<サッカー担当記者 マイメモリーズ>(23)

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のサッカーリーグ、代表の国際試合は中断、中止を余儀なくされている。

生のサッカーの醍醐味(だいごみ)が伝えられない中、日刊スポーツでは「マイメモリーズ」と題し、歴史的な一戦から、ふとした場面に至るまで、各担当記者が立ち会った印象的な瞬間を紹介する。

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「岡田武史」。この名前を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。98年ワールドカップ(W杯)フランス大会では日本をW杯初出場に、そして10年南アフリカ大会では決勝トーナメント進出に導いた-。そのとおりではある。

だが、むしろ大胆な決断をするイメージの方が強いのではないだろうか。フランス大会直前に「外れるのは、カズ、三浦カズ」と大黒柱をメンバーから外し、南アフリカ大会直前には主将、正GKを代え、司令塔MF中村俊輔を控えに回して戦術までも大転換した強い印象が残るからだ。

約8年前、場所は12年1月、中国・昆明の合宿施設の監督室。中国スーパーリーグ杭州緑城(現浙江緑城)の監督に就任した岡田氏と1対1で向き合った。あの時聞いた一言一言は今でも鮮明に記憶に刻まれている。責任を背負い、覚悟を固め、決断を下す男の自負が見て取れたからだ。

岡田氏 そりゃ、俺も人間だから、こうやった方が得だなとか、損だなとか、嫌われたくないとか、奥底で思う時はあるよ。でも、仕方ない。未来の答えなんて出ないから、最後は直感に従う。俺が自信を持って言えるのは、自分の見えとか私心で決断したことがないし、チームが勝つために決断しているということ。そして、選手を信じているということ。たとえ、外されても、何年、もしかすると何十年か後に(決断の思いを)分かってくれると。

岡田氏を取材すると、世の中の沈着冷静なイメージとは正反対で、人情味があり、仲間を大事にする。指揮を執る上で、時に人情味はマイナスに働くことがある。だから、監督時には選手の仲人はしないし、全選手とコミュニケーションを取るものの、絶妙な距離感をキープする。

岡田氏 優しさが弱点? 外れてはいないかもね。ただ、最初からそれが分かっていたわけではない。後から振り返ると、そうなのかも、と。俺は元々、そんなに強い人間じゃないって。1度仲良くなった選手をドライにスパッと切れないから、そう(距離感をキープ)するのかもしれないし、選手が(決断の理由を)いつか分かってくれると信じるしかないんだよ。

「信じるしかない」という言葉に、心なしか力が込められていた。

そういえばあの時、岡田氏がふと話してくれたことがある。97年11月16日。日本がイランを破り、初のW杯出場を決めたアジア第3代表決定戦前日のことだ。

岡田氏 試合に向けて部屋で考えて、妻(八重子夫人)に「負けたら日本に帰れないと思う」なんて電話して…。でも、そうしたら、何か急に吹っ切れて開き直れた。何があっても命を取られるわけじゃないって。遺伝子のスイッチが入った瞬間だったんだろうね。

遺伝子のスイッチとは、覚悟のスイッチなのだろう。スイッチが入り、選手を信じ、直感を信じ、私心なき、チームが勝つための決断を下す-。一見ドライに映るが、実は多くの思いが込められた決断が、世の中を騒がせ、日本代表を導いてきた。そう感じた時、部屋にノック音が響いた。「監督、ミーティング開始時間が40分過ぎてます」。

「おお、すまん。いま行く」。慌てて部屋を出る岡田氏の後ろ姿を見ながらレコーダーを止めると、録音時間は2時間43分に迫ろうとしていた。【菅家大輔】