2019年夏のフランス大会で、女子ワールドカップではじめてVARが導入された。筆者(田村)は、大会終盤に行われたセピエルルイジ・コリーナFIFA審判委員長の総括会見に出ようと、会見場へ向かうべく早朝にTGVに乗車したのだが……なぜか目的地を大きく外れ大西洋岸のブレストという街に着いてしまい、会見には間に合わなかった。

 伝え聞いたところによると、コリーナはVARについて改善の余地はあるとはいえほぼすべてに満足していたという。同じポジティブさは大会全体の総括会見におけるジャンニ・インファンティーノFIFA会長にもうかがえた。FIFAが鳴り物入りで導入した新テクノロジーを、自ら否定するような総括をするはずはないのだが、ネガティブ面も多く目についた筆者(田村)には、あまりに楽天的であるように映った。

 VARが判定の精度を高めたのは間違いない。それとともに解決されない問題、新たな問題が出現した。今季からJ1においてVARを導入された日本でも、そして世界的に見ても、それはおおむね不可逆的な進化の方向として捉えられているように思う。

 しかし、本当にそうであるのか……。

 VARの目指す方向にサッカーの進化はあるのか。『フランス・フットボール』誌は根本的な疑問を提示する。前提にあるのは人間性への回帰、人間のスポーツであるサッカーの根幹の部分を、テクノロジーに委ねることへの疑念である。AIがこれだけ進化し人間を凌駕するようになった今日、はたして囲碁や将棋やチェスを人間がプレーする意味がどこにあるのかという議論と通底する問題がそこにはある。

『フランス・フットボール』誌の答えが否定的であるのは、以下に掲載するジャンマリー・ラノエ記者のレポートを読んでいただければ明快である。それが正しいのか否か。読者の皆さんもじっくりと考えていただきたい。

監修:田村修一

「道具がレフリーを指導するように」

 昨季、リーグアンに導入されたビデオアシスタントレフリー(VAR)には、ここまでほとんど誰も満足していない。『フランス・フットボール』誌では、かつてのレフリーたちに、いったいどうすればVARを進化させることができるのかを聞き取り調査した。その答えは、穏便なものからラディカルなものまで多様であった。

 元国際主審のトニー・シャプロンは、現在はカナル・プリュス(フランスのテレビ局)の解説者を務めている。リーグで毎週のように論議の的となる判定を下すVARについて、彼は次のように語る。

「(VARの導入で)力関係が逆転してしまった。レフリーが道具を活用するのではなく、道具がレフリーを指導するようになってしまった」

ビデオの介入する場面がどんどん増えている。

 国際サッカー評議会(IFAB/サッカーのルールの制定などに携わる機関)が定めたVARの介入要件は以下の4つの場合に限られる。

 得点かどうか、ペナルティキックが与えられるべきか否か、レッドカードに値する行為かどうか、反則行為を犯した選手の特定が誤っていないかどうか、である。

 オフサイドに関して判定はより厳密になり、ペナルティエリア内のハンドについてもビデオの介入する場面は多く、それがまた議論を呼んでいる。

「今はまだ規則を変更するときではない」

 審判部長であるパスカル・ガリビアン(編集部の質問に対し、公に回答することは拒否)は、第11節終了時点でおおむね肯定的な総括をしている。

 VARにより70%の誤審が訂正され(343の場面でVARが介入し、36の判定が明らかな誤りであると指摘され、25の明確な誤審が訂正された)。主審の確認を必要としなかったVARの介入によるプレー中断時間の平均は98秒で、主審がモニターで確認した場合は153秒であった。

 ただ、そうした時間のロス以上に、VARはネガティブな印象を観客や選手、スタッフなど、試合にかかわるすべての人々に与えている。かつてのレフリーで、現在はレキップTVの解説者を務めるサイード・エンジミは、アイロニカルな口調でこう指摘する。

「今日、クラブの会長たちは、VARはビッグクラブのために役立っていると語っている。以前の彼らは、レフリーの助けになるだろうと言っていたのに!」

 昨年末に国際サッカー評議会は、事務局長のルーカス・ブルドを通じて、VARが介入するのは「明確な」誤りが判明する場合のみであることを繰り返し確認した。ブルドはこう続けた。

「今はまだ規則を変更するときではないと考えている。ここでは原則のみを喚起したい。当初の判定が100%の確信を持って無効とされるのでなければ、それはそのまま有効とすべきだ」

「どう解釈するかはVARに頼るべきではない」

 VARを改善していかねばならないのは明らかだが、奇跡的な解決策がないのであれば、これまでのように主審と審判アセッサー(審判を評価するスタッフ)の判断を尊重すべきであると多くは考えている。

 3度のワールドカップ(1986年、1990年、1994年)に主審として参加したジョエル・キヌーがこの立場である。

「オフサイドとハンドのふたつのプレーが混乱を招いている。オフサイドの場合、今は疑わしい場面ではプレーを継続させ、VARが判定を下すまでに大きなタイムラグを生じることがしばしばある。微妙なケースでは、副審の判定を信頼すべきではないか。以前はそうした場合、副審は攻撃側の立場を尊重して判定を下していた。

 ハンドに関しての多くは解釈の問題だ。そしてどう解釈するかはVARに頼るべきではない。何故ならそれはピッチ上の問題を画面上に移し替えたに過ぎず、論争を引き延ばしただけであるからだ」

 この問題の移し替えこそは、VARによって引き起こされた欠陥のひとつである。判定のための中断時間は最短に縮めるべきだが、スローで鮮明な画像を再生できる状況では、ピッチ上の主観性について規則化することなど不可能であるからだ。

VARに完全依存してしまう審判の可能性も。

 VARが審判の判定を覆し続ける現状では、審判への評価は下がるのみである。サイード・エンジミはその点に関して次のように述べる。

「私が今も現役の審判だったらば、《戦略的に》判定を下していくだろう。つまりビデオで確認するために、あらゆる場面で笛を吹く。すべてをビデオに委ねれば、誤審を犯す余地がなくなるのだから」

 さらに彼はこう続ける。

「すべてを機械的におこなえば、100%完璧に仕事をこなせるはずだがそんなことは現実には不可能だ。どんなストライカーもシュートを100%決めることができないように。不確かな領域を残すべきだし、審判も人間であることを認めるべきだ。そうでないと限界に突き当たる」

ゴールラインテクノロジーのような精度に達するのか?

 VARと審判の整合性を高めるためには、最善の判断と、観客を含めたすべての人々の最善の理解を一致させることのできるある種の憲章が必要であると、元審判で現在はスポーツメディア『RMCスポーツ』で解説者を務めるブルーノ・ドゥリアンは言う。

「オフサイドかどうかを急ぎすぎず、かといって3分半もかけずに判定することの間のバランスをとる必要がある。最終的な判断を下すのはピッチ上の審判だが、ビデオアシスタントレフリーはハンドとオフサイドに関して解釈の基準を作成すべきだろう。

 例えば恣意的ではないハンド--身体にボールが触れた後に腕に当たったような場合もPKが与えられるというのが合意事項となれば、サッカーはより画一的な方向へと進んでいく」

 オフサイドは副審の最大の懸案のひとつだが、エンジミもドゥリアンもVARに期待を寄せながらも過大な幻想は抱いてはいない。

「カメラの数を増やすことで、ゴールラインテクノロジーのような精度に達することもできるだろうが、実現に向けては様々な問題がある」とエンジミは語る。

 ドゥリアンはさらに突っ込んだ議論を展開する。

「10~15cmのグレイゾーンを設けるべきだとの主張があるように、たとえ確実ではなくともその範囲では副審の下した判定を覆さない。私が思うにVARは問題を置き換えているだけだ。つまり15cmまでなら、16cmならはどうするのか? ということだ。他方で判定を下される方も100%の確信があるわけではない。オフサイドはボールが蹴られる瞬間の位置で判断されるが、100分の1秒の違いをカメラはどう捉えるのか?」

 これらの議論から導き出されるのは、VARにばかり頼らず人間の判断にもっと信頼を置くべきであるという結論である。

「一番の解決策は廃止することだ!」

 キヌーは語る。

「過去においてリーグアンでひとつの節にどれだけ判定が問題になったか。せいぜい4つか5つだった。VARの介入は明らかな(誤審の)ケースだけに限るべきだ」

 エンジミも同意する。

「誰の目にも明らかでない場合には、レフリーの判定に委ねるのがいい。そうでないとこの問題から抜け出せなくなる」

 よりラディカルな意見に与するものもいる。ブルーノ・ドゥリアンがそうである。

「どうすればVARを進化させられるのか? 一番の解決策は廃止することだ!」

「この胡散臭いテクノロジーはどこで生まれた?」

 トニー・シャプロンも同意見である。

「私の解決策はとてもシンプルだ。ただちにVARを完全撤廃する。実験はほろ苦いものとなっている。奇跡的な解決方法でないことがわかったにもかかわらず、VARがまるで完全無欠であるかのように見なされている。

 この胡散臭いテクノロジーはいったいどこで生まれたのか。私が思うに起源は1994年のアメリカ・ワールドカップだ。

 当時の大会組織委員会は、他のアメリカのメジャースポーツ同様に、テレビ中継の合間にコマーシャルを挟み込めるように4クォーター制で試合をおこなうことを提案した。もちろんFIFAは拒絶したが、それがすべての始まりだった。FIFAもUEFAも、VARがビデオ判定を下すまでの間にCMを挟み込めないか検討している。公正さの追求の名のもとに導入されたが、VARが真に目指しているのはテレビ放映における利益の拡大だ。

 このシナリオを正当化するために、審判による判定が危機的な状況に陥っていると人々に信じ込ませようとしているが、それは欺瞞に過ぎない。VARは何も解決しない。問題をずらしているだけだ。ところがスポンサーを目にする機会はずっと増えている。シャツ広告やピッチサイドの看板ばかりではない。本当にあらゆるところ、あらゆる場面でだ!」

(「フランス・フットボール通信」ジャンマリー・ラノエ = 文)