スポーツ界で相次ぐ、大会中止。日本のみならず世界の危機であり、今は我慢の時期。命のためだ。異論はない。

 だが、それでも嘆きはある。

 3月23日。ジェイテクトSTINGSの公式ホームページ、公式Twitterで発表された、セッター・中根聡太の退団。約1カ月前には無観客で行われたVリーグ決勝で、パナソニックパンサーズとのフルセットに及ぶ激闘を制し、優勝セッターとして歓喜の輪の中で喜ぶ姿を見たばかりなのに。

 また悪い癖が出る。退団、引退は覆らないとわかっていても、浮かぶのは「たら」「れば」ばかり。3月25日から29日まで天皇杯・皇后杯バレーボール選手権大会が行われるはずだった。もし予定通り、開催されていたら、ユニフォーム姿で送り出すことができたじゃないか、と。

MVP西田を支え、石川とは同級生。

 突然の「退団」発表。

 誰しも決断に至る背景はあるが、きっと報告を受けた多くの関係者やファンが最初に抱いた感情は、寂しさを除けばおそらく「なぜ?」ではないだろうか。

 まだ24歳。ようやく今季ジェイテクトでレギュラーセッターとしてコートに立ち続け、MVPを受賞した西田有志との鉄壁の攻撃ラインを構築した。加えて言うならば、小学校、中学校、高校では石川祐希と誰より長い時間、共にプレーしてきたセッターも中根だ。

 日本代表で活躍が期待される2人のスパイカーと、一度のみならず「優勝」を成し遂げたセッター。見据えるべきその先は、指導者の道である前に、日本代表であってもいいのではないか。それは決して、淡い願望ではないはずなのだが、「一度も考えたことすらない」と言うのは、他ならぬ中根自身だった。

「高校の時に竹内(裕幸)先生から『お前はそんな選手じゃない。ここで終わる選手だ。だから、お前がトスをあげて育てた選手がオリンピックに出れば十分じゃないか』と言われたんです。その時はムカつきましたよ。俺の人生、勝手に決めるなよ、って(笑)。でもだからこそ反骨心が芽生えたし、それも俺の役割なのかな、とも思ったんです」

中根が見つけた生きる道。

 教員になりたい、指導者になりたいと思い始めたのは中学生の頃。小学校、中学校と全国大会に出場するいわばエリートだった。当然ながら幼心に「バレーボール選手になりたい」と夢見たこともあったが、父は「バレーボールで食っていけるほど甘い世界じゃない」と現実を説く。ならば自分がバレーボールに携わり、生きる道は何か。そこで見つけた答えが「教員になること」だった。

 愛知・星城高校入学時にも「将来は教員になりたい」と言い、地元の大学進学を希望していたが、同級生の石川や川口太一、武智洸史など、今も幅広い場所で活躍する面々と共に2、3年時にはインターハイ、国体、春高の三冠を2年連続で制し、六冠を達成。卒業後は筑波大へ進学し、そこでも1年からレギュラーに。大学でもコツコツ地道な努力を重ね、インカレでも二度準優勝を果たした。

 学生時代の華々しい戦績を残し、卒業後はそのまま教員になり、指導者としての道を歩む。その選択肢がなかったわけではない。だが、1人のセッターとして将来を目指さないか。地元・ジェイテクトからの誘いを受け、もう少し選手としてのチャレンジを続けたい、とVリーグの門を叩く。入社1年目の2018年5月には、黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会で決勝進出。これまた十分すぎる成果ではあるが、本来の力ではない。中根はそう言う。

「僕だけじゃなく西田や郡(浩也)、若い選手の勢いもあって決勝まで行けましたが、結局厚みはなく薄いから2位止まり。だからその次のシーズンが苦しくて、自分の中で『来シーズンがラストだ』という気持ちになったんだと思います」

2018/19シーズンはベンチすら入れず。

 人生で5本の指に入る。

 そう断言するほど、昨年の2018/19シーズンは中根にとってはまさに「壁」と言うべき、苦しい日々だった。

 Vリーグが開幕しても試合に出ることはおろか、ベンチにも入れず、試合前の公式練習でスパイクを打つ選手のボールをジャージ姿で拾った。それもトップリーグの選手である以上、避けられない経験ではあるが、中根のバレーボール人生を遡ると、これほど試合に出られなかった経験はない。

 自意識過剰だと思いながらも、自分の姿を見に来てくれたファンや母親、その人たちはこの自分の姿をどう見ているのだろう。不甲斐ない自分に腹が立つと同時に、情けなくて仕方がなかった。

 恩師である竹内監督から「そろそろ戻ってこないか」と打診されたのも、同じ頃。嬉しさと、選手である今抱く悔しさと、自分にできるのかという不安。さまざまな感情が入り乱れた。だが、石川や深津旭弘、深津英臣、すでにコーチとして実績も積む深津貴之など、そうそうたる卒業生がいる中、「お前にやってほしい」と託される幸せ以上のものがあるか。

 自ずと、覚悟は決まった。

「この1年にかけよう、と。でも、やると決めたら、今ここで結果を残せなければ意味がないし、成長できたとは言えない。何が何でも結果を出そう、と自分の中で断固たる決意ができました」

経過より結果にこだわる。

 迎えた最後、2019/20シーズンは練習への取り組み方からガラリと変えた。「ヘタクソな自分は誰よりも練習をしなければ」と前のめりで練習の量ばかりにこだわった1年目の反省を活かし、あえて「練習しない」ことにも重きを置いた。

 これまでならば、指にかかる感覚や1本1本の質、「何かおかしい」と思えば、できるまで練習した。そうしなければ不安だった。だが、いつしか「練習する」ことが目的となり、「これだけやった」ということに満足するばかりで、どれだけ「できたか」の成果に目を向けていないことに気づいた。

 今自分がこだわるべきは、経過よりも結果。自主練習ではなく、全体練習で100%を出し切るべく、セッター出身の細田寛人コーチに1本1本トスの質や精度に対する評価を求め、練習試合から細かく出される数字と向き合った。セッターごとに出される、すべてのスパイカーに対するスパイク決定率、効果率と、出場したセットや試合の勝率。何よりわかりやすく示される「結果」で、チーム内のトップでいなければならない。

 そのためには、トスの質や精度はもちろん、誰をどの場面で使うことが効果的で、決定率を高めることになるのか。熟考を重ねた末、夏場の練習試合で手応えをつかみ、Vリーグ開幕直後の2戦目、途中出場したサントリーサンバーズとの1戦で「やってきたことは間違いではない」と確信を得た。

「完璧に近いゲームメイクでした」

 そして、重ねたすべてが理想的な形で発揮されたのが、ラストゲームとなった今年2月のパナソニックとのVリーグ男子決勝戦。そこで見せた中根のゲームメイクを、ミドルブロッカーの金丸晃大はこう称えた。

「今までの試合ならば僕に対してこの場面はAクイック(のトス)が来る、という状況でも相手の反応を見て、絶対に使ってこなかった。その代わり、同じ局面で徹底してサイドを使い続けました。だから相手は終盤になるとそれまでが布石だと見て“そろそろ(Aクイックが)来るだろう”とマークしてくる。そこで中根はBクイックを使うから、フリーで打てるし、また次にサイドが活きる。自分がどうしたいとか、自分の良さを出すのではなく、チームが勝つためにどうするかに徹していた。いい意味で、セッターが全然目立たない、完璧に近いゲームメイクでした」

勝つたびにやっぱりいいな、と。

 優勝を置き土産に、次のステージへ進む。

 これ以上、完璧なフィナーレがあるだろうか。

 そう心から称える一方で、また異なる感情も抱く。

 もっとできるのではないか。せめてあと1年、いやもう2年。だが、そんな欲目も中根には、きっぱり否定する理由がある。

「確かに、勝つたびにやっぱりいいな、と思っちゃうんです。もう少し、という思いも何度かよぎりはしました。でも最終的には、僕が現役として続けてもバレーボール界に残せるものってあんまりないんじゃないか、と。これは勝手な思い込みかもしれないですけど、僕はトスの技術や精度、人間性で関田(誠大)さんと深津(英臣)さんには100%勝てない。今、Vリーグで出ているセッターは小さな選手が多くて、大きい選手がなかなか出てこない現状も考えた時、自分が出るのではなく、指導者になってそういう人材を育てるのもいいかな、そのほうが価値はあるんじゃないか、と思ったんです」

「将来は子供を聡太に預けたい」

 春は別れの季節。そして、出会いの季節でもある。

 小学生からここまで、バレーボール選手として歩んだ人生を振り返り、浮かぶのは数多の出会い。「いいスパイカーに恵まれた」「いいリベロがボールをつないでくれた」「いい指導者に教えてもらえた」。口を開けば感謝、感謝しかない。

 だが、どれほど個性の強いチームの中でも、勝つことに貪欲で、そのための努力を重ね、コートでは強気。かつ献身的で、チームを束ねるリーダーシップ。セッターとして、1人の選手として紛れもなく、中根聡太は唯一無二の存在でもあった。

 それは、退団、引退が発表された日、同級生や先輩、下級生、多くの仲間が「将来は子供を聡太に預けたい」とそれぞれのSNSに記し、新たな道へ進む、中根を送り出したのが、何よりの証でもある。

「僕はバレーボールが大好きなのでバレーボールの人口、バレーボールを見てくれる人が増えてほしいと本当に思っていて、西田や石川、ワールドカップのおかげでたくさんの人に見てもらえる今を本当に幸せだと思っています。でも、選手として過ごしても、教員として過ごしても1年の時間は一緒。それならば僕は早く指導者になってキャリアを重ねたい、と思ったので次に進むことを決めました。また、一から勉強です」

 桜が咲き誇る4月。六冠を達成した母校・星城高で、今度は選手ではなく先生として新たなスタートを切った。

 我慢の時を乗り越え、再び開幕するVリーグのコートでジェイテクトのユニフォームを着てコートに立つ姿は見られなくとも。彼に憧れ、彼を慕い、彼が育てた選手がいつか同じ場所に立つ。

 また来年、美しく咲く桜を心待ちにするように。中根“先生”のこれからを描く。そんな楽しみ方も、きっと、悪くないはずだ。

(「バレーボールPRESS」田中夕子 = 文)