ドン・キホーテの血が流れているのかもしれない。

 巨大な敵に挑む。無謀と言われようが、挑まずにはいられない。

 敵が巨大なら、まして個人ではなくシステムなら、なおさら闘志がわき上がる--。

 5月に投票が行われるラグビーの世界統括機関・ワールドラグビー(以下、WR)の会長選挙に、アルゼンチン代表“ロス・プーマス”の元主将で、現WR副会長のアグスティン・ピチョット(45歳)が立候補を表明した。

 4月12日、ピチョットはツイッターで、WR会長へ立候補する意思を世界に向けて発信した。そこにはマニフェストとして3つの項目が書かれていた。

・今はラグビー競技にとってきわめて重要な変革のタイミングだ。
・伝統国と新興国、両方の発展を目指す。
・ラグビーの商業的価値を高める。ゲームソフトの開発など世界のより多くの人にラグビーの魅力を届ける方策を探る。

「ラグビーはグローバルな発展を目指すべきなんだ」

 それはピチョットが、現役選手として、伝統国の厚い壁に挑んでいたころから訴えてきたことだった。

対抗は現会長と仏会長のタッグ。

 選挙の対抗馬は現会長のビル・ボーモント、68歳。こちらはラグビーの母国イングランド代表の元キャプテンであり、ブリティッシュ・ライオンズ(現ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ)も含め41キャップを持つ名ロックだった。ピチョットは2016年、ボーモント会長就任時に副会長に就任。ともにワールドラグビー改革を推し進めてきた。

 しかし4年が経過し、改選期を迎えたボーモント会長は、2期目に臨むにあたり、副会長候補にフランス協会会長のベルナール・ラポルトを指名。そしてピチョットは、袂を分かつ形で会長に立候補した。

ビッグエイトに挑んだピチョット。

 その構図はある意味、とてもわかりやすい。

 かたや、イングランドとフランスという、世界ラグビーをリードしてきたヨーロッパのビッグユニオンと呼ばれる大国同士。水と油と言われてきた両大国が組んだジャイアントペアだ。

 そもそもWR(2014年11月に『インターナショナルラグビーボード(国際ラグビー評議会)』=IRBから改称)は、第1回ワールドカップが開催される1987年までは、「ビッグエイト」と呼ばれる8カ国(イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア)だけが正メンバーだったという、とても閉鎖的な組織だった。

 ピチョットの母国アルゼンチンは、今でこそ世界屈指の強豪国として知られるが、もともとは非・伝統国としてビッグエイトから軽んじられ、虐げられてきた存在だった。それをピチョット自身が選手として、リーダーとして、分厚い壁に挑み続け、初めて今の地位を得た。

不公平な過密日程に異を唱える。

 アルゼンチンは、ワールドカップ本大会での勝利数は1995年大会までわずか「1」。あえていえば日本と同格だった。ピチョットが25歳で正スクラムハーフの座に就いた1999年大会で、アルゼンチンは初めて8強入り。

 だが、続く2003年のオーストラリア大会では極端なまでに伝統国が優遇される不公平な日程を強いられ8強入りを逃した。アルゼンチンはわずか17日間に4試合を詰め込まれ、その最終戦は中3日で臨むアイルランド戦。相手は中6日でまだ3戦目と休養十分。その悪条件下、アルゼンチンは15-16の1点差で敗れた。そして主将のピチョットは「敗者は語らず」という美徳に背を向け、大会運営に対し、敢然と異を唱えた。

「この日程は受け入れられない。IRBはもっとフェアに日程を組むべきだ」

非・伝統国として初のベスト4。

 理はピチョットにあった。IRBのシド・ミラー会長(当時)は、2003年大会の総括会見で「ティア1」という言葉を初めて公の場で口にし「それは欧州6カ国と南半球のトライネーションズ、およびアルゼンチンである」と定義した。アルゼンチンはIRBが無視も軽視もできない主要国になったのである。

 4年後の2007年、ワールドカップフランス大会では公平な日程が組まれ、アルゼンチンは開催国フランスを開幕戦で破り、アイルランドには30-15でリベンジし、準々決勝ではスコットランドを破った。非・伝統国として初めての4強進出。準決勝でこの大会に優勝する南アフリカに敗れたが、3位決定戦では開催国フランスと再戦。34-10と圧倒し、世界3位までチームを引き上げた。

 実はこのとき、アルゼンチンに2度も煮え湯を飲まされ、自国開催の大会で恥をかかされたフランス代表の監督を務めていたのが、今回ボーモントと組んで副会長候補となったラポルトなのだ。因縁というか、わかりやすいというか。

参加国削減案にも猛然と抗議。

 因縁はまだある。このフランス大会のとき、IRBはワールドカップの出場国を20から16に削減する案を検討していた。4年後の2011年大会のホストとなったニュージーランドの経済的負担を軽減し、大差の試合を減らし、日程も公平化を図れるということをうたい文句に、2015年大会招致を目指していたイングランドが提案していた。だがこれに対しても、ピチョットは公然と反論した。

「ラグビーワールドカップは世界中から集まった20の素晴らしいチームがトップエイトを目指して戦うから価値があるんだ。ワールドカップが10や16の限られた国で戦うものになったら、それはラグビーの死だ」

 試合のたびに発せられたピチョットの熱い言葉とアルゼンチンの快進撃は、イングランドとIRBの目論見を吹き飛ばした。

 この大会を最後に代表を退いたピチョットは、ジャージーをスーツに着替え、世界ラグビー伝統国のエスタブリッシュメントたちが居並ぶIRB理事会に自らの戦場を移した。2012年からはアルゼンチンがニュージーランド、南アフリカ、オーストラリアによるトライネーションズに加わり「ザ・ラグビーチャンピオンシップ」という新しい大会が生まれた。2016年からはスーパーラグビーにアルゼンチンのチーム「ハグアレス(ジャガーズ)」が参戦した。ピチョットがかざす理想論は、伝統国の既得権維持を優先してきた世界のラグビーに風穴を開けたのだ。

ピチョットが謳う「国際化」。

 一部では、ピチョットが、ラグビーのボーダーレス化に反対していると見なす向きもある。ピチョットはWRの副会長として、選手が母国とは別の国で代表資格を得るまでの期間を3年(36カ月)から5年(60カ月)に伸ばす案を推進した。昨年のワールドカップ中に、外国出身選手が多くを占める国のランキングを投稿したことも話題になった(最多はスコットランドで次点は日本。優勝した南アフリカと、アルゼンチンはゼロだった)。

 それらの言動から、代表主力に外国出身選手を多く抱える日本からはピチョットを警戒する声も、自国アルゼンチンへの利益誘導を狙っていると見做す声も聞かれる。

 だが実際は逆だ。ピチョットが謳うのはラグビーの国際化だ。

 ピチョット自身、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれ育ち、学生時代は自国のサンイシドロ・クラブでプレーした後に渡欧。英国のリッチモンド、ブリストル、フランスのスタッド・フランセでプレーしたコスモポリタンだ。それぞれの国に独自のラグビー文化があり、才能ある選手が育っていることを実体験した。どこの国の選手も活躍の舞台を得られるべきだと考えている。

 そんなピチョットは、マニフェストも複数言語で発表。スペイン語には「unidos」、英語版には「togetherness」(ともに「団結」の意)という題をつけ、訴えた。

「ラグビーは、世界の限られた国だけで争われるべきスポーツではない。もっと多くの国で親しまれ、多くの国が国際コンペティションに参加してこそ、より多くのスポンサーが獲得できる」

「伝統国との連帯はもちろん必要だ。その財産、経験を多くの仲間とシェアしてこそ、ラグビーの価値をより高め、自分たちの価値を高めることができる。これまでのやり方を守るのではなく、世界が危機的な状況にある今こそ、ラグビーの未来を左右する重大な分かれ目(クリティカル・モーメント)なのだ」

 背中を貫くのは、青臭いほどのフェアネス。

 勝ち目はあるのか? と聞けば「薄いだろう」と答える人が多いかもしれない。相手は伝統国の本丸イングランドとその天敵だったフランスが組んだ、超大国同士の連合軍。ピチョットの友は伝統も実力も財力も乏しいスモールユニオンばかりに見える。だが、2003年にピチョットがワールドカップ日程の不公平改善を訴えながら8強に入れず敗退したとき、今日のようにアルゼンチンが世界主要国の一角を占める日が来ると誰が予想しただろう? 

「今こそ夢を現実にするときだ」

 ラグビーは、限られた国の限られた人たちが愛好するスポーツという立場にとどまっていいのか。それとも、より多くの国で、男性も女性も、宗教も経済状況も多様な人たちが親しみ、楽しめる、スポーツの枠を超えた存在を目指すのか--そう問いかけてきたピチョットは、マニフェストをこう結んでいる。

「今こそ夢を現実にするときだ。ラグビーは、これまで培った伝統と歴史をもとに、より現在的なテクノロジーを活用して、ラグビーというスポーツそのものを前進させよう。世界中のラグビー人が繋がる、ラグビーの未来に向けた姿を示そう」

 歴史は、常に変化・適応してきた者たちだけが生き残ってきたことを証明している。さまざまな前提が変化し続ける今、これまでの常識をなぞっていても正解にはたどり着けないことは明白だ。まして、現在は新型コロナウイルスのパンデミックで明日の世界も見通せない。どんな選択にもリスクはあり、成功は約束されていない。問われているのは、これをチャンスと捉えて変化への舵を切るのか、災厄と捉えて嵐が過ぎ去るのを待つのかだ。

 5月、世界のラグビーは、誰をリーダーに選ぶのだろう。

(「ラグビーPRESS」大友信彦 = 文)