<サッカー担当記者 マイメモリーズ>(16)

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のサッカーリーグ、代表の国際試合は中断、中止を余儀なくされている。生のサッカーの醍醐味(だいごみ)が伝えられない中、日刊スポーツでは「マイメモリーズ」と題し、歴史的な一戦から、ふとした場面に至るまで、各担当記者が立ち会った印象的な瞬間を紹介する。

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2010年、南アフリカ・ルステンブルクの6月は晩秋の寒さだった。スタジアムの近くで燃やされた、たき火の煙が上空を流れる。記者席から本田圭佑のFKに目を凝らした。

無回転のボールが飛んでいく。デンマークゴールの左サイドネットには、GKソーレンセンが白いタオルをかけていた。そのタオルが生きもののように大きく跳ねた。本田のブレ球が、白タオルを激しく打った。

日本代表がW杯南アフリカ大会で決勝トーナメントに進む1歩は、本田の無回転FKから生まれた。

その9カ月前の09年9月5日。日本代表はオランダとの親善試合でエンスヘーデにいた。その試合で、本田は中村俊輔からFKキッカーを奪おうと、オオカミのどう猛さで主張した。「蹴らしてください」。

中村がFKポイントにセットしたボールに、本田は足を進め、軸足を置くしぐさを見せる。蹴るのは自分だと、あからさまに挑発する。FKのイメージを膨らませていた中村は顔をゆがめた。「蹴らしてください」。食い下がる本田の横顔を、中村は見て首をひねり苦笑する。すぐに視線をボールに移した。不穏な空気にボランチ遠藤が2人に近寄り、もしもに備えていた。

本田は今にも助走しそうだった。記者席からは、直訴する本田と、戸惑いつつも譲らない中村の緊迫感が分かった。中村がスタートしようと身構える。本田も同じように身をかがめた。恐らく、中村が一瞬でも譲る空気を出したなら、本田は迷わず蹴っただろう。日本代表のFKキッカーを、試合中に奪おうとしたシーンだった。

以前、こんな話を聞いた。中村はFKの練習中に、遊びで無回転を蹴っていた。見ていた代理人・ロベルト佃氏は「どうして試合で蹴らないのか」と聞いた。すると中村はこう言った。

「俺は技術で決めたい。イメージした軌道で、狙ったところに決めたい」

無回転FKはボールの中心付近を強く押し出すように蹴る。ボールはほとんど回転せず軌道は乱れ、規則性はない。一方、中村のFKは計算された弧を描く。コースを読むGKのグローブのわずか先へ逃げていく。技術と心理戦が詰まっていた。その美徳を貫く姿勢があった。

美徳はもう1つあったのかもしれない。金髪の若者が、ぎらついた目で挑んでくるのを、中村は正面から受け止めた。それもまた、真のエースとしての振るまいだった。

2人はユースに昇格できず、中村は桐光学園(神奈川)、本田は星稜(石川)に進み、部活で鍛えられ、日本代表に入り、海外で名声をつかんだ。

本田は中村からポジションを奪い、加速度的に自身の価値を高めていった。同じように、本田に挑み、力ずくで奪う選手を見たかった。世代交代は技術委員長、代表監督が決めるものではない。ピッチの中で、1ミリの妥協もない味方同士の争いでこそ、成立する。そう信じたい。【井上真】