<新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡(3)>

大相撲春場所を11勝4敗で終えた関脇朝乃山(26=高砂)が、富山県出身では太刀山(横綱)以来111年ぶりとなる大関昇進を確実にした。連載「新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡」では、朝乃山の相撲人生を振り返る。

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令和最初の幕内優勝を飾った昨年夏場所から、朝乃山の心境に変化があった。初土俵から10場所目の17年秋場所で新入幕。順調に出世したが、その後、約1年半は幕内下位から中位を行ったり来たり。伸び悩んでいた。昨年春場所は勝ち越し王手から5連敗で負け越した。同場所中に食べたカキにあたり、体調を崩していた。師匠の高砂親方にも未熟さを指摘された自己管理を徹底。場所中は禁酒した。何より「相手のことは考えず自分の相撲を取りきる」と自分と向き合った。

それまでは、翌日の対戦相手のことを考えて寝付けないこともあった。「昔はよく相手の取組をビデオで見ていたけど、見なくなった。最近、見るのは自分の相撲だけ。悪いところがあれば直すように。『相手が変化するかも』とか考えたら硬くなる」。口癖だった「自分の相撲を取る」という意識に拍車が掛かった。仕切りの際は、可能な限り自ら先に両手をついて待った。しかも「立ち合いの時は相手を見ない。目を合わせない。目を合わせると、のまれそうになる」と誰が相手でも同じリズム。余計な感情が生じる隙を与えず「自分の相撲」を貫いた。

初優勝後は「優勝したことを自信にしたい」と話す通り、言動に余裕も出てきた。何げない雑談でも以前は「富山弁が出ちゃった」と、方言を気にしていた。それが優勝後は自ら報道陣にクイズを出題し「富山弁で『今日はオレが、だいてやる』って、どういう意味か分かりますか? 『おごってやる』って意味です」とニヤリ。周囲の目を気にし、コンプレックスのように感じていた部分を、逆に愛する故郷をアピールする武器に変えた。

土俵上でも土俵外でも、やることや思いは変わらないが、意識改革と自信が成長と風格をもたらした。「はたきができるのは器用。自分はできない。負けてもいいので前に出る。負けるなら前に出て負けたい」。不器用と呼ばれても構わない。令和を引っ張る大器に、大関の看板が託された。(おわり)【高田文太】