日本人選手がヨーロッパの舞台で活躍するようになって久しい。サッカーの“母国”イングランドでも、何人もの和製の名手たちが奮闘してきた。

 世界中から選りすぐりのスターが集う熾烈なリーグで、サムライ戦士たちはいかなる印象を与えてきたのか――。経験豊富な英国人記者に訊いた。

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 イングランドへやってきた歴代の日本人選手の中で、最も筆者の印象に残っているのは香川真司である。『The Guardian』のマンチェスター番として、ユナイテッドをカバーするのは義務であるため、彼がこの地にやってきた時のことはいまだによく覚えている。

 香川はおそらく、英国へやってきた日本人の中では、フットボーラーとして能力が最も高かった選手だ。

 サー・アレックス・ファーガソンが引退する前の最後の夏に獲得し、2012-13シーズンのリーグタイトル奪取に貢献。その広い視野とインテリジェンスの高さは、ファーギー(ファーガソン監督の呼称)も評価していただけに、このスコットランド人指揮官が勇退していなければ、チームの中心で活躍し続けたはずだ。

 ホームデビューを果たしたフルアム戦での初ゴールも記憶にあるが、ノーリッジ戦で、香川が鮮烈なハットトリックを決めた際の日本人記者団の興奮ぶりは。忘れようにも忘れられない(笑)。

 アジア人選手としては、プレミアリーグで初のハットトリックをやってのけたのだから、それもそうだろう。しかも、“最低でも当時は”世界有数のクラブだったユナイテッドの赤いシャツをまとっての偉業だった。

 優勝を決めたアストン・ビラ戦でも先発フル出場して活躍した香川は、ファーギーが監督としてのラストマッチとなったWBA戦でも5-5の乱打戦のなかゴールを決め、存在感を発揮している。


 しかしながら、翌シーズンに稀代の名将の後を受けてチームの指揮を執ったデイビッド・モイーズは、シーズン序盤から迷走し続け、香川を使いこなせなかった。そして1年ともたずに解任されたモイーズの後任となったルイス・ファン・ハールは香川を戦力とも考えず、就任から数か月で放出した。

 個人的には、もう少し香川を見たかった。彼にとっては、入団のタイミングが悪く、不運だったと言えるかもしれない。その一方で、同時期にフランスからプレミアリーグにやってきたエデン・アザールが長らくチェルシーで活躍し続けたことは興味深い。

 当時、ユナイテッド・ファンは両者を比較して、「チェルシーは大枚を叩いてアザールを買ったが、我々のクラブはより素晴らしいシンジを3分の1の移籍金で手に入れた」と浮かれていたが、結果を見ればどっちの選択が正しかったかは一目瞭然だ。

 今年3月で31歳になった香川が、イングランドを不完全燃焼のままに去ったのは間違いない。プレミア復帰の噂が囁かれることもある。しかし、だ。仮に戻ってきても活躍するのは難しいと感じているのは筆者だけではないだろう。

 同じシンジでも、しっかりと完全にすべてをやり切ったうえで英国を去ったのは、レスターで活躍した岡崎慎司だ。

 2015年の夏にイングランド中部の街にやってきたFWは、エースのジェイミー・ヴァーディーの相棒として1年目からレギュラーに定着。快進撃を続けた「ミラクルレスター」の一翼を担い、“奇跡の優勝”に大きく貢献した。

 1年目のプレミアリーグにおける成績は、36試合出場で5ゴール。FWとしては物足りない数字かもしれないが、前線からのプレッシングは効果的で、攻守の繋ぎ役としての貢献度は非常に高かった。また、豊富な運動量でピッチを駆け回り、常に全力のプレーを見せる姿を見せ、彼はサポーターの間で、瞬く間に“カルトヒーロー”となった。

 その後も3シーズンにわたってレスターに在籍した岡崎。世代交代を図るチームで出場機会がめっきり減ったラストシーズン(18-19)を除いて、ピッチに立つチャンスを与えられた際には、常に自分の存在価値を証明し、居場所を確保し続けた。

 レスター・サポーターでなくとも、元選手の解説者や玄人好みのサッカーファンの「お気に入り」になることも少なくなかった日本人FWは、この国で十分なインパクトを残したうえで、念願のスペインへと旅立っていったのである(2部への移籍は誤算だったかもしれないが……)。

 岡崎同じく、ドイツのマインツで結果を残して、プレミア参戦を果たしたのが、現在もニューカッスルに所属する武藤嘉紀だ。

 だが、1年目の昨シーズンに17試合で1得点、迎えた今シーズンも怪我で出遅れた影響もあって出場機会は限定され、まるで実力を発揮できていない。いまだ2年の契約を残すが、夏の移籍は既定路線だろう。


 武藤の前に英国の地を離れていった吉田麻也も印象深い日本人選手だ。7年半を過ごしたサウサンプトンでは通算194試合(うちリーグ戦は154試合)に出場して、プレミアリーグでプレーした日本人選手の出場試合数では断トツだ。

 彼は、レギュラーだった1年目を除いて、ほぼ毎シーズンのように強力なライバルとの競争を強いられた。

 EURO2016を制したポルトガル代表でもレギュラー格だったジョゼ・フォンテ(現リール)にはじまり、クロアチア代表のデヤン・ロブレン(現リバプール)、ベルギー代表のディフェンスリーダーでもあるトビー・アルデルワイレルド(現トッテナム)、そして今や「世界最高のCB」と称されるフィルジル・ファン・ダイク(現リバプール)など、錚々たる顔ぶれだ。

 吉田は彼らほどの能力はなかったかもしれない。だからこそ、サウサンプトンからステップアップすることはなかったと言えるし、英国での最初の数シーズンでは不用意なミスも目立ち、不要論があがったことも少なくなかった。

 しかし、主に3番手としての立ち位置ながら、腐ることなくチームに貢献し続けた日本代表主将のプロフェッショナリズムを目の当たりにして、セインツのキャリアの後半には、「ヨシを使え」とファンから待望論が出ることもあった。

 DFという地味なポジションということもあり、イングランドではあまり知られていないかもしれない。だが、日本人CBが世界最高峰の舞台でも戦えることを証明した吉田の功績は、母国で称えられるべきである。

 今年1月の移籍市場で欧州王者リバプールに加入した南野拓実も興味深い存在だ。

 同月5日のFAカップ3回戦での“マージーサイド・ダービー”でデビューを飾り、英国全体がコロナウィルスによるロックダウンになるまで公式戦7試合に出場した。その内訳は、プレミアリーグ3試合、チャンピオンズ・リーグ1試合での途中出場、FAカップでは3試合先発出場となっている。

 アンフィールドで結果を残していけるのか――。現時点で判断を下すのは困難だ。しかし、25歳の日本代表FWは、まだ伸びしろを残し、前線ならどこでも使える器用な選手でもある。移籍市場での失敗が少ないユルゲン・クロップ監督が好むスピードも兼ね備えているだけに、個人的にはリバプールで一花咲かせてくれると思っている。

 特に来シーズンは、サディオ・マネとモハメド・サラーといった攻撃の軸に加えて、アフリカネーションズカップで長期離脱する可能性が高いだけに、南野が重用されるかもしれない。

 元アーセナル監督のアーセン・ヴェンゲルは、Jリーグの名古屋グランパスで指揮を執ったことがあるだけに日本贔屓としても知られるが、日出づる国から有望な若手選手を“青田買い”したのは私の記憶では3度ある。

 最初は01年の夏だ。ガンバ大阪から当時21歳でレンタルで加入した稲本潤一が、プレミアリーグ初の日本人選手となった。

 だが、当時のアーセナルは、ユナイテッドとともにリーグタイトルを毎シーズン争う強豪。選手層も厚く、ノースロンドンの雄における稲本のチャンスはリーグカップとチャンピオンズ・リーグの計4試合のみに留まった。

 しかしながら、02年の日韓ワールドカップで活躍してフルアム移籍(レンタル)を勝ち取った稲本は、2シーズンでプレミアリーグだけで41試合に出場し、4ゴールと活躍。その後に移籍したWBAでもチャンスは得ていた。

 残念ながらアーセナル移籍当時に期待されたほどの結果は残せなかったものの、次に挙げる2選手よりは、成功の部類に入るだろう。

 稲本同様にアーセナル挑戦をした宮市亮は、11年の夏から合計5シーズンにわたりクラブに籍を置いたものの、レンタル移籍を繰り返した。ボルトンでは半年間レギュラーを務めたものの、相次ぐ怪我にも泣かされ、アーセナルでプレミアリーグに出場したのは1試合のみだった。

 浅野拓磨に至っては就労ビザが下りずに、アーセナルのシャツを着てピッチに上がる機会さえも訪れなかった。

 リーグ滞在期間は短かったが、いまだに日本人選手として最も有名なのが中田英寿だ。

 05-06シーズンにボルトンでプレーした後、まだ29歳の若さで引退してしまった中田。残念ながらロングボールが主体のサム・アラダイス監督の指揮下では、満足に実力を発揮し切れなかったが、イングランド北部の田舎町で、そのプレーを見た際には、彼の能力の片鱗を窺い知ることができた。

 このほかにもプレミアリーグ、そしてイングランドの下部リーグに在籍した日本人選手はいる。


 10年に2部リーグ時代のレスターに移籍して中軸を担った阿部勇樹は、2シーズン目の途中にホームシックで帰国した印象だ。2012年に冬の市場でサウサンプトンにやってきた李忠成もプレミアリーグでの出場機会はめぐってこなかったが、セインツが一部昇格する直前に加入し、2部では7試合に出場した。

 日本代表で長年ゴールマウスを守った川口能活はポーツマス、FWの西澤明訓はボルトンに在籍したが、ともにプレミアリーグでの出場機会はなかった。

 そして、リサーチをしえていくうちに分かったのが、02-03シーズンに戸田和幸がトッテナムでシーズン終盤に4試合もプレミアリーグに出場していたこと。筆者は、当時すでに記者としてのキャリアをスタートしていたが、正直まるで記憶にない……。

文●ジェイミー・ジャクソン(Jamie Jackson/The Guardian、The Observer)
翻訳●松澤浩三