今季、石原直樹が12年ぶりに湘南ベルマーレへカムバックした。2003年にプロのキャリアをスタートさせた湘南(当時J2)でそこから6年を過ごしたのち、大宮アルディージャ、サンフレッチェ広島、浦和レッズ、ベガルタ仙台と、複数のクラブを渡り歩いた。昨季までのプロ17年間で残した成績は、J1・J2通算422試合出場、106得点である。

 だが、プロになった当初から順調なキャリアを積んだかと言えばそうではない。

 もとより石原は、高校時代まで年代別代表に選ばれたこともなければ全国大会に出場したこともない、いわば無名の選手だった。湘南との縁に導かれて高崎経済大附高卒業後にプロとなり、1年目こそJ2で17試合に出場したものの、その多くは途中出場で、さらに同カテゴリーで2年目は3試合、3年目も8試合の出場にとどまった。

 のちの飛躍につながるひとつの転機は、プロ4年目に辿れた。

 06年、前年の怪我の影響もあって出遅れた石原は、開幕から3か月余り公式戦から遠ざかっていた。そんな彼がある意味幸運だったのは、その間、チームのパフォーマンスが不安定だったこと。結果的に、シーズン途中の監督交代が石原にとっては良い流れを掴むきっかけとなった。

 6月に就任した菅野将晃監督の下、この指揮官の初陣となったアウェーのサガン鳥栖戦でいきなり石原はスタメンに抜擢された。以降も先発で使われた彼は前線での献身的なプレーでチームを支え、結果を残していった。

 「菅野さんのおかげで、試合で自分のプレーを出せるようになりました」

 あるときそう振り返ったように、石原はこのシーズンのJ2で9得点をマークすると、同じくJ2で翌07年は12得点、08年には18得点を挙げ、チームの順位を引き上げる原動力となった。そして、湘南もJ1昇格を視界に捉えるようになるのだった。


 頭角を現わす前年に見舞われた怪我も、振り返れば意味があったようだ。05年シーズンの終盤、石原は試合中の負傷で戦列を離れた。上田栄治監督の下で出場機会を掴み始めた矢先のことだったが、石原は改めて記憶をたどる。

「チャンスが回ってきたところで怪我をしてしまったけど、リハビリ期間が自分を見つめ直す機会になりました。プロにしては身体が小さかったので、しっかり戦える身体を作ろうと」

 チームの躍進を牽引する活躍が複数のJ1クラブの目に留まるのにさして時間はかからなかった。やがて石原は湘南から巣立ち、その後J1の舞台でさらなる飛躍を果たしていく。なかでも自身の成長を強く感じたのは、12年から3シーズンを過ごした広島での日々だという。

「みんなサッカーが巧すぎて……」

 当時受けたインパクトを振り返る。

「練習のクオリティが一つひとつ高くて、もう大変でした。普通ならミスが出るだろうところで絶対ミスをしない。技術が高いので求めるものも高い。言葉で表すのは難しいですけど、サッカーはこういうものだというか、こうすればいいということを教えてくれた」

 なぜミスをしないのか、どうすればボールを失わないのか、何を考えてプレーしているのか。「ほんとしょうもない質問をしてました」と笑うが、チームメイトや指導者の言葉に耳を傾け、学び、課題とまっすぐに向き合う姿勢が、長年に渡り築き上げてきた得難いキャリアの礎を成していることは間違いない。

 真摯な歩みはこんな述懐にも浮かび上がる。

 「これまでいろんな巧い選手を見てきて、プレーをしっかり目に焼き付けてきました。『凄いな』と思うところで終わったらたぶんモノにはできないと思うけど、良いお手本が近くにいたので、見て学んだり練習で試したりした。自分がイメージしている以上のプレーを身近に見ることによって新しい発想が生まれたところもあると思う。自分の頭のなかだけでは限界があるけど、自分が考えている以上のプレーを見るとイメージもひとつ上がるじゃないですか。それがたくさん積み重なった感じですね」

 今季再び湘南のユニホームに袖を通した石原は、浦和との開幕戦に先発し、さっそくゴールを挙げて新たな一歩を踏み出した。

 日常に目を移せば、ピッチ内外で仲間とコミュニケーションを図り、シュート練習では高確率でゴールを仕留め、トレーニングのあとには練習生を含めて教えを乞う後輩たちの質問に耳を傾ける。プロ18年目、しかし陰りを知らぬその才とともに、かつてとはまた異なる存在感を放っている。

取材・文●隈元大吾(フリーライター)

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