新型コロナウィルス感染拡大により、思わぬかたちでフィギュアスケートの2019-2020シーズンは急な終わりを告げた。しかし中途で終わったとはいっても、選手たちがそれぞれに挑んだ試みが色褪せることは決してない。それはこの人、羽生結弦もまた同じである。

 羽生結弦の今シーズンの出発点は、すでに昨シーズンにあったと言えるだろう。昨年3月、さいたまで開催された世界選手権を銀メダルで終えたあとに、羽生はこう語った。

「強くなりたいです。そのためにはもう、練習しかないです」

 大会を終えた瞬間、もう先へと目を向けていた。言うはやさしい。その通り行動できるかどうかに真価が表れる。羽生は言葉だけではないことを早々に示した。昨年のオフシーズン、5月から6月にかけて行われた「ファンタジー・オン・アイス」に出演したが、ショーを終えたあとにスケーターたちがジャンプを跳んでみせる恒例の「ジャンプ合戦」で、羽生は4回転ルッツに挑み続けた。

 そして幕張、仙台に続く3つめの開催地である神戸の公演最終日に、約2年ぶりに4回転ルッツを成功させた。その挑戦が「次」を見据えての取り組みであるのは明らかで、一時も無駄にせず向上を目指す羽生の強い意志を、あらためて思わせた。

ついに成功させた4回転ルッツ。

 その成果は、今シーズン発揮された。優勝こそならなかったが、昨年12月のトリノでのグランプリファイナルのフリーで、ついに4回転ルッツを投入し成功させたのである。

 そして続く四大陸選手権では、ショートプログラム、フリーともにプログラムを変更。平昌五輪シーズン以来となる、ショート『バラード第1番』、フリー『SEIMEI』を再演することを決意した。その経緯は、発売中のNumber PLUS 2019-2020シーズン総集編号でも記したが、やはり、羽生が向上心の塊であることを感じさせる決断だった。

追われる立場か、追う立場か。

 向上心――どこまでも高みを目指す姿勢を、羽生はこれまでずっと示し続けてきたが、今シーズン、象徴的な言葉があった。昨年11月、NHK杯で優勝したあとの取材での言葉だ。今は追う立場、追われる立場、そのどちらであると捉えているのか、そうしたニュアンスの質問に答えた。

「まあでも、常に追ってます。今はたぶん全世界がスケートカナダの演技ですかね。スケートカナダの羽生結弦の演技をたぶん追ってくると思うんですよ、ただ、それは僕自身も一緒で。僕もあの演技を超えたいし、あの点数を超えたいってすごく思うので。常に追っているんだなという風に思いますし」

「自分の根源にあるものはたぶん……」

 さらに、自身が考える羽生結弦は、どんな存在、どんな選手なのか、という質問にはこう答えた。

「あのー……。僕の中で9歳の自分とずっと戦っているんですよ。9歳で初めて全日本ノービスを優勝したときの、もうなんか自信しかない、自信の塊みたいな自分がいて。そのときの自分にずっとなんか、『お前、まだまだだろっ』って言われているような感じがしてるんですよね。

 だから、ほんとうはそこまで行きたいんですよね。あの頃の、自信の塊みたいな。何だろう、だんだん大人になっていくにつれて、いろんな言葉とか、いろんなものごととか、社会のルールみたいなものに、やっぱり縛られていくじゃないですか。それに、だんだん自分たちが意味づけをしていく。子どもの頃って、そういうのは何もなくて、ただやりたいことをやっていて、ただ自分自身が心から好きだなって思うことだったり、何だろう、自信があるなと思うことに関して、すごく素直でいられたと思うんですよね。

 自分の根源にあるものはたぶん、そういう、なんか……、何だろう、本当に自分の心からやりたいもの、心から自信を持てるものというものをスケートで出したいんですよ。たぶんそれが、たぶんいちばん強いときの自分なんですよ。それになりたいって思って。その小さい頃の、何でもできると思っていた頃の自分が融合したら、最終的に羽生結弦だって言えるのかなっていう風に思ってます。それがたぶん理想像なんです」

 長くなったが、極力そのまま、言葉をつづった。

自分と向き合う作業から逃げない。

 ときに考えながら、絞りだすように語った言葉が伝えたのは、理想像を自身の中に思い描き、追い求める姿であり、戦う相手が自分にほかならないという事実だった。

 超えていきたい、さらに成長して進んでいきたいと願う対象は自分自身だった。今も変わらぬ向上心の源が、そこにあった。

 考えてみれば、自分と向き合う作業こそ、怖い。自分の弱さや課題を認め、克服しようとする行為は容易ではないし、往々にして、目をそむけたくなる。他者へと矛先を向けがちだ。しかし羽生は、逃げることなく、自分と向き合い、自分を超えていこうとしてきた。その結果が、今日の羽生を育んできた。

 あらためてその営みの困難さと、実行してきた努力の深さを思わせたのがNHK杯での言葉であったし、今シーズンの試みであった。

世界選手権はなくとも。

 今シーズンの集大成となる世界選手権という場はなくなった。でもこれまでの歩みと同様に、すでに目線は新たなシーズンへと向かっているはずだ。新型コロナウィルスの影響により、拠点であるクリケットクラブをはじめカナダのスケートリンクは閉鎖されている。そんな困難をも乗り越えようと取り組んでいるだろう。

 新たなシーズンが始まったとき、どのような姿で氷上に向かうのか。楽しみにならざるを得ない今シーズンであった。

(「Number Ex」松原孝臣 = 文)