米国時間4月25日は本来であればWBA、IBF世界バンタム級王者井上尚弥(大橋)のラスベガスデビュー戦が行われるはずの日だった。

 世界を震撼させている新型コロナウイルスによるパンデミックで、マンダレイベイ・イベンツセンターで予定されていたWBO王者ジョンリエル・カシメロ(フィリピン)との統一戦は延期が決定。全米の多くの主要都市でロックダウン(都市封鎖)が続いている状況で、この試合がいつ挙行できるのかは不透明なままだ。

 現在、アメリカのスポーツ界全体がほぼ完全にストップし、ボクシング興行も3月下旬以降は開催されていない。今後、状況が徐々に安定していくことを想定し、井上のアメリカでのプロモーターを務めるトップランク社は、6月に複数の無観客興行を企画していると伝えられている。

 しかし、同社のボブ・アラム・プロモーターは4月下旬、トップランクの公式YouTubeで「井上はしばらくアメリカには来られないだろう。カシメロ戦は後回しにするしかなさそうだ」とコメントした。日米のボクシングファンから待望されてきたカードは、残念ながら当分延期になる可能性が浮上している。

試合をしないとは、まだ聞いていない。

 もっとも、カシメロとその陣営はこの試合の挙行をまだ諦めたわけではないようだ。それどころか、依然として前向きな姿勢を保っている。“モンスター・ハンティング(怪物狩り)”を合言葉に、WBO王者は準備を続けているという。

 24日、カシメロが所属するMPプロモーションズ(マニー・パッキャオが設立した会社)のショーン・ギボンズを電話取材すると、威勢の良い言葉が返ってきた。

「YouTubeのインタビューが公開された後にボブと電話で話しましたが、ボブの言葉はどうやら誤った形で受け取られたようです。彼が言いたかったのは、『井上が渡米できるようになるまでは試合は組めない』ということ。アメリカ政府の渡航制限が遠からぬうちに緩和されるという条件付きですが、7、8月に挙行という線は消えていません。カシメロの交渉を担当する私は、試合が行われないとはまだ聞かされていません。

 井上はすでに米国への入国ビザを取得しており、依然として渡米の意思はあると聞いています。ラスベガスの経済活動が5月中旬くらいまでに再開されれば、トンネルの向こうに光が見えてくるはずです」

ラスベガスで調整を続けるカシメロ。

 2月7日にフィリピンから渡米したカシメロは、3月15日に当初の滞在先だったマイアミからラスベガスに移動。ラスベガス在住のギボンズが借りた4ベッド、プール、キッチン付きの家を拠点に、弟、トレーナー、コーチとともに調整を継続している。そんな彼らのターゲットが“モンスター”であることに変わりはない。

 カシメロ陣営の望み通り、バンタム級統一戦を比較的早い時期に挙行することは実際に可能なのだろうか。

 もちろん全米で多くの死者が出ている中で、先を急ぎすぎるべきではないことは多くの関係者が理解している。今後、ボクシング界が興行再開に向かう前に、まずは新型コロナウイルスの検査と医療機関の状態改善が大前提。スポーツイベントのために検査や医療が必要な人たちを余計に苦しめることはあってはならず、アラム、ギボンズもその部分は繰り返し指摘していた。

 それらが落ち着くのは5月中旬〜6月と予想した上で、トップランク社は少しずつ興行開始の準備を進めているのだという。一足先に5月上旬からフロリダ州で再開されるUFCの動向も見ながら、タイミングを窺っていくに違いない。

「どんな状況でもリングに立つつもり」

 現在のアメリカは安心してスポーツ観戦などできる状況ではないだけに、しばらくはボクシングイベントもすべて無観客試合となる。ベガス、フロリダ、アリゾナといった街に選手、関係者が短期間隔離され、テレビスタジオのような場所で挙行されるのだろう。井上対カシメロ戦が再セットされるとしても、無観客興行が基本線。軽量級注目の統一戦としては寂しい話だが、カシメロと陣営には異論はない。

「井上がどう考えているかはわかりませんが、カシメロは無観客でも問題ありません。もちろん理想は大観衆の前で戦えることですが、現状、それは現実的ではない。大観衆を集めて興行を打つのはしばらく難しいことを認識しなければいけません。ボクサーはそれでも生活のために戦わなければならないのです。ゴングが鳴れば、観客がゼロだろうが、1人だろうが、カシメロにとっては同じこと。もちろん評価やタイトルも大事ですが、一方でボクシングはビジネス。カシメロは生活のために戦っているのであり、どんな状況でもリングに立つつもりでいます」

収入源のメインは放映権料。

 数カ月以内にアメリカでのボクシング興行が可能な流れになったとして、ギボンズが指摘する井上対カシメロ戦実現への必要条件は2つ。

 まずは前述通り、米国の渡航制限が緩和され、井上の渡米が可能になるかどうか。もう1つはカシメロ同様、井上サイドがスタジオ内での無観客興行への出場をよしとするかどうか。

 一般的に、無観客興行では選手たちがチケット売り上げの分の減収を覚悟しなければならないと見られている。ただ、井上対カシメロ戦の入場料はもともと安価に設定されており、メインの収入源はゲート収入ではなくトップランク社と独占契約を結ぶESPNの放映権料。そんな背景もあって、ギボンズは「今のところ選手の報酬が大きく変わるという話は聞いていない」という。だとすれば、すでに現地入りしているカシメロがたとえ無観客でもリングに立ちたいと考えるのは当然だろう。

井上側にメリットはあるか。

 井上側はこれらの条件をどう考えるのだろうか。

 米国渡航が可能になったとしても、入国直後に隔離を命じられる可能性もあり、調整の難しさがネックになる。無観客興行では米リング進出の華やかさは薄れるだけに、情勢が落ち着くまで仕切り直しを図るのも良いだろう。

 一方で、MLB、NBAなどの早期再開は難しく、アメリカのスポーツ全体が壊滅状態の中で、日本の“モンスター”が米リングに立てば注目度は必然的に高くなる。ESPNの強烈なプッシュも望めるだけに、少人数の立ち入りしか許されない興行でも出場するメリットは少なからずあるに違いない。

早ければ7月がターゲットに。

「ノンタイトル戦にせよ、タイトル戦にせよ、カシメロには井上戦以外にも選択肢があるのも事実です。カシメロはすでにアメリカにいるのだから、他の相手との戦いを考えることも可能です。私の頭にはすでにプランBも用意されており、必要性を感じたらアラムとも話すつもりではいます。

 ただ、その話をするのはまだ早すぎますね。私たちのプライオリティはあくまで井上戦。数週間以内に状況はだいぶ良くなるという予測があり、それを待たなければいけませんが、私は井上戦が実現すると信じています。幾つかのことが良い方向にいけば、早ければ7月がターゲットになると思います」

 ボクシングファン垂涎の一戦は、ギボンズの見立て通り、遠からず再セットされるのかどうか。プロモーターの言葉には多分に希望的観測が含まれているとしても、可能性がゼロになったわけではなさそう。

 コロナショックの推移、井上陣営の意思と合わせ、もうしばらくは様子を見守っていく必要がありそうだ。

(「ボクシングPRESS」杉浦大介 = 文)