ドイツ・ブンデスリーガのRBライプツィヒで、観戦に訪れていた日本人観客の団体がスタジアムから追い出されたとされる一件を覚えているだろうか。

 3月1日、ライプツィヒ対レバークーゼン戦でのこと。

 この日、スタジアムに詰め掛けた満員の観衆が試合に熱狂するなか、20人余りの日本人団体客が、セキュリティスタッフによって前半20分くらいで退席を要求されたという。

 この件は、数人の日本人がツイッターでつぶやいたことで発覚した。新型コロナウイルス警戒のための措置だったという理由を受けて、SNS上では人種差別問題ではないかとの書き込みが殺到。一気にライプツィヒ批判ムードが膨れ上がっていった。

 それだけに止まらず、日本メディアが刺激的なタイトルをつけたことで、さらなる波が生まれていく。そうした日本の状況を見て、今度はドイツメディアが記事にする。するとドイツのSNSが炎上する。さらに日本メディアがドイツ語を訳して記事を作成する。

 情報が行ったり来たり。いつまでも事実がはっきりとしてこなかった。

関係者に当たって調べてみると。

 どんな事情で事態が起こり、どこに問題があって、その後どのようになったのかという過程を調べもせず、公表を待つわけでもなく、「○○によれば」「△△紙が報じたところ」といった引用を繰り返す。

 そうしたメディアからの情報をもとに、ユーザーは自分の先入観で物事を解釈していく。果たして、それで片付けていいのだろうか。

 ライプツィヒの件に関して関係者を当たって調べた限り、クラブサイドが間違った指示を出していたわけではない。クラブと契約のあるセキュリティ会社のスタッフが、団体で日本人が観戦しているのを確認して新型コロナウイルスへの不安が大きくなり、そうした決断に至ってしまったようだ。

ミスコミュニケーションの積み重ね。

 当時はドイツでも無観客試合を検討し始めていた時期だ。ロベルトコッホ研究所からは新型コロナウイルス感染が広がっている当該地域から来ている、あるいは帰ってきた人は14日間自宅隔離という通達が出始めた時期でもある。

 つまり、ドイツ国内が新型コロナウイルスに神経質になり始めていて、それでいてまだ実態がつかめていないことで怖さを感じだしていた頃の話だ。

 実際、その時点では日本は当該地域に入っていなかった。中国での広がりを知る欧州人からすると、数多くの団体客がいることで危機感を募らせたのだろう。

 様々なミスコミュニケーションの積み重なりから、こうした事態に発展してしまったというのが実情である。

 クラブサイドが発表しているように、今回の判断と対応はミスだ。日本人団体は試合を見る資格があったし、それが叶わないというのはあってはならないこと。せっかくの観戦機会を失ったことが許されることではない。

クラブはしっかり義を尽くした。

 だからこそライプツィヒは、セキュリティチームのミスとするのではなくクラブのミスとして、しっかり謝罪をしている。

 クラブは担当者に連絡を取り、日本人グループを招待。CEOオリバー・ミンツラフらが直接謝罪をした。また、その翌週土曜日に行なわれたヴォルフスブルクでのアウェー戦に全員を招待している。

 試合観戦以外にも全員にユニホームなどをプレゼントし、ヴォルフスブルクまでのバスをチャーター。午前中は町にあるフォルクスワーゲンのテーマ施設「アウトシュタット」見学をアレンジし、お昼にはビュッフェ形式の食事も準備と十二分のことをしている。

 また公式ホームページの謝罪文でおしまいではなく、反省していますとのコメントだけしてうやむやにするのでもなく、気持ちを込めてできる限りの義を尽くそうとした。

改善した姿勢をどれだけ報じたか。

 ミスはないに越したことはない。今回は大きなミスだったかもしれない。

 それでも人間である以上、どうしたってどこかでミスはしてしまう。そのときどういう態度を取り、どういう対応をするのか。さらには、改善の姿勢を明確に見せているのかが大切になる。

 ただ、こうしたいきさつに関して最後まで報じたドイツメディア、日本メディアはどれくらいあったのだろうか?

 ネットワークのグローバル化は、情報収集のスピードをどんどん加速させている。

 アメリカ、ドイツ、スペイン、イタリア、中国、韓国、ブラジル。いまでは、どの国であがったニュースやコラムであれ、すぐに翻訳されて母国語で読めるのが当たり前だ。

日本でもドイツでも同じ実情が。

 アップまでの時間は早ければ早い方がいいとされる。求められるのはとにかくスピード。取材でサッカースタジアムに行けば、試合の流れだけを追う記事を書き上げている記者を何人も見る。

 僕自身もそうした仕事をしたことがあるが、そうなるとハーフタイムにある程度原稿のストーリーを絞り込み、後半途中には目処をつけなければならなくなる。終了前にはほぼ書き終わっていることが求められるのだから、それ以外にやりようがない。

 そして、試合終了のホイッスルが鳴ってからわずか10数分のうちに、早ければ数分のうちにマッチレポートはサイトに上がっていなければならない。日本だけでなく、ドイツメディアでもそうした実情がある。

 関係者から、まずはこのスピードが大事なのだと言われたことがある。

 だから内容的な詳しさはそこまで追求されない。それこそ試合であった事象をほぼ箇条書きのように書き連ねられただけの記事であっても、結果と見出しで興味をひきつけられたら、それなりのPV数を稼ぐことができるのだそうだ。なるほど。

 ただ、試合速報でもない記事にまでスピードを求める風潮があるとなると、少なからず違和感を持ってしまう。

精査を読み手に丸投げしてないか。

 情報の出所はどこなのか。どんな背景からきた記事なのか。その翻訳はあっているのか。どこまで信憑性があるのか。時間をかけて調べる。考察する。様子を見る。

 内容によっては、しっかり調べたところで出所を明かせない事態もある。プライバシーや立場がある。どんなに頑張っても調べ切れないこと、時間的な問題もある。

 そうだとしても、いまは情報、記事を丁寧に扱うという意識が薄れてきて、どんな内容でも「地元紙○○によると」という言葉さえつければ大丈夫、みたいな空気が広がっていると感じるのは僕だけだろうか。

 情報を精査する作業が書き手サイドではなく、読み手サイドに丸投げされている傾向はないだろうか。ライプツィヒの一件はその流れに翻弄されたようにも思える。

ちょっとの間違った解釈で。

 見出しの派手さも影響して、最初は何でもないところから、ちょっとの間違った解釈や翻訳を介すことでずれが生じ、それがSNSを通じて広まり、さらに大きく間違った解釈や翻訳へとつながってしまう。

 それは、ものすごく危険なことだ。

 そうなると受け取る側がそうした事情を多少なりとも理解し、警戒することも大切になる。先入観での決めつけは危ない。見出しに飛びついて信じるのではなく、できるところで自分でも調べてみることが必要だ。

 もちろん、良識あるジャーナリストやメディア媒体だって頑張っている。ちょうどいい塩梅でインパクトのある見出しを熟考しているのもわかる。

 また、こちらがせっかく丁寧に注意深く、いろいろなところに配慮して原稿をあげても、読み手が流し読みしたのか、違う解釈をすることもある。

 書いてあることを読まず、「何々についての言述がない」などと言われることもある。伝えたいことがストレートに伝わらないもどかしさ。せめて、書いてあることはしっかり読んだうえで、反応いただきたいとは常に思っている。

情報過多のいまだからこそ。

 ただ「だから、こっちだって」と場をかき回すのは違うとも自覚している。あえて激しい口調にしたり、不必要に大袈裟な表現にしたり、逆に一部の情報だけを切り取ってという手法は、やはりいかがなものかと思うのだ。

 表現ひとつで伝わり方は変わる。

「ねえねえ」ぐらいのニュアンスだったのが、「おい!」と訳されたら相当イメージは変わってくる。我々は正しい情報を正しく伝えることが第一のはず。玉石混交とよく言うが、そもそも玉が入っているかどうかもわからない、取捨選択することも困難な情報地獄となってしまったらどうしようもない。

 だから、読み手に間違った印象を与えないよう、違ったニュアンスで受け止められないよう気を配ることが大切ではないだろうか。

 情報過多のいまだからこそ――ジャーナリズムは見出しに関しても、記事内容に関しても、「どうすればより多くの人の気を引くことができるのか」より、「どうすれば多くの人に誤解されることなく伝えることができるのか」を、もっと考えるべきではないだろうか。

 自戒を込めて。

(「欧州サッカーPRESS」中野吉之伴 = 文)