獣神サンダー・ライガーがWWEの殿堂入りを果たした。4月24日は獣神サンダー・ライガーがリアルな世界で初めて戦った日、つまりデビュー戦の日である。その記念すべき日から4日連続で、知られざる『ライガー伝説』を綴った短期集中連載をお送りする。第3回のテーマは「ヘビー級王者・橋本真也との死闘」。

 1994年は獣神サンダー・ライガーにとって、充実した年となった。

 この年、ライガーはIWGPジュニアヘビー級王者として、IWGPヘビー級王者の橋本真也に真正面からぶつかっていったのである。

 ノンタイトルだったが、2人は2月24日、「IWGP無差別級決戦」として日本武道館で対戦したのだ。

 この対戦が決まった時、思い出した試合があった。

 あれは……この試合を遡ること8年前の大会だった。

 1986年4月11日、後楽園ホール。新日本プロレスのビッグファイター・シリーズの開幕戦だった。シリーズ名にふさわしくアンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター、上田馬之助、さらには前田日明らのUWF勢が参戦していた。

 そんな豪華なメンバーの前座試合として、山田恵一vs.橋本真也の20分1本勝負が組まれたのである。

30キロの体重差で、さて、どう戦う?

 山田は、1964年11月生まれ、1983年6月入門、1984年3月デビュー。

 橋本は山田の少し後輩で、1965年7月生まれ、1984年4月入門、1984年9月デビュー。

 21歳の山田は小柄でウェイトは85キロくらいだっただろう。一方の20歳の橋本は大きかったが、まだ115キロくらいだった。太ってはいたが、全盛期の橋本のずっしりした重圧感はまだない。

 だが、この約30キロの体重差で2人がどう戦うのかが、非常に興味深い一戦だったのだ。

 山田は1985年の第1回のヤングライオン杯では小杉俊二に敗れて準優勝だったが、1986年3月の第2回ヤングライオン杯では後藤達俊を破って優勝していた。

 当時の山田は、体こそ小さかったがプロレスラーらしい、まさにイケイケの攻撃的なスタイルを持ち味にした選手だった。

まるで意地の張り合いのような試合。

 試合では、予想通り橋本がウェイトの差を武器にガンガン山田を攻めまくった。キック、ソバット、叩きつけるボディスラム、キャメルクラッチ。

 キックの激しい連打に山田の体がサンドバッグのように大きく歪む……山田が壊れてしまうんじゃないかと心配になるほど、橋本は容赦なく蹴りまくった。だが、山田もヤワではない。一歩も引かず、橋本の圧を受けていく。

 山田の方は、橋本を首固めで丸め込んだり、アキレス腱固め、あるいはバックドロップで見事に抵抗してみせてもいた。

 お互いに相手を押さえこんでも、どちらも意地の張り合いのように必死でフォールから逃れ続けて、簡単な試合決着を望まない雰囲気が濃厚だった。

 山田はタイガーマスクのように体からぶつかるきれいなフライング・クロス・アタックを見せた。そして、橋本をパイルドライバーの体勢で持ち上げると、真っ逆さまに落とした。

 ハッとするような危険な角度だった。

 さらに、山田はコーナーからのダイナマイト・キッド張りのダイビング・ヘッドバットを決めると橋本から3カウントを奪った。

 結局、20分一本勝負は、密度の濃い13分45秒になった。この短い時間の中に素晴らしい闘志が交錯し、本当に小気味いい試合になったのだ。

 そして……その後の8年という時の経過は、前座のレスラーだった2人を見事に新日本プロレスのメインイベンターに変えていた。

 山田はライガーとしてIWGPジュニアヘビー級王者へ。

 橋本はIWGPヘビー級王者になっていた。

武道館中がどよめいた……ライガーの裸の上半身。

 8年前のあの日、後楽園ホールで見た戦いがスケールアップすることは間違いなかった。

 この時点で橋本は135キロ、ライガーは97キロというウェイトだった。8年前の体重差はさらに開いて38キロ差になっていたが、その心配はライガーがリングに姿を見せた時に払拭された。

 ライガーはスーツで隠してしまってはもったいない、と言われていたその上半身のたくましい筋肉をファンに披露したのである。 

 輝くマントの下には、上半身のスーツを脱ぎ捨てたライガーがいた。

 マスクからは長い2本の角が消えて、小さめの「戦闘用マスク」が獣神の顔を覆っていた。観客が一斉にどよめくと共に、「凄い……」という驚きの声が武道館のあちこちから聞こえてきた。

ライガーも橋本も絶好調の頃に真正面から激突した!

 レフェリーは鬼軍曹とも呼ばれた山本小鉄だった。2人は教え子だ。

 この時、ライガーは夏のG1クライマックス出場をも視野に入れていた。その前の4月には、両国国技館でジュニアヘビー級のオールスター戦を開くことも、すでに決定していた。

 橋本は強さを前面に押し出して、序盤からパワフルな試合を見せていた。1週間前にはWARの天龍源一郎と両国国技館で対戦し、勝利している。その余勢をかって、ライガーを攻めまくっていた。

 橋本がボディスラムでライガーを叩きつける。ライガーの反撃は掌底打ちと浴びせ蹴りだった。その技の効果は一時期は揶揄されたこともあったそうだが、この時の効果を見れば骨法道場に通っていたことは間違いではなかったということがわかる。それらの技が、巨漢にも十分有効であることをライガーは最初から理解していたのだ。

 橋本は思いっきりのいいドロップキックでライガーを場外に吹き飛ばす。

 ライガーは橋本のヒザを狙う。ヒザへのドロップキックは有効に思えた。フロントのインディアン・デスロックの態勢に、橋本は頭突きを繰り出したが、ライガーは掌底打ちで返してみせる。ライガーは橋本の腕ひしぎやジャイアントバックブリーカーにも耐えた。

 試合途中から、ライガーは橋本のヒザに攻撃を絞ったようだった。

 ヒザ十字固めが橋本を苦しめた。ライガーはコーナーからヒザへのミサイル式ドロップキック、そして足4の字固めというセオリー通りの攻めを続けた。

「どんなに体重差があっても、相手の重心さえ崩せれば勝てる」という信念でライガーは戦っている。そもそもライガーは、ヘビー級とジュニアヘビー級という固まった概念はなくてもいいんじゃないか、と日頃から考えていた。自分自身、体重差など関係なく、だれとでも戦えるレスラーになることが目標だったのだ。

 番外戦や6人タッグマッチでスーパーヘビー級のビッグバン・ベイダーと当たって、その攻略法の一部を示していたのがライガーだった。

ヘビー級王者がジュニア王者に負けるのか!?

 ライガーはライガーボムという名のパワーボムで橋本を持ち上げた。腕の太さはライガーの方が橋本よりも太かった。よくもこんなに高くと思えるほど抱え上げて叩きつけた。

 コーナーからのブレーンバスター(DDT)は危険な角度で、橋本は前頭部からマットに突き刺さった。

 この瞬間こそ……ヘビー級王者の大ピンチだったと思う。

 ライガーはもう一度、橋本をコーナーに持ち上げるとフランケンシュタイナーに持って行った。

 さらにジャーマン・スープレックスで橋本を投げた。ヤングライオン時代には、橋本からこれでフォールを奪ったこともある技である。

 だが、ライガーとして放ったジャーマン・スープレックスは、ヤングライオン時代のそれ以上に圧巻だった--が、それでも橋本は立ち上がってきた!

負けたライガーだが、満足気に見えた。

 ライガーはコーナーに上がると橋本の後頭部にドロップキックを突き刺した。

 橋本は一本背負いでこのピンチから逃れるとキックを連打した。ハイキックからミドルキック。

 ライガーは劣勢を打破しようと掌底打ちに出るが、橋本は水面蹴りでライガーを倒すと、キックをぶち込んで、強引に垂直落下式のDDT。

 ついに……橋本はライガーから3カウントを奪ったのだった。

 自らが負けたとわかり、マットの上でフーッと大きく肩で息をしたライガー。試合前には勝って当たり前と言われていた戦いを、死闘とも言える状況で終えることになった橋本は、このライガーのしぶとさに恐れさえ感じているようだった。十分な手ごたえをつかんだのか、負けたライガーの方がむしろ満足気に見えた。

「ライガーの自信がわかったような気がする」

 2人はそれぞれのベルトをもって、ファンの声援に答えた。

「ヘビー級の技は後から効いてくる。さすがIWGP王者だね。あれだけ技をきれいに決めたのにはね返されてしまう。だけども遠い存在じゃないよ。DDTは警戒していたけれど、びっくりしました。橋本は強くなっている。ボクは一生涯ジュニアですが、対戦相手にはだれが来ても構わない」(ライガー)

「ヘビー級に挑戦したいというライガーの自信がわかったような気がする。やっぱりヒザを攻めてきたね、勝負に来たなって思ったよ。浴びせ蹴りは見えたよ。でも、よくオレをライガーボムで持ち上げたな~。最後のDDTは、まさか使うとは思わなかった。オレも(ライガーが)怖かったからだろうな」(橋本)

 1994年2月24日、日本武道館。

 そこにはライガーが夢見た、究極の戦いがあった。

 

(「プロレス写真記者の眼」原悦生 = 文)