<ザ・道キュメンタリー(1)>

あのとき、何が起きたのか。日刊スポーツではスポーツ、芸能、社会など、当時をわかせた北海道の出来事をさまざまな視点で振り返る「ザ・道キュメンタリー」を随時掲載します。第1回は87年1月6日、第65回全国高校サッカー選手権準々決勝。両チーム15人ずつが蹴り合う壮絶なPK戦となった、室蘭大谷(現北海道大谷室蘭)-宇都宮学園(栃木、現文星芸大付)戦。室蘭大谷が15-14で制した死闘を、元選手の証言で振り返る。

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1歩も譲らないPK戦だった。室蘭大谷5人目のエース財前恵一(3年)が決め、両チーム10人全員が成功。サドンデスの6人目に進んだ。室蘭大谷は5人目までのメンバーは、練習から固定して蹴っていたという。6人目以降は未定。1人ずつベンチの指示を受け、出て行った。10人目のGK星野元彦(3年)も決め、11人目は唯一1年生のDF田中祥一だった。現札幌アカデミーヘッドオブコーチの財前氏が振り返る。

財前氏 1年生を後ろにしてあげようと、GKの星野が先に10人目で蹴ったんじゃないかな。でも結局、11人目までもつれて。自分は1年のときの選手権で、四日市工との初戦のPK戦で外してしまった。あの時はもう、先輩に申し訳ないという思いでいっぱいだった。だから田中には気負わずに蹴ってもらいたいと「とにかく思い切って蹴ってこい」と、励まして送り出したんじゃないかと思う。

重圧のなか田中も決め、22人全員成功のまま2巡目に突入した。当時主将で1人目のキッカーだった山本亘氏(51=現岩見沢東監督)に、12人目として再び順番が回ってくる。

山本氏 また回って来るとは思わなかったので、靴ひもを緩めていた。緊張が緩みかけていた上に、前の(宇都宮学園)黒崎(久志、3年)に、目の前で右にドンと決められたから、少し迷いながら蹴ったんじゃないかな。1本目と逆の左に蹴ったらGKに触られて入った。ひやりとしたね。

この一戦、室蘭大谷には高卒では異例のプロ契約で日産入りするMF財前、宇都宮学園には前年度得点王で、後に鹿島入りし日本代表になるFW黒崎(現鹿島アカデミースタッフ)がいた。大会屈指のスターを擁する2校の戦いは午後2時15分開始。前後半80分で決着がつかず、伝説のPK戦が生まれた。18年度高校選手権2回戦、帝京長岡(新潟)-旭川実戦はPK戦17-16の死闘も、18人目を終え双方2人ずつ外していた。室蘭大谷-宇都宮学園戦は14人目まで全員成功し、両チームの鍛錬を物語る戦いだった。

山本氏 前年の選手権でPK戦負け、総体も0-2で敗れていた鹿児島実を倒した後だったし、勢いはあった。4戦無失点という自信もあった。過去2年は、PK戦で初戦敗退していたから、事前の練習試合後にはPK戦を入れて準備もしていた。国立切符もかかっていたので、かなり気持ちが入っていた。

緊迫したムードの中、宇都宮学園15人目のシュートをGK星野が止め、室蘭大谷はDF西館武志(3年)がゴール右中に決め、準決勝進出を決めた。

山本氏は高校サッカー部監督、財前氏はJクラブ下部組織の指導に携わる。現在はコロナ禍で、いずれも練習は休止中。育成世代の指導者として山本氏は「こういう時に自分でやるべきことを考えられるようになってくれたら」。財前氏は「我慢の時だが、家でできるトレーニングを身につけてくれたら、今後に生きる」と言う。伝統の舞台が、安全な形で引き継がれることを祈っている。【永野高輔】

◆第65回全国高校サッカー選手権 室蘭大谷は1回戦で広島工(広島)を0-0からPK戦(5-4)で制し初戦突破。2回戦で仙台育英(宮城)を2-0、3回戦で鹿児島実(鹿児島)を2-0で連続完封。準々決勝で宇都宮学園を下し、準決勝は前年高校総体王者国見(長崎)と対戦。後半残り4分で相手にPKを与え0-1で惜敗した。この大会5戦目にして初の失点だった。

◆全国高校選手権のPK戦 15人ずつ蹴り合った87年の室蘭大谷-宇都宮学園(15-14)が当時の最長記録で、18年度2回戦で帝京長岡-旭川実が、19人ずつ蹴り合い(17-16)記録を更新した。98年までPK戦が行われていたJリーグでは、各14人が蹴り合った95年3月29日の浦和-名古屋(10-9)が最長。

◆第65回全国高校サッカー選手権準々決勝・室蘭大谷-宇都宮学園(87年1月6日、千葉・千葉総合運動場) 0-0でPK戦に突入し、両チーム全員成功のまま15人目へ。宇都宮学園DF根岸誠一(2年)のシュートをGK星野が止め、室蘭大谷はDF西館が決め準決勝進出を決めた。準決勝では前年高校総体王者国見と対戦し、後半残り4分で相手にPKを与え0-1で惜敗した。室蘭大谷はこの大会5戦目にして初の失点だった。

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<取材後記>

当時はJリーグもなく、全国高校選手権は国内サッカーの大きなイベントの一つだった。記者は茨城の中学1年のサッカー部員。この試合をテレビで見ていた。生中継か、ダイジェストだったかは定かではないが、この死闘に勝った室蘭大谷の白黒のユニホームが、すごく格好良く見えたのを覚えている。33年後、伝説のシーンを当事者に振り返ってもらえるとは思ってもみなかった。

このPK戦の翌日からしばらく、記者のサッカー部では、1年生チームの10番でテクニシャンだった仲間が「ザイゼン」、黄緑色の手袋が同じだった記者はMF野田知選手を自身に重ね「ノダ」を襲名した。背が高く学年リーダーだった5番の選手は「ヤマモト」と呼ばれるようになった。