時間が止まったように、空間を操る不思議な存在--。

 鎌田大地は、所属するドイツのフランクフルトで、今や欠かせない存在となっている。

 シント・トロイデン(ベルギー)から復帰を果たした今季、シーズン当初から「セカンドストライカー」としての地位を確立。2月のヨーロッパリーグ(EL)のザルツブルク戦ではハットトリックを達成するなど、大きな存在感を発揮している。

 180cmの身長がより大きく見えるほど背筋がピンとしている。それでいて、バイタルエリアやペナルティーボックス内でも余裕たっぷりにボールを扱うため、相手はむやみに飛び込むことすらできない。ファーストタッチでボールを自分の意図するプレーができる場所に正確に置き、しっかりと確保された視野によって、ギリギリの状況でシュートやパスの選択を実行する。

 改めて鎌田の活躍を見ると、あの時の同じようなことを感じる。

「やっぱり掴みどころがない」

井手口らライバルに敗れ、挫折。

 筆者が初めて鎌田を見たのは、彼が京都・東山高校時代の2013年頃。

 当時からドリブル、パス、シュートと、アタッカーの能力をすべて兼ね備えた鎌田は突出した選手だった。すでにチームの主力となっていた高2の時にはプリンスリーグ関西で18試合・22ゴールを叩き出して得点王に輝いた。高円宮杯プレミアリーグ参入戦の藤枝東戦で決勝弾をマークし、同校初となるプレミアリーグ昇格に貢献。翌年のプレミアリーグWESTでは、2勝13敗3分とチームが最下位に沈むなか、鎌田個人は得点ランキング4位タイとなる10ゴールでブレイク。1人、異質の存在感を放っていた。

 この鎌田の成長に大きく起因しているのは、中学時代の挫折と東山高校の恩師・福重良一監督との出会いである。

 愛媛県で生まれた鎌田は、地元の強豪クラブであるキッズFC(現・FCゼブラキッズ)で頭角を現すと、さらなるレベルアップを求めて、大阪に住む祖母の家から通える距離にあったガンバ大阪ジュニアユースの門を叩いた。

 広い視野からパスで周りを操るゲームメーカーとして期待された鎌田だったが、主戦場であるトップ下のポジションには、福岡からやってきた井手口陽介ら多くのライバルがいた。当時はまだ小柄だったこともあり、中3になっても途中出場ばかり。腰の怪我の影響もあり、思うようなパフォーマンスが発揮できず、守備面やハードワーク面での物足りなさを指摘されたこともあり、ユースへの昇格は叶わなかった。 

 そこでサッカーをやっていた父と福重監督が大阪体育大時代の先輩・後輩だった縁もあり、東山高の門を叩いた。

ゴールを意識させた福重監督。

 福重監督のもとでハードワークと身体の使い方を学んだことで、アタッキングサードとミドルサードを行き来できるようになり、パスのバリエーションが増えた。フィジカルの成長が著しくなると、福重監督はさらに鎌田に得点を求めるようになった。

「1本の重みというか、パスにこだわりがあるのは変わりませんが、やっぱりゴールという結果を出さないと周りに評価をされないんです。1年の時に多くの上級生の人たちが試合に出られないのに僕が出て、重要な試合でシュートを外してしまった。ゴールを決める、決めないで周りの人たちの思いに応える、応えられないという大きな差になることを痛感したんです。なので、パスを大切にしながらも、狙えるところは狙うようになりました」(鎌田)

 両足から放たれるミドルシュートや裏に抜け出す動きでゴールを量産。シュートを警戒され始めたことで、DFの裏を突く得意のパスの質も向上した。また多くのポジションをこなしたことで、課題だった守備面も向上した。

 得点を決めて、アシストもできるという現在のプレースタイルの礎は、この1年で確立されたと言っても過言ではない。

うまいけど、特徴がわかりにくい。

 当然、Jクラブもそんな逸材を見逃さない。鎌田の元には複数の練習参加要請が届いた。

 しかし、彼がプロ内定を勝ち取ったのは高3の11月。他の注目株が夏を前に内定が決めていたのに対し、鎌田は明らかに遅かった。言い方を変えれば、獲得までに至る査定で、なかなか評価を勝ち取れなかったのだ。

 冒頭で少し触れたように、鎌田は高い技術を持ちながらも特徴が見えにくいタイプの選手である。いわゆる、わかりやすい言葉で括ることは実に難しい。泥臭い点取り屋でもなければ、スピードあふれるウインガーでもない。パサーにしては、得点の匂いを強く感じる。部類としては“万能型”になるのだが、1つ1つのプレーに「独特の間」を持った不思議な存在だった。 

 彼を追うスカウトとしても、彼を評価するときにこの違和感をポテンシャルと見抜くか、中途半端な選手と取るかによって大きく評価が変わってくる。ストライカーでもない、ゲームメーカーでもない、あくまで「セカンドストライカー」である彼は、戦力的に計算しにくい存在だったのだ。

 しかし、彼に心の底から惚れ込んだ1人のスカウトがいた。

豊田をサポート、点が獲れる選手。

「6月に対戦相手の選手の視察に行ったら、東山にかなり面白い選手がいるなと思ったんです。でも、すぐにどこかのチームに決まるだろうなとも思っていた」

 こう話すのは当時、サガン鳥栖のスカウトを担当していた牛島真論(現・湘南ベルマーレスカウト)だ。中島賢星(現・FC岐阜)や増山朝陽(現・ヴィッセル神戸)らの視察のため、東福岡高校のグラウンドを訪れていたが、劣勢ムードの中で1人気を吐く、東山の14番に目が留まった。

 ちょうどこのころ、牛島は鳥栖に必要な選手として「10点くらい取れてゲームも作れる選手」をイメージしていた。

「年間15点を計算できる絶対的エース(豊田陽平)はいるが、得点パターンがスピードのある両サイドの突破からのクロスからのゴールか、長い縦パスから裏へ抜け出してのゴールが多かった。鳥栖の絶対的な武器だったのですが、そこにセカンドストライカーとして10点取れる選手が必要だったんです」

 中央で豊田をサポートしながらタメを作れて、自分でも決めきれる選手--。鎌田は牛島が求めていた要素すべてを持ち合わせていた。

海外移籍も見据え「やれる自信はある」

 鎌田には強豪大学に進学する選択肢もあった。しかし、プロへの想いは強かった。

「大学進学というのも僕にとっては必要な道かもしれません。でも、やっぱり僕には譲れない思いがあるんです。大学卒業をしてからプロ入りをすると、もう22歳。世界的に見ても22歳でプロになるのは、絶対に遅いと思ったんです。僕としては、高校からJリーグに行って、1年目から出ることが理想だし、そうしないといけないと思っています。それに僕はJリーグの先のことも考えています。世界に出てプレーしたいという夢はずっと持ち続けている。なかなか評価されませんが、僕の中ではやれる自信は十分にあるんです」

「時間がかかるが、どうしてもほしい」

 8月、鎌田の熱い思いが通じたのか、「彼が未だに進路が決まっていないことに驚いたし、獲得するチャンスだと思った」と牛島が鳥栖への練習参加の要請を出した。

 しかし、練習参加させた上でクラブが下したジャッジは「NO」だった。当時の鳥栖は、豊富な運動量を基本としたチーム。鎌田のような前線で飄々として時間を作るような選手は明らかな「異物」だったのだ。

「フィットするのに時間がかかることは分かっていた。でも、どうしても僕は彼がほしかった。必要だと思った」(牛島)

 牛島は食い下がった。9月に頼み込む形で大学との練習試合に鎌田を参加させても答えは変わらず、9月下旬には今度は永井隆幸強化部長を京都まで連れて行き、プレミアリーグWESTでのプレーぶりを観てもらった。

 この試合、東山はまたも東福岡に大敗したが、鎌田にボールが入った時だけは状況が一変した。東福岡の選手に複数人で対応されながらも、それでも鎌田はパスを通し続け、一矢報いるゴールまでも奪ってみせた。

 このプレーを観た永井に「OK」をもらい、11月にようやく鳥栖入りが決まったのだった。 

巡り合わせにも恵まれた鳥栖時代。

 2015年、鳥栖に入団以降の活躍を見れば、牛島の先見は正しかったことがわかる。

 森下仁志(現・G大阪U-23監督)に見初められ、トップ下やボランチとして時間と空間を操り、フィニッシャーとしても存在感を発揮。ルーキーイヤーでリーグ21試合出場、3ゴールをマーク。

「開幕の時から『なぜ俺を使わないんだ』と思っていたんです。納得がいかなくて森下監督に直談判をして、1時間話し合ったりもした。こうして試合に出れて嬉しい」(鎌田)

 こうした態度が生意気に映ってしまい、干されてしまう危険性もあったが、森下監督は彼のプレースタイルと強気な性格を高く評価。さらにエースの豊田もその才能に惚れ込み、アドバイスを送るなど、鎌田を育ててくれた。

 プロ2年目はマッシモ・フィッカデンティ新監督にも「もっとゴール前に飛び出せば能力が生きる」と寵愛を受け、リーグ28試合出場で7得点をマーク。ついに牛島が思い描いていたセカンドストライカーとして覚醒すると、翌2017年6月にフランクフルトに4年契約の完全移籍が発表された。

 宣言通り、念願の海外移籍を果たした鎌田だったが、ここでも特徴が見えにくいプレースタイルは仇となる。

自信を得たベルギーでの1年。

 フィジカルを重視するブンデスリーガにおいて、一見“中途半端”に映る才能には出場機会が訪れず、2年目となる2018-19年には就任したばかりのアディ・ヒュッター監督から事実上の構想外の扱いを受けた。

 たが、ここでも鎌田はぶれなかった。

 レンタル先のシント・トロイデンでは、主に2トップの一角として起用されたことで持ち前の得点感覚が爆発し、ゴールを量産。バイタルエリアを息を潜めるように漂い、攻撃のスイッチが入った瞬間に相手のマークの歪みに最短距離で潜り込んで、パスやクロスを引き出すと、正確なファーストタッチでコントロールしシュートやラストパスを繰り出す。ベルギー1部リーグの日本人最多得点数となる15ゴールを含む、公式戦36試合で16ゴール9アシストというキャリアハイの数字を叩き出した。まさに高校時代や鳥栖で見せた彼の持ち味が最大限に発揮されているように感じた。

 この1年間で「結果を出す」ことへの自信をつかんだ鎌田は、復帰したフランクフルトでも快進撃を続ける。

 現在の主戦場は4-3-3の右ワイドだが、張りっぱなしのウィングではなく、ヒュッター監督は積極的に中央のポジションに入り、シャドーの動きも求めている。一時は干していた鎌田を、この役割の適任者と捉えたのだった。

 ヨーロッパリーグ初ゴールとなったアーセナル戦での左足シュートは、視野の広さからくるオフ・ザ・ボールの動きの質、クロスとシュートの両方の選択肢が生まれる場所にボールを置く技術、そして正確なシュートを放つ技術と、彼の能力が凝縮されたゴールだった。

目標は高校時代から変わらない。

 振り返れば、鎌田はいつも逆境のスタートばかりだった。

 器用であるがゆえ、扱われ方次第では、特徴が消えることもあった。ただ、それでも今輝けるのは、彼が不断の努力で自らが持つ「独特の間」が唯一無二であることを周囲に証明し続けてきたということだろう。

「チャンピオンズリーグで優勝を争うようなチームで活躍したいし、W杯に出て活躍したい」

 高校時代に抱いていた強い想いは今も変わらない。むしろ現実味を帯びた目標として彼の目に映し出されている。日本が誇るセカンドストライカーの躍進を、これからも見つめていきたい。

(「“ユース教授”のサッカージャーナル」安藤隆人 = 文)