東京五輪のマラソン代表選手は3月1日の東京マラソン、8日の名古屋ウィメンズマラソンで最終的に男子3名(中村匠吾、服部勇馬、大迫傑)、女子3名(前田穂南、鈴木亜由子、一山麻緒)が内定した。

 しかし、新型コロナウィルスの感染拡大により、東京五輪は2021年7月に延期。日本陸上連盟は4月3日、4月~6月期の連盟主催大会の延期、中止を決定した。これにより上半期のレースができないという異常事態になりつつある。

 東京五輪の1年の延期とコロナ禍の影響、そしてMGCの成功と今後の強化戦略について陸連の強化委員会マラソン強化・戦略プロジェクトリーダー瀬古利彦氏に話を聞いた。

五輪の延期がプラスに働く選手も。

――コロナ禍の影響で大会が軒並み延期、中止になっています。選手への影響は?

「選手はいろんな目標を立てて練習をしていますが、その中で重要なのが試合に出て、結果を出すということです。試合がないと、練習に集中するのはなかなか難しい。マラソンは個人でも練習できて体力の維持はしやすい競技なので、レースができるような状況になった時に力を発揮できるように、今は個人でやれることをやるしかないですね」

――東京五輪1年延期による影響はいかがですか。

「2019年にMGCで代表を決めた中村選手、服部選手、前田選手、鈴木選手の4名は、昨年からずっと準備をしてきたので今年の五輪が待ち遠しかったでしょう。あれからずっと五輪のタイミングに合わせてきていたはずですから。逆に今年の3月に決まった大迫選手、一山選手にとっては五輪まで5カ月しかなく、けっこう切羽詰まった状態だったので、2人にとってはプラスに働く可能性もあるかなと」

――瀬古さんは準備期間が増えたことのプラスもあると考えていますか。

「そうですね。マラソンの開催が札幌に決まってコースはわかったけど、実際に夏の調査は何もできていなかった。これから科学委員会と組んで夏の札幌のコース特性、気温、日陰等いろんなことを調べていけるし、選手も何回かコースを走ると思うので、そういう意味ではこの1年延期をポジティブに考えて、有効に使っていきたい」

MGC、想定以上の成功の理由。

 瀬古氏は、選ばれた6名の選手について、「完璧な布陣」と自信を見せる。彼らを選出したMGCは視聴率16.4%を記録し、レースそのものの面白さもあってマラソンに対する注目度が飛躍的に向上した。

 さらに男女ともに最後の1枠を決めるMGCファイナルチャレンジになった東京マラソン、名古屋ウィメンズも大きな盛り上がりを見せた。白熱したレース、スター選手の誕生、お茶の間に浸透したマラソンのおもしろさ。瀬古氏は「MGCは大成功」と満面の笑みを浮かべた。

――MGCの成功は想定内でしょうか。

「いや、ここまでの成功は想定していなかったです。そこそこのレベルには行くだろうなっていうのはMGCを作った時から思っていましたけどね」

――成功の要因はどういうところにあると思いますか?

「MGCがスタートした2017年の時点から、大迫選手や設楽悠太選手が東京五輪に向けてマラソンの準備をしてくれた。これが非常に大きかった。

 それまでは五輪の選考といっても本当に1発勝負だったので、五輪の前の年だけ頑張ればよかったんですよ。でも今回は、3年前から準備してMGCの出場権を獲得するために何回かマラソンに出場しながら経験を積んでいった。

 そこでマラソンの難しさを知ると同時に全体のレベルが上がって、練習をしないと勝てないという意識が生まれて、質の高い練習をするようになった。そうしてみんなが力をためた状態でMGCに挑み、東京五輪の1年前に1発勝負で公平に決めることができた。

 本番のレースのの面白さもあり、みんなが注目してくれた。こうした流れを作れたことがMGC成功に繋がったと思います」

男子で3回の日本記録更新。

――選手のマラソンへの取り組みが変わったということですか。

「だいぶ変わりましたね。一山選手はまだ22歳で、若いのにこの1年間で4回マラソンを走っているんですけど、MGCがなかったらこんなに走っていないでしょう。若い選手が何回もマラソンを走れる仕組みになったのは大きいですよ。

 練習の取り組みもだいぶ変わったと思います。ファイナルチャレンジでは、男子は2時間5分49秒、女子は2時間22分22秒という目標タイムを設定したじゃないですか。ちょっと高いかなと思ったけど、みんながこれを乗り越えようと厳しい練習をしてきたことで、結果的に好記録が続出した。私はファイナルチャレンジをすることは最初考えていなかったけど、やってよかったと本当に思いました」

――結果的に男子は3回もの日本記録更新が実現しました。

「そうだね。ただ、それだけじゃないからね。女子では一山選手が2時間20分台を出したけど、あそこまで行くとは思わなかったし、男子も6分台の記録が4人も出た。正直、ここまでレベルが上がってくるとは思わなかった。

 それにMGCが盛り上がるにつれて、実業団の意識も変わってきましたよね。MGCの注目度が上がれば、そこに選手を出すことは駅伝と同じぐらいの宣伝効果を生む。企業が応援してくれれば選手のモチベーションも上がる。MGCに選手を出すことがステイタスになっていったのは、我々強化スタッフからするととてもうれしいことだった」

1億円の報奨金の影響は大きい。

 MGCで勝って、東京五輪を走る。MGCのスタート以降、選手のモチベーションは高いレベルで維持されていた。だが、その選手のやる気をさらにかき立てたのが、日本実業団連合が出した1億円の報奨金だ。

 2018年2月の東京マラソンで設楽悠太が2時間6分11秒で16年ぶりに日本記録を更新し、1億円を獲得して話題になった。その後、大迫が2度日本記録を更新し、計2億円を獲得した。

 ロードに金が落ちているという言い方が正しいかどうか分からないが、夢のある分厚いニンジン作戦が選手を本気にさせ、日本記録に繋がったことは間違いない。

――1億円の報奨金も選手のレベルを押し上げた要因のひとつでしょうか。

「それは間違いないね。そりゃ1億円もらえるとなれば、選手は日本記録を切ろうとがんばりますよ。非常に大きなモチベーションになったと思う。それに加えてコーチにも5000万円が報奨されたんだから凄いことだと思いますよ。

 1億円の報奨金はMGCが終わるまでの仕組みですけど、これだけ効果があったんだから次も続けてほしいね。1億円が高すぎるなら、もうちょい金額を落としてでもいいので」

――報奨金ではないですが、MGC後、大迫選手は選手に出場給や賞金が出てもいいという話をしていました。

「私もね、陸連に出してくれと言ったんですよ。でも今回は日本選手権を兼ねた大会ということで、陸上には100mとかいろんな種目がたくさんあるじゃないですか。そういうカテゴリーにお金を出していないので、マラソンだけに出すことはできないという判断だったんです。今回は初めてで何も出せなかったけど、次回MGCがあれば考えていきたい。やっぱりある程度、出してあげないと選手がかわいそうですからね」

厚底シューズは日本人に恩恵が大きい。

 選手の練習、意欲、報奨金に加えて、注目されたのがナイキの厚底シューズだった。MGCではピンクとグリーンのシューズでスタートラインが埋まり、大きな注目を浴びた。それ以降、厚底は社会現象にまでなった。

――ナイキの厚底シューズは選手のレベルアップに貢献したと考えていますか。

「それも間違いないでしょう。3年前のシューズとは今のシューズは全く別もので、世界のトップランナーは、みんなナイキを履いている。日本選手もそのシューズを使いこなさないと世界に追いつけないと思っています」

――瀬古さんは、実際に履いて走ったことがありますか。

「こないだ、ちょっと履いてみました。このシューズは、ケニア、エチオピアの人よりも日本人の方が恩恵が大きいと思いましたね(笑)。彼らは骨格的に自然に前傾して走れる選手が多いんですが、日本人はそれが難しい。

 でもナイキの厚底は、日本人の骨格でも前傾姿勢を作り、ラクに走れる状態を作ってくれるんです。正直、これをちゃんと履きこなしていけば日本人はもっと記録が出ると思います」

日本人の記録はまだまだ伸びていく。

――オリンピックのメダルも見えてきますか。

「すぐには難しいですけど……、例えば一山選手は、このシューズを履き始めてたった3カ月で2時間20分29秒の記録を出したんですよ。名古屋でも久しぶりにいい走りを見させてもらいました。彼女のような選手が履きこなしていけば、さらに2分ぐらいは短縮が可能でしょう。コンディションが良ければ2時間16分台も出ると思います。

 大迫選手も3年前の福岡国際では2時間7分19秒だったけど、今年の東京マラソンでは2時間5分29秒で、2分弱も速くなった。それは、このシューズを履きこなしてきたことが大きいと思います。

 日本人の記録は、このシューズでまだまだ伸びていく。世界のトップに追いつくと簡単には言えないけど、今よりももっと差を詰めていくことは可能だと思います」

本当の成功は五輪で結果が出てから。

 MGCは、東京五輪の選手選考においてマラソンへの注目度を増し、選手強化にもつながった。この取り組みは他競技からも注目され、今後、MGCにインスパイアされた代表選手の選考方式が生まれてくるかもしれない。

――パリ五輪に向けて、今後もMGCは継続していくというお考えですか。

「東京五輪の結果が出ないと本当の成功とは言えないので、まず結果を見ての判断になりますが、極端にやり方を変えていくことはないと思います。反省点を踏まえて、タイムの設定や選考レースを増やすといったことは出てくるでしょう。

 今回は、東京五輪が決まり、そこにMGCの仕組みと1億円が乗っかって、三段重ねでうまくいった。それでマラソンを走れる選手を作り、選手層を厚くすることができた。それは今後も、どんな形であれ、続けていかないといけないと思っています」

(「オリンピックPRESS」佐藤俊 = 文)