近年、「睡眠」が多くの人の関心を集めている。睡眠は誰もが取らなければならないし、何かと忙しい現代人にとってその質、量を確保するのは大きな課題だ。西野精治先生は米スタンフォード大学で睡眠・生体リズム研究所の所長を務めており、長年、良質な睡眠の取り方について提言してきた。今回、株式会社ブレインスリープの代表取締役兼最高医療責任者として来日している西野氏に、スポーツと睡眠の関係について話を聞いた。(聞き手:田中大貴)

--そもそも、スタンフォード大学がスポーツと睡眠の関係に着目したのはなぜでしょうか。

 私の師でもあり、「スタンフォード大学睡眠研究所」を立ち上げたウィリアム・C・デメント教授という睡眠研究の第一人者が、スポーツが非常に好きな方で、大学のバスケットボールチームやフットボールチームの支援をされていました。大学生アスリートは練習だけでなく勉強もしなければいけないし、遊んだり、デートしたりと忙しい。寝不足の選手も多いんじゃないかと、着目したのがきっかけでした。

--適切な睡眠を取ると、運動能力は上がるのでしょうか。

 デメント教授の有名な実験で、男子バスケットボール選手10人を40日間、毎日10時間ベッドに入れて、それがコートでのパフォーマンスにどう影響するか調査したものがあります。コート反復80m走のタイムとフリースロー、3ポイントシュートの成功率を毎日記録したところ、40日後には平均で80m走のタイムは0.7秒縮まり、フリースローは0.9本、3ポイントシュートは1.4本も多く入るようになったんです。

 もちろん、選手はこの間、毎日の練習でパフォーマンスが上達した可能性もありますが、スタンフォード大学の選手はセミプロレベルの一流が集まっていますから、特に練習内容を変えていないのに全員が突然レベルアップするというのは考えにくい。さらに、タブレット端末を使って図形が出るたびにボタンを押してもらうというリアクションタイムの評価でも、反応性が良くなったのです。

--実験後、選手たちはどうなったのですか。

 一部の選手で実験後のデータもとれているのですが、10時間睡眠をやめたところ、それらの選手たちの記録は実験開始前の水準に戻ってしまいました。これは睡眠によって選手の集中力、思考力が高まっていたと言えそうです。実際に実験中の選手からは、「すごく調子がいい」「ゲーム運びがよくなった」という声も出ていましたから。

理解したい時差ぼけの仕組み。

--最近は、試合直前に仮眠を取る選手も増えています。

 夜、十分に眠ることができていれば、仮眠の必要はないと考えられていました。

 しかし、最近は睡眠時間を充分確保できない選手も多いので、その考えが見直され始めています。確かに仮眠を取れば、一時的に反応性などのパフォーマンスが上がることは間違いないです。ただ、スポーツと最適な仮眠についてはまだ研究が及んでいないところが多いです。

--海外を転戦する競技の選手は、時差とも戦わなければなりません。

 1時間の時差を治すのに約1日かかるので、7時間の時差がある国への遠征であれば本当は7日以上前に現地入りするのが望ましいです。それだけ早く移動するのは、大きな大会じゃないとなかなか難しいと思いますが。

 体温などの体の日内リズムとパフォーマンスは相関関係にあります。体温が低い夜中の3時頃は、リアクションタイムが最も落ちます。時差ぼけは、時差のある地域に短時間で移動することによって体温などの固有のリズムと現地での就寝や活動時期が同調しなくなることが原因で、 1日1時間程度の修正能力しかありません。

 また、渡航地との時差の方向と幅により、時差の修正は前にずれていく場合と後ろにずれる場合がありますが、時間を前にずらすほうが遥かに辛く、その修正の速度も遅いことが知られています。こういった時差ぼけの仕組みを理解していると、現地での睡眠や競技パフォーマンスの向上に役立ちます。

負債は溜まっても、貯金はできない。

--オフの日の「寝だめ」に効果はありますか。

 実は、睡眠時間というのは足りない分が負債として溜まっていくことがわかっています。これを「睡眠負債」と呼んでいます。

 1990年代の実験ですが、健康な8人を毎日14時間、無理やりベッドに入れた実験があります。彼らの普段の平均睡眠時間は7.5時間でした。実験開始当初は13時間近く眠れていたのですが、徐々に長く眠れなくなってきて3週間後には8.2時間に固定されました。この8.2時間がこの8人が生理的に必要な睡眠時間であると言えます。ということは、普段7.5時間しか寝ていなかった彼らは1日約40分の「負債」を抱えていたことになります。

 長期にわたる1日40分の負債を返済するためには14時間もベッドに入っていることを、3週間も続けなければならなかった。つまり、1日や2日の「寝だめ」では、睡眠負債は解消されない。さらに睡眠が厄介なのは、「負債」にはなっても「貯金」ができないことなんです。また、時差調整でもそうですが、睡眠時間を後ろにずらすのは比較的簡単なのですが、前倒しするのは難しい。「今日は早く寝よう」と思っても、思い通りに寝つけないことが多いんです。

良い睡眠の鍵は「最初の90分」。

--なるほど……そうなると、ハードスケジュールな選手ほど睡眠不足の解消は難しそうですね。

 とはいえ毎日14時間もベッドに入ることは現実的ではないので、そういう人には「最初の90分」を大事にするように言っています。簡単に言ってしまえば、睡眠の質は眠りについてから最初の90分で決まりますから。

プロ野球選手は「とっとと寝なさい」

--スポーツ界ではアメリカの方が日本よりも睡眠への意識は高いですか。

 デメント教授の実験の影響もあり、理解はアメリカやカナダの方が進んでいますね。ヤンキースのキャンプでは、球団が選手向けに「睡眠をしっかり取りましょう」という教材ビデオを作成して見せていました。日本のスポーツ界では、特にコーチ陣の関心が高まってきていると感じます。日本人は睡眠において、どの統計を見ても世界一水準が低いので、スポーツに限らずビジネスマンも、もっと睡眠を大切にしてほしいですね。

--ところで、西野先生は大阪出身の阪神ファンだそうですが、もしも先生が阪神の監督になったら勝つためにどんな指導をしますか。

 ナイターが終わったあと、飲み歩かないように徹底しますね(笑)。お酒はビール程度にして自宅で適量飲んで、とっとと寝なさいと。プロ野球は夜の試合がほとんどですし、ナイター照明に使われているLEDのブルーライトには覚醒効果もあるので、 プロ野球選手はより、睡眠、日内リズムの自己管理が重要だと思います。

(「All in the Next Chapter」田中大貴 = 文)