2009年シーズンにJ2リーグを制したベガルタ仙台も、それ以外、リーグ戦やカップ戦で頂点に立った実績がない。

 ただ、タイトルに近づいたチャンスは何度かあった。09年シーズンの天皇杯で準決勝進出、12年シーズンのJ1リーグでは優勝を争った末の2位。17年シーズンのルヴァンカップでもベスト4まで駒を進めた。そして最もタイトルに近づいたのが、18年シーズンの天皇杯だった。


 12年シーズン以降はリーグ戦で二桁順位が続き、カップ戦でもタイトルに恵まれない。これに慣れてはいけないと言わんばかりに、17年シーズンのルヴァンカップ準決勝で川崎フロンターレに敗れたあと、当時監督だった渡邉晋氏は悔しさを露にした。

「(ベスト4という好成績でも)満足できないんですよね。本当にタイトルを獲れたんじゃないかという悔しさを本気で味わう良い機会だったかもしれないが、それ(=準決勝)じゃダメなんだと強く思って、本気で上(=決勝の舞台)を目指していかないといけません」

 すると、選手からも「タイトルを獲る」という言葉が出始める。クラブにとって遠かった“タイトル獲得”を現実味のある目標へ。クラブの意識は変わり始めていた。

 翌年の天皇杯は、2回戦で当時J3のザスパクサツ群馬にFW西村拓真のハットトリックなどで4-0と完勝。3回戦はJ2の大宮アルディージャにMF中野嘉大(現・北海道コンサドーレ札幌)のゴールで1-0と勝利。横浜F・マリノスとの4回戦はFW石原直樹(現・湘南ベルマーレ)と当時大卒ルーキーだったFWジャーメイン良のゴールで3-2と競り勝った。

 準々決勝は当時J1のジュビロ磐田に先制を許したが、ジャーメインのゴールで追いつき、延長戦を経て1-1でPK戦に。そこでGKシュミット・ダニエル(現・シント=トロイデンVV(ベルギー)のファインセーブもあって勝利。9年ぶりに準決勝進出を決めた。

 18年12月5日に行なわれた準決勝。J2モンテディオ山形とのみちのくダービーは、ホームのユアテックスタジアム仙台で開催された。試合は、仙台がジャーメインのゴール(天皇杯で3戦連発)で先制。そのジャーメインのチャンスメイクからいずれも矢島慎也(現・ガンバ大阪)と平岡康裕も決め、3-2で決勝の舞台へと登り詰めた。


 そして12月9日、埼玉スタジアム2002で浦和レッズとの決勝戦を迎えた。

 敵地に乗り込んでの一戦、アウェーゴール裏を埋め尽くした仙台サポーターは「今、俺達が輝く時 Shine Together」の横断幕を広げ、同じメッセージが書かれた手ぬぐいを試合前に掲げ、チームにエネルギーを注入した。

 しかし──。13分に浦和の宇賀神友弥に先制弾を叩き込まれると、その後仙台は17本のシュートを放つも肝心のゴールが奪えなかった。結局、0-1で敗れ、準優勝に終わった。

「結果が全てなので、史上初めてクラブとして決勝に進出しましたが、最後にこういう形で終われば非常に悔しさが残りますし、準決勝を突破した喜びよりも、数百倍、数万倍悔しい、今日初めて感じました」

 渡邉監督は悔しさをにじませた。

 04年に仙台に加入し、浦和やセレッソ大阪でのプレーを経てこの年の4月から6年ぶりに仙台に復帰した関口訓充は、サポーターの期待に応えられずタイトルを逃した悔しさを次のように口にした。

「非常に良い雰囲気をサポーターが作ってくれて、人数では浦和より少なかったですが、浦和以上の声援を送ってもらったので、優勝という結果を残せなかったのは非常に悔しいです。来季この悔しさを晴らそうとサポーターから言われたのですが、今季のメンバーでやる最後の試合だったので、このチームでタイトルを獲りたかったです」

 あと一歩だっただけに、タイトルを逃した悔しさもまた大きかった。

 奇しくもこの天皇杯準決勝で山形を率いていた木山隆之監督が20年シーズンより仙台の監督に就任。就任時の会見で木山監督は「もちろんその時は(仙台に)監督として迎え入れられるなんて想像もしていませんでしたが、東北のチームが、勝った方がファイナルに進めるという舞台で戦えて幸せでした。その時の雰囲気は今でも忘れません」と当時の激戦を振り返った。

 そして「現実もしっかり見ながら、一歩ずつ進んでいかないと難しい」と前置きしながらも「夢はタイトルを獲ることですし、上位に行くことです」とタイトル奪取を意識する。

 天皇杯準優勝の経験は、仙台にとってひとつの転換点だった。資金的に恵まれたクラブでは無いため、決して簡単なことではないが、あの日の大きな悔しさが遠い過去のものとなる前に、悲願のタイトルを獲得したい。

取材・文●小林健志(フリーライター)

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