のリンクから】