「どうしよう、どうしようと、わたわたしました」

 出国を巡る出来事を思い出し、笑いながら語るのはクロスカントリースキーの石田正子(JR北海道スキー部)である。

 3月7日にノルウェー・オスロでのワールドカップに出場したあとのことだ。

 新型コロナウィルス感染拡大の影響で次の週からの大会が中止となることが分かり、帰国を決めた。

 3月16日オスロ発、オーストリア・ウィーンを経由する便を予約したが前日にキャンセルの通知が届いた。代替便としてベルギー・ブリュッセル経由が用意された。

 だがその便の出発が遅れた。乗り継ぎのスケジュールはぎりぎりの設定だった。

次の日は日本行きの便が飛ぶか分からない。

「(ブリュッセル行きに)乗ってから、『間に合わないかも』『次の日になったら(日本行きが)飛ぶか分からない』と言われて、そんな、と思いました」

 それでもなんとか間に合い、3月17日に帰国することができた。

「3月7日の時点で150人くらい感染者がいて、それでも大会はやって。初動は、ノルウェーは遅れたと思います。

 でもそのあとは、バスに乗るとき、アプリで事前にお金を払うように指示されて、いつもなら前から乗るのに、『運転手を守るために、運転手に近づかないでください』と後ろから乗ったり」

 迅速にことは進んだと言う。

 その場に身を置いていれば、かなりの緊張と不安を強いられそうなさまざまな出来事を、朗らかに語る。

北欧では国内大会がライブ中継される。

 その強さは、これまでの足取りから培われているように思えた。

 石田は、まぎれもなく、第一人者である。

 クロスカントリースキーにおける日本のエースとして、長年、過ごしてきた。

 石田について触れる前に、その前提として、クロスカントリースキーの競技環境を考慮しなければならない。

 正直、日本では決して注目度の高い競技ではない。ただ、ヨーロッパなどでは異なる。

 特に北欧では国際大会はむろんのこと、国内の大会がライブで中継され、競技会場には多くの観客が訪れる。日本にそうした土壌はない。

 それは競技に直結する部分でも差となって表れる。強豪国は、専用ジェット機で遠征する、あるいは多数のスキー板を並べた大型トラックを持ち、大陸を移動する。チームを支えるスタッフは数十名を数える。

世界の壁がきわめて高い競技。

 日本は選手へのサポート面で大きく下回る。クロスカントリースキーは、ある意味、チーム戦でもある。

 例えば、大会の行なわれるコースの雪面のコンディションに適したワックスをスキー板に施さなければ勝負にならない。でも日本は予算の違いから、合宿など強化に充てられる費用も差がある。

 つまりは、世界の壁がきわめて高い競技であることを意味する。

 その中で石田は戦ってきた。

 競技のための費用が足りないと思えば、企業に自らスポンサーの依頼をしたことがある。海外のコーチに、辞書をひきながら、「いいコーチが私には必要です。いい人を紹介してください」と手紙を書いたこともある。

「世界で戦える」と信じた日本で最初の選手。

 受け取ったイタリア人のファビオ・ギザフィは、のちにこう振り返っている。

「最初は驚きました。でも嬉しかったですね。『世界で戦える』と信じた、日本で最初のクロスカントリースキーヤーじゃないでしょうか」

 そんな行動力とともに、2006年のトリノ大会以降、2018年の平昌まで4大会連続でオリンピックに出場。2010年のバンクーバーではアジア選手として史上最高の5位入賞を果たした。

 世界選手権には2003年以来、昨年まで9回連続出場、数々のレースを走り、6度入賞を果たしている。

 そして今なお、日本のエースである。

「鉄人」と称されることも。

 現在は39歳。今年11月に40歳を迎える。相対的に競技寿命の長い競技ではあっても、石田の競技人生はだいぶ、長くなった。「鉄人」、そんな形容を目にしたこともある。

 当の本人は苦笑する。

「いえいえ……。新しい課題がどんどん出てくるので、それに向かって解決するように頑張ってきての現在だと思います」

 こんなエピソードを語る。2018年、37歳で出た平昌五輪の最後の出場種目、30kmクラシカルを10位で終えた直後、スウェーデン人のワックスマンに、技術面での課題、改善点を指摘されたのだと言う。

「まだできていないこともありますから」

 課題はのびしろでもある。

 歩んでいく中で成長も感じている。

「(2014年の)ソチ(五輪)から何が変わったかというと、例えば、筋力は強くなりました。体重はかわっていないけれど、明らかに変わりました」

 トレーニングの工夫がもたらした成果だろう。

日本のチームが資金不足に陥ると……。

 日本の競技環境ゆえに、困難に直面したこともある。

 一例はソチ五輪後の2014-2015シーズン。日本のクロスカントリースキーチームは、資金不足から、ワールドカップ参戦もままならない状態に陥った。

 石田はどうしたか。

「スキークラシック」というロングディスタンス(長距離)の大会を各国で行なうシリーズに参加するノルウェーのチームと契約し、海外での活動を実現したのである。

 このシリーズは高い人気を誇り、五輪金メダリストなど錚々たる顔ぶれが参加している。

「日本にいてもしようがないので、ノルウェーのナショナルチームの下部組織で教えているコーチに、『ロングディスタンスやってみたいけど、知っているところない?』 と聞いたら、『ここはどうだ』と教えてくれて」

 テスト的に加入し好成績をあげ、正式にチームの一員となった。シリーズ戦に参加しつつ、ワールドカップにも参戦する道を自ら拓いたのである。

クロスカントリースキーの地位を引き上げたい。

 昨シーズンもフィンランド・ルカのワールドカップで9位になるなど、変わらず、日本のエースとして戦ってきた。

 不本意な思いもある。クロスカントリースキーではきわめて重要な要素となるワックスを巡る問題だ。スキー板に塗布するが、ワックスの取捨選択でパフォーマンスは大きく異なる。

「メインになるワックスマンが転んで骨折したんですね。それでずっと大会に来ることができなかった。コーチたちも苦労したけどうまくいかない部分がありましたね」

 だから次へ進むには、万全な態勢を、と願う。

 かねてから、石田はクロスカントリースキーの地位を引き上げたいと語ってきた。

 変わらぬ思いを抱き、成長する自分を楽しみに、今日まで進んできた。数々の困難をくぐりぬけ、競技環境を自ら築いてきた。

 でも自身を語る言葉と表情は、飄々としている。肩肘張らない姿勢は、クロスカントリースキーへの愛着と、だから生まれるエネルギーをあらためて示すようだった。

(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)