2012年シーズンの終盤から13年シーズンの中盤にかけ、大宮アルディージャの強さは半端なかった。21戦無敗のJ1記録を樹立し、クラブ新記録の7連勝もマーク。

 負ける気がしない。そんな感覚を記者が味わったのは、そのときが初めて。いずれにしても、リーグ戦で一時期首位を走るなど当時の戦いぶりはすごくて、実際、練習や試合にはサポーターや報道陣であふれ返った。

 その不敗街道は実にドラマチックだった。

 12年9月1日、浦和レッズとのさいたまダービー。11分、早くも失点し、さらに7分後の18分には得点源のノヴァコビッチが2度目の警告で退場になってしまう。残り70分以上を10人で戦う状況に見舞われたが、ここから反撃。闘志を奮い立たせた前半終了間際、東慶悟の渾身の一撃で追いつき、結果的に勝点1をもぎ取った。そして、この引き分けから“オレンジ旋風”を巻き起こすことになる。

 翌13年の4月20日。J1タイ記録の17戦無敗に並んでいた大宮は、更新が懸かる大一番で、再び浦和と対戦する。マンツーマンで相手選手を見張り、得意のポゼッションを自由にさせず。前線から最終ラインまでコンパクトな陣形を保ち、攻守の切り替え、球際の競り合いで上回った。前半のアディショナルタイムには、一瞬の隙を突いて渡邉大剛のラストパスを受けたズラタンが先制に成功。後半は虎の子の1点を守り切って18戦無敗のJ1新記録を打ち立てた。

  歴史は、永遠のライバルとの戦いで始まり、塗り替えられた。

 昨季に引退した“大宮のレジェンド”と呼ばれた地域プロデュース部の金澤慎コーチは、プロ生活18年の幕を閉じた会見で当時を語っている。

「負けなしの記録を作ったNACK5スタジアム大宮での浦和とのダービーが選手として一番最高の出来事だった。振り返っても、あれだけやりがいを感じたということはない。プロのサッカー選手としてあのピッチに立てたのは、とても幸せなことだった」

 破竹の勢いは続く。20戦無敗、しかも6連勝中で迎えた5月6日の広島戦。1−1の84分、ルーズボールに飛び込んだ富山貴光のヘディングシュートで勝ち越し点を挙げた。ゴールの際に富山とGKが交錯し、両者とも頭部を強打。ピッチに救急車が入る緊迫の事態で試合は22分間中断されたが、再開後、大宮は富山がストライカー魂で奪った得点を死守。クラブ新記録の7連勝、J1記録の21戦無敗を成し遂げた。


 これらの偉業は12年6月から13年8月まで指揮を執ったベルデニック監督の手腕によるところが大きい。

 最前線からのハードワーク、超コンパクトな陣形を実行。リスクを恐れずラインを押し上げ、ボールを奪うと素早く攻撃に転じた。選手は与えられた仕事を忠実にこなし、攻守一体となった堅守速攻は見応え十分。磨き抜かれたオートマチックなスタイルは、精密機械のように正確なプレーを生んだ。  現在、神奈川県社会人リーグの品川CC横浜に所属する渡邉は、ベルデニック監督時代を「ゲームはシンプルにやって分かりやすい。整理されていて、やるべきプレーをする。それがチームの力になった」と述べている。

 サッカーは簡潔で「ボールを奪ったらFWを見ろ、と徹底されていた」。

 ポジションごとに役割があり、守備も担当エリアが決まっていた。「『ここはお前(渡邉)が守備をして、隣はボランチ。後ろはSB』と細かい。だから均等に守備時のバランスが良かった」と思い返した。



 また、金澤コーチにとってはベルデニック監督が特別な存在になった。

 「たくさんの指導者に指導していただいたが、ベルデニック監督と一緒にやった時間は僕のサッカーキャリアで一番いい時期、一番思い出に残っている。ベルデニック監督のような監督を目指したい」

 「短期間でチームに自分のサッカースタイルを浸透させていましたし、結果を残した監督でもあるので彼を目標にしていきたい」

 そう会見で憧れを口にし、尊敬の眼差しを向けた。

 選手にもサポーターにも、そして、Jリーグにも強烈なインパクトを植え付けた素晴らしき時間。今もそれぞれの記憶に刻み込まれ、決して色あせることはない。

取材・文●松澤明美(フリーライター)

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