『Sports Graphic Number』創刊1000号を記念して、NumberWebでもライター、著者陣による「私にとっての1番」企画を掲載します! 今回執筆いただいたのはスノーボードウェブマガジン「BACKSIDE」を運営する野上大介氏。表現者として“世界一”に輝いた國母和宏の功績を振り返ります。

「『RIDER OF THE YEAR』を受賞できたことは、自分にとってものすごく大きな意味がある。オレの英語はイケてないから多くは話せないけど(一同笑)、これだけは言わせてほしい。スノーボードは最高にクールだ。この賞は自分が突き進んできた人生の確固たる証になるだろう」

 2018年12月14日。世界中から名だたるプロスノーボーダーが一堂に会したステージで、國母和宏は英語でこのようにスピーチした。米コロラド州ブリッケンリッジで開催されたスノーボード界のアカデミー賞に位置づけられる授賞式「RIDERS POLL」において、最優秀選手賞を獲得したのだ。

 同年2月に平昌五輪ハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢の報道は国内で過熱したが、欧米主体のスノーボード界で事実上の世界一として認められた國母の快挙を報じるマスメディアは皆無だった。

 それはなぜか。誤解を恐れずに言えば、日本におけるスポーツとは競技のみを指すからだろう。ハーフパイプやスロープスタイルといった競技スポーツとしてスノーボードは認知されているが、國母はその基準となる順位や得点を一切持っていない。彼は競技者としては第一線から退き、現在は“表現者”としてプロ活動しているからである。

中学生のころから撮影に参加。

 周知の通りだが、國母は2010年バンクーバー五輪で決勝に進出し、同年からUS OPENでは2連覇を果たすなど、ハーフパイプの競技者としても世界トップに君臨した時期があった。

 4歳で初めてボードにまたがった國母少年は小学時代から大会を転戦していた。ただし、その直前にはハーフパイプの練習ではなく、大会に出場する同世代の仲間たちと林の中で戯れながら遊ぶ日々も過ごしてきた。

 2003年、中学2年時にUS OPENで2位となり一気に頭角を現すと、2006年のトリノ五輪でオリンピック初出場。ワールドカップで優勝するなど競技面の活躍で世間から注目を集める一方で、中学3年のときから世界最高峰の映像プロダクションに滑りを認められ、撮影に参加するようになっていた。高校に進学するとバックカントリーでの撮影が本格化し、ひと月以上に渡って海を越えることも。滑走ポイントを見誤れば命を落としかねない大自然の中、言葉の壁を乗り越えながら滑り続けた。

滑走力だけでは通用しない。

 日本人のサポートは一切ない。ビデオテープの中にいた憧れのムービースターたちに交じり、かといって溶け込むことなく、彼らの邪魔をしないようにと車で行く距離にあったスーパーまで食材を求めに歩いては自炊する日々。実力はあれど言葉がわからない日本人高校生の苦労は想像に難くないが、あらゆることをひとりでこなす生活で身についたものもあった。

「撮影クルーに迷惑をかけずに、いい滑りをして映像を残すことだけに集中できていました。滑って、食って、寝て……。プロスノーボーダーとしての生き方を学びましたね」

 当時をこう振り返っていた國母の言葉を思い出す。

 さらに言えば、ルールや制約がないバックカントリーだけに、滑走力だけでは通用しなかった。欧米のブランドがシーンの中心に存在し、ライダーたちはそれらのブランドの広告塔として滑っている。発想力や創造力が重要なのは当然だが、さらにコミュニケーショ力が求められるのだ。

10年かけてムービースターの仲間入り。

 US OPENで2連覇を果たした2011年、撮影を行っていた映像が同年秋にリリースされると、そのビデオパートに対して世界中から称賛の声が集まった。

「欧米にあるブランドからすれば、同じような実力だとしたら移動費などお金がかからない欧米のライダーの方がいいだろうし、言葉の壁も含めてコミュニケーションがとりやすい方がいい。アメリカが中心のスノーボードシーンに日本人として入っていくことが、どれだけ難しいか痛感しました。ここまで来るのに何年かかったんだろう……」

 小学6年生からプロの世界に足を踏み入れて10年あまり。この時、國母はハーフパイプ競技の頂点だけでなく、ようやく“ムービースター”としての地位も手に入れたのだった。

「カズでやりたいって話をもらいました。カメラマン選びもムービーの構成もすべて自由にやっていいからって」

 2017年晩夏。國母の下に当時の世界最大手メディア「TRANSWORLD SNOWBOARDING PRODUCTION」から熱烈なラブコールが届いた。しかも、同プロダクションとしては初のシグネチャー作品。主演・監督を務める映像作品を発表できるということは、Kazu Kokuboの名があれば世界中で売れるという確信がプロダクション側にあったということだ。

150cmの板で表現する“ヤバさ”。

 國母が表現したいスノーボード。それは、人跡未踏のロケーションで繰り出される世界最高峰のバックカントリーフリースタイルである。

 ビッグマウンテンに降り注いだ雪が織りなす自然美に自らをアジャストさせながら、まるでゲレンデ内に造成されたパークを滑るかのようにトリックを繰り出し、崖のような斜面を攻撃的なラインで滑降する。

 気持ちよさや楽しさ以上に、上手さやカッコよさ、そしてヤバさを伝えたい。150cmあまりの1枚の板に乗るだけで、人間はこれほどまで自由に滑ることができるんだという未知なる可能性を示したいのだ。

クリエイターとの信頼関係。

 それらを発信するためには精鋭スタッフを集めることも必要だった。1シーズンかけて世界中の雪山を飛び回り、納得のいく映像作品を生み出すためには、滑り手、撮り手、作り手の三拍子が揃っていないと不可能だということを國母は熟知していた。

 2016年のRIDERS POLLで『VIDEO PART OF THE YEAR』を獲得したが、その映像作品の撮影後に國母は引退をほのめかしていた。万全の状態で臨んだにもかかわらずケガをしてしまい1カ月近く滑ることが許されず、求めていたフッテージを残せなかったことで思い悩んでいた。

 しかし、蓋を開けてみると周囲の反応は好意的なものばかりで、素晴らしいビデオパートとして評価された。國母の表現力は、フィルマーによる映像美とエディターの編集力、演出力が掛け合わさることで、見事な作品に昇華されていたのだ。アスリートでありながらアーティストという側面も持ち合わせている彼らにとって、それらを最大限に表現できるクリエイターとの信頼関係は不可欠なのである。

 世界中で“Kazu”と慕われている國母が世界最高峰のスタッフを束ね、タイトルに『KAMIKAZU』と銘打った作品は、ダントツの票数を獲得して2018年の『MOVIE OF THE YEAR』に選出された。『RIDER OF THE YEAR』とともに2冠を達成し、スノーボード史に残る名作となった。

「唯一無二の存在であるべき」

「自分にしかできない滑りが表現できるメンツを『KAMIKAZU』では揃えました。プロスノーボーダーとは唯一無二の存在であるべきだと思う。そういう存在であり続けたいですね」

 國母が冒頭で口にしていた最高にクールなスノーボードとは、オリジナリティを表現することだ。「出る杭は打たれる」ということわざがあるように、それぞれの個性や意見よりも「空気を読む」といった協調性を重んじる文化が日本にはある。そのため相容れないケースも多いかもしれないが、國母はこれからも自らの道を突き進んでいくはずである。

(「Number Ex」野上大介 = 文)