日本サッカーの年表に、4月8日に紐づいた記述はない。5月15日と言えばJリーグ開幕、10月28日ならドーハの悲劇といったように、誰もが記憶に刻む出来事があったとは言えない1日である。

 しかしカズこと三浦知良のキャリアを辿ると、4月8日が意味を持ってくる。自身初となるW杯予選に出場したのが、1993年のこの日だったのだ。

 翌年のアメリカW杯出場をかけたアジア1次予選は、日本、UAE、タイ、バングラデシュ、スリランカの5カ国が同グループとなり、日本とUAEで一度ずつ対戦するダブルセントラル方式で行われた。’90年のイタリアW杯出場のUAEと、’92年アジアカップ優勝の日本が、最終予選に進出できる首位を争うと見られていた。

 4月8日は予選の第1戦だった。対戦相手はタイである。

 現在の3分の1にあたる8カ国参加だった’92年のアジアカップで、タイは韓国を破って決勝大会に進出している。このグループではUAEに次ぐ難敵だ。“タイのジーコ”と呼ばれるストライカーのキャティサック・セーナームアンらの若手が台頭しており、33歳のピヤポン・ピウオンもメンバー入りしていた。ピヤポンは’84年4月のロス五輪アジア・オセアニア最終予選で、日本相手にハットトリックを達成したタイの伝説的FWである。

 ‘84年の日本はタイ戦の黒星スタートでリズムを失い、4連敗でロス五輪出場を逃した。ピヤポンという名前は、9年前の忌まわしい記憶を呼び起こすものでもあった。

松永、都並、柱谷、堀池、井原、吉田。

 神戸ユニバー記念競技場は、ひんやりとした空気に包まれていた。4月上旬にしては肌寒い夜である。日本の選手たちは、全員が長袖のユニフォームを着る。

 オランダ人のハンス・オフトが率いる日本のスタメンでは、GK松永成立、DF都並敏史、柱谷哲二、堀池巧、井原正巳、MF吉田光範がW杯予選を知る選手たちだ。W杯予選は初めてとなるカズ、ラモス瑠偉、福田正博も、アジア大会やアジアカップを戦ってきた。

センターサークルからのシュート。

 チームとしても個人としても経験を積んできているが、W杯予選の緊張感は特別である。動きは明らかに固い。自身3度目のW杯予選出場となる左サイドバックの都並は、試合後に「背筋に鉄板が入ってたみたいだった」と振り返るのだ。

 19時05分にキックオフされた試合で、最初にシュートを記録したのはカズである。2トップのパートナーとなる高木琢也がキックオフすると、センターサークル内からすかさずゴールを狙ったのだ。カズもまた「試合前のピッチに立ったら、思わず武者震いがした」と話したから、自身の緊張感を振り払うための一撃だったのかもしれない。

 日本が攻め、タイがしのぐという試合の構図は、戦前の予想どおりである。ポイントはどのタイミングで先制できるか。スコアレスのまま時間が進み、焦りが忍び寄ってくるまえに得点を刻みたい。

まだチャントの文化は確立されていなかった。

 果たして、カズが相手の守備をこじ開ける。

 29分、守備的MFの森保一が右サイドハーフの福田へパスをつなぐと、ペナルティエリア内で背番号11が「来い!」と叫ぶ。

 福田はパスを受けてからルックアップせず、カズのポジションを確認していない。それでも、ソフトタッチのラストパスは、ペナルティエリア左へ侵入した背番号11へつながる。

 福田にしてみれば、難しいパスではない。

「知良が呼ぶ声が聞こえたから、狙って蹴ったんだ。あの場面でシュートを狙うとしたらあそこしかないから、どこにいるのかは分かるんだよ」

 すでにサポーターと呼ばれる存在は登場していたが、絶えずチャントを歌う現在のような応援スタイルは確立されていない。4万人の観衆がチアホーンを吹き鳴らすのは、福田がパスを出した直後だった。声による意思の疎通は、ギリギリで成立したのだった。

ウイングだったカズがストライカーに。

 福田のパスはカズに通ったものの、シュートへ持ち込むのは簡単でない。ワンバウンドしたボールは、前ではなくやや手前へ跳ね上がる。 

 ここでカズが、鮮やかな修正能力を発揮する。歩幅を細かくして足を振り切れる空間を作り出し、左足ボレーで逆サイドネットへボールを運んだのだ。

 1990年夏にブラジルから帰国した当初、カズのポジションはウイングだった。読売クラブでも日本代表でも、点取り屋ではなかった。’91年にトッテナムから2ゴールを奪った試合でも、ウイングの性格を色濃く残していた。

 それがどうだろう。’92年春にオフトが代表監督に就任すると、ストライカーへ変貌していく。8月のユベントス戦、11月のアジアカップ対イラン戦、’93年3月のアメリカ戦と、大観衆の前でゴールを決めることで自らをアップグレードさせていった。

 特筆すべきは得点パターンである。プロフィールでは右足が利き足になっているが、左足のシュートやクロスも精度が高い。両利きと言っても差しつかえない。

 ‘93年当時は少なかったヘディングシュートも、やがて例外的ではなくなっていく。どこからでもゴールを奪うことのできる幅広さは、肉体的な強さや速さを武器としない彼が、アジアでも抜きん出たゴールゲッターとなっていった理由にあげられるはずだ。

「これでみんなが乗ってくれるといいね」

 カズが得点をあげることで、観衆が沸き立ち、チームが勢いに乗る。スタジアムがホームの色に染め上げられていく。

 それがまた、カズの勝負強さに磨きをかける。自身への期待をモチベーションに変換し、得点を積み上げていったのだ。

 タイを1-0で退けた試合後、カズは言った。

「これでみんなが乗ってくれるといいね」

 日本にとっての勝ちパターンと呼べるものが、このタイ戦から作られていったのである。日本は7勝1分けで1次予選を通過した。

(「サッカー日本代表PRESS」戸塚啓 = 文)