2階級制覇の元世界チャンピオンが、静かにグローブを壁に吊るした。

 36歳の誕生日となった4月6日に粟生隆寛は現役引退を発表した。新型コロナウイルスの影響で所属する帝拳ジムも休業中のため、自身のSNSの動画で報告する形となった。

「まったく悔いもありません」と語りながらも「きっぱりとやめられるボクサーは数少ないと思う」と、決断に至るまでには葛藤があったことをうかがわせている。

 2階級目のWBC世界スーパーフェザー級王座から陥落して7年半。以降、栄光を勝ち取ることはできなかった。

 2015年5月にはアメリカ・ラスベガスでWBO世界ライト級王座決定戦に臨み、レイムンド・ベルトランに2回TKO負けに終わっている。ベルトランのドーピング違反によって無効試合となったが、世界タイトルマッチはこれが最後に。

 左足首の負傷などもあったなかでも、本人は現役続行にこだわってきた。「応援してくれている人たちのためにも」と己を奮い立たせてきたものの、2018年3月の復帰戦を最後にリングからは遠ざかっていた。

千葉・習志野高で史上初の高校6冠。

 エリートと呼ばれてきた。

 幼少時代から父親にボクシングの手ほどきを受け、千葉・習志野高で史上初の高校6冠を達成して名門ジムの門を叩いたのが2003年。

 入門後に出向いたメキシコ修行で、何人もの世界チャンピオンを世に送り出している名トレーナーのイグナシオ“ナチョ”ベリスタインから「世界チャンピオンになれる逸材」と太鼓判を押されている。

 しかし本人はエリートという表現を好んでいなかった。

 自分をエリートだとは思っていなかったからだ。

人目をはばからず、泣いてしまったこともある。

 2006年秋、まだ日本タイトルへの挑戦が決まる前だった。「軽いスランプ状態」を自覚していた。頭でイメージする動きと、実際の動きがかみ合っていなかった。人目をはばからず、泣いてしまったこともある。

 振りかえってみれば、苦しいことが多かった。

 世界初挑戦では王者オスカー・ラリオスに判定負けを喫した。

 4回にダウンを奪いながらも、そこから相手のペースで戦ってしまった。再挑戦で戴冠したものの、指名挑戦者エリオ・ロハスとの初防衛戦では0-3判定負けでわずか4カ月天下に終わっている。

西岡利晃が「教科書」に。

 目もいい、カウンターもいい、反射神経もいい。

 逸材なのにどうしても詰めが甘い。爆発力が足らない。そういう評価が多かったように思う。

「僕は普段、怒ることないんです」と語るほどおっとりとした性格も、周囲のもどかしさを誘ったのかもしれない。

 しかし世界タイトルを失った後、“自分を変えなきゃいけない”という意思表示を見せるようになった。ジムの先輩には同じサウスポーで世界チャンピオンの西岡利晃がいた。スパーリングを映像に収め、研究するようにもなった。

「ストレートを打つときの足の角度、前に置く右足の使い方。細かい1つひとつが、僕にとっては教科書になっています」

 そんな折、世界再挑戦が決まった。1階級上げ、アテネ五輪銅メダリストのWBC世界スーパーフェザー級王者ビタリ・タイベルトが相手だった。

 20勝のうち6KOと倒した数は少ないとはいえ、ダウン経験もなくテクニックに長けたやりにくいタイプだと言えた。

肉を切らさず、骨を断つ。

 筆者はこの一戦が、粟生のベストバウトだと思っている。ダウンを奪ったあのカウンターにはとにかくしびれた。

 肉を切らさず、骨を断つ。

 発動する際のその誘い込み、その当てるタイミング。彼の絶品カウンターは、観ている者を唸らせるだけの説得力がある。

 あの日の夜の、あのラウンドの切れ味は今も脳裏に焼きついている。

やっぱり粟生のポテンシャルは凄かった。

 2010年11月26日、名古屋の日本ガイシホールで行なわれた世界タイトルマッチ。

 3回だった。

 王者はサウスポーの粟生対策として右回りを徹底して、伸びのある右ストレートと得意の左フックを狙ってきた。

 粟生の良さは目がいいこと、体の柔らかさがあること。1、2回でだいぶ感覚を掴めたのか、3回に入ってからはカウンターの照準を合わせようとしているのが見てとれた。

 残り1分10秒。

 接近して交戦があった後、距離を取り、もう一度距離を縮めたその刹那。

 右を振って、相手の大振りになる左フックを引き出させ、そのタイミングで左ストレートをアゴにクリーンヒットさせた。

 辛口の見方をするなら、この日も詰めは甘かったのかもしれない。ダメージのあったタイベルトを仕留め切れなかったという点では。しかし4回以降も強烈なボディーブローを見舞って確実に弱らせ、テクニシャンをテクニックで封じてみせた。

 3-0大差判定での2階級制覇。“やっぱり粟生のポテンシャルは凄かった”と印象づけるファイトであった。

中毒性のある忘れられない味。

 カウンターこそ「肉を切らさず」だが、試合自体は前に出ていって「肉を切らして骨を断つ」覚悟がのぞいた。これこそが一番の変化だったのかもしれない。

 プレスを強め、ひるまなかった。タイベルトよりひと回り体の大きい粟生の前進は、かなりの威圧感があったに違いない。

 元世界王者で帝拳プロモーションの浜田剛史代表は粟生の成長をこう口にしていた。

「前に出る戦いを体で覚えるまで何年も掛かりました。ノンタイトル戦で(前に出て)ぐらつかされた試合もあったけど、世界を獲るために必要な経験だったと思いますよ」

 粟生は3度防衛した後、ガマリエル・ディアスに判定で敗れて王座から陥落。それから先、チャンピオンベルトを腰に巻くことはなかった。

 同じ帝拳ジムの西岡や山中慎介のように長期政権を築くことはできなかった。

 世界との戦いにおいて三浦隆司や村田諒太のように倒し切ってインパクトを残したわけでもない。

 だが不安定ながらも高いポテンシャルを放った際の圧倒的な輝きは、観る者にとって中毒性のある忘れられない味でもあった。

 現在は帝拳ジムのトレーナー見習いとして、新たなスタートを切っているという。

 挫折を繰り返しながらも、試合がなくとも、彼はボクサーとして己とずっと対峙してきた。エリートボクサーだと言うなら、ここまで我慢強くやれただろうか。

 それは骨となり、肉となり。彼が苦しみながら手にしてきたものはトレーナーとして大きな財産となるに違いない。

(「ボクシングPRESS」二宮寿朗 = 文)