2020年冬、セレッソ大阪を退団した田中亜土夢はフィンランドにいた。

 田中は生まれ故郷のクラブであるアルビレックス新潟で9年間プレーした後、2015年にフィンランド1部リーグの強豪・HJKヘルシンキへ移籍。3年間のプレーを経て、2018年にC大阪で日本復帰を果たしたが、2年の時を経て、再び“古巣”へ戻ることとなった。

 この決断に驚いた人も多いだろう。筆者もその1人だ。なぜ彼は再びフィンランドの地へ戻ったのか。この移籍の裏側にある想いに迫ってみた。

「Jリーグに戻ってきて、遠慮していた自分に気づいた。セレッソでの2年間はもちろん自分の中で重要な日々でした。でも、いざ契約満了を告げられて、『やっぱりな』と思う一方で、フィンランドで出せていた自分が出せなかったことに疑問というか、もう一度スタートを切るには海外の方がいいのかと思うようになったんです」

 田中にとってフィンランドで過ごした3年間は「新たな自分」を見つけた時間でもあった。

異国の地で知った自己主張の大切さ。

「僕はもともと『俺が、俺が』というタイプの選手ではないし、どちらかというと性格的にもプレースタイル的にも周りに合わせようとすることが多く、得点よりもアシスト、味方のサポートが役割でした。

 でも、それがヘルシンキでは自分が点を取ったり、アシストという目に見える結果を出さないといけない役割になって、自分もその役割に対して応える価値を感じたというか、自己主張しなくちゃいけないと思うようになったんです。特に1年目は未知の世界ですし、言葉も全くわからなかったので、いい意味で開き直れたからこそ、『新たな自分』を受け入れられたんです」

「フィンランドは新潟に似ている」

 それはピッチ外でも同じだった。

「フィンランドは住みやすくて、人が優しいし、街並みも綺麗。天候もどこか新潟と似ている。もちろん北欧なので冬の寒さはフィンランドの方が断然上ですが、寒すぎるので空気が本当に綺麗で、空も澄んでいるんです。雪もサラサラで夜には月明かりで白く光るし、ちょっと北の方に行けばオーロラも見える。あとはサウナ。フィンランドには普通に自宅にサウナがあるし、公共サウナには近くに湖や海があって、サウナに入った後にそこに飛び込むんです。冬だと氷をくり抜いてそこに入る。まさに大自然に包まれている中で物凄い開放感を味わえるんです。

 それだけじゃありません、大の犬好きでもある僕にとっては、フィンランドは犬と一緒に生活する上で本当に最高の環境でもあったんです。一緒にカフェに入れるし、地下鉄やトラムにも、飛行機にも自由に乗ることができる。あちこちに広いドッグパークが沢山あって、犬が本当にのびのびと過ごせる環境なんです」

 フィンランドという国、その文化や風土に、自分の心が動かされていくのがわかった。ヘルシンキでも背番号10番を背負った。トップ下として1年目はリーグ31試合に出場し、プロ10年目にしてキャリアハイとなる8ゴールをマーク。2年目は怪我もあり、リーグ17試合出場にとどまったが、それでも5ゴールをマークした。

モヤモヤした3年目、水墨画と出会う。

 迎えた3年目。チームの中でも絶対的な主軸として君臨していた矢先、田中の心にモヤモヤとしたものが引っかかっていた。

「3年目なので相手からかなり研究をされて、マークがかなり厳しくなった。トップ下のポジションで相手のプレスに潰されることが多くなったんです。明らかにボールロストが増えているのに、それでも監督は僕を使い続けてくれました。僕が調子を上げるためにサイドハーフにポジションを戻してくれるなど、本当に重宝してもらった。そこで、逆に自分の中で『この環境に甘えているんじゃないか』と考えるようになったんです」

 ちょうどこの時、自分の人生を変えるもう1つの出会いを果たしていた。それが今や田中にとって欠かせない「顔」となっている水墨画家としての原点だった。

 水墨画とは鮮やかな色彩を使う絵画とは違い、白い紙に墨の色のみで描く絵画のことだ。彼がフィンランドに来たばかりの頃、友人の紹介でヘルシンキに住む画家の川地琢世を紹介されたことが始まりだった。

 川地は画家になるために大学卒業後にアメリカに渡り、5年下積みをした後に、イタリアで3年、スペインで4年を過ごし、スペインでフィンランド人の妻と出会い、2007年に結婚を機にヘルシンキに住み始めた。当初は油絵を得意としていたが、画家としての幅を広げるために水墨画も描いていた。2人は家が近かったこともあり、すぐに仲良くなり、田中が川地のアトリエで絵画に触れる機会が増えた。

 最初は「凄いな」と思う程度だったが、怪我に苦しみ、サッカーで悩むことが増えた時に友人から「気分転換にも絵を描いてみたら」と言われたことが、水墨画家になる大きなきっかけだった。

繊細さと大胆さが求められる。

「絵を描いてみたらサッカー面で見えてくるものがあるのかな、いろんなアイデアやクリエイティブな部分が出るかなと思ったんです。油絵と水墨画のどちらをやるのか迷いましたが、水墨画は筆と水と墨があればできるし、色をたくさん持たなくても良くて、すぐに取りかかれると思ったので、水墨画を選びました。最初は軽い気持ちだったのですが、やり始めたら水墨画の奥深さにどんどんハマっていったんです」

 プロである川地の指導を受けながらトライしたことで、彼は水墨画にすぐに魅了された。

「いざ描いてみると、本当に繊細でかつ大胆さを求められるなと感じたんです。だんだん形が出来上がっていくときに色を濃くしていきたいところから何回か重ね塗りをするのですが、全体のバランスや完成図をイメージしながら濃淡を入れていくうちにだんだん絵が真っ白いキャンバスから浮き上がってくるんです。立体的に見えてくる過程が凄く楽しくて。

 それに薄くしているところが一箇所でも濃くなってしまうと、全体的に濃くしていかなければいけなくなる。白と黒のコントラストはシンプルなように見えて、繊細で、かつダイナミックな濃淡のバランスによって完成品の質が大きく変わってくる。これってサッカーにも繋がるなと感じるようになりました」

画を描いたら喜んでもらえた。

 サッカーと水墨画。全く違うものに見えるが、田中は多くの共通点を見出していた。

「サッカーで言う緩急が重要で、強引さだけでもダメだし、繊細さだけでもダメ。ピッチとキャンバス全体を常に頭に入れて、プレーと筆(色)の強弱でバランスと繊細さ、力強さをそれぞれ適した局面で発揮をする。

 あと感じたのが、観てくれる人たちの印象。サッカーも水墨画もきちんとしたコントラストを見せないと、観る人に印象を植え付けられません。水墨画で言えば濃淡のはっきりとした変化、サッカーで言えばアシストやゴールという目に見える結果。これらを積み重ねないと人たちの記憶に残らないし、笑顔にできないんです」

 最初は自分が飼っている犬の画を描いていたが、途中から友人や知り合いの犬など多くの種類の犬の水墨画を描いては、その人たちにプレゼントした。その時、嬉しそうに受け取ってくれる人たちの笑顔を見て、田中は大事なことに気がついた。

「ちょうどその時、僕はゴールを決めていなくて、スタジアムに来てくれるサポーターやファンを笑顔にできていなかった。自分は何のためにプレーしているのかというと、もちろん活躍してステップアップしたい気持ちはあるし、何よりお金を払って見に来てくれている人たちを喜ばせたいという気持ちがあるからなんだと改めて気づいたんです。

 水墨画を描くにあたって、自分の絵を受け取った時の笑顔を想像するだけで、創作意欲を掻き立てられた。それをこれまではサッカーで得ていたはずなのに、いつしか忘れかけてしまっていたのかなと。水墨画をやり始めて、サッカー面で気づくことが多かったんです」

 このシーズン、彼はリーグ33試合に出場し、キャリア2番目となる7ゴールをマークした。

 さらなる飛躍を求めチームを離れる決断をした田中は、待ち望んだ欧州4大リーグへのステップアップとはならなかったが、C大阪から熱心なオファーを受け、日本へ戻ることを決めた。ヘルシンキでの3年間は、サッカーを別の角度から見るため、新たな自分を構築するために必要な時間だった。

 日本に帰ってきてからも、水墨画は大事な自己表現として描き続けた。

個展をできたのは、サッカー選手だからこそ。

 サッカー面ではC大阪での激しいポジション争いの前に苦しい時期が続いた。ベンチ外を多く経験し、U-23チームのメンバーとしてJ3リーグにも出場をした。終わってみればリーグ戦出場は自身のキャリアで2番目に少ない6試合に留まった。

「現実を突きつけられた。苦しかったのは間違いないけど、絶対に腐ってはいけないことだけはわかっていたので、常に良い準備をしてチャンスが来た時にどれだけ結果を残せるか。それをずっと自分に言い聞かせていましたね」

 シーズンオフに地元・新潟で自身初となる水墨画の個展を開いた。そこで多くの人たちが集まり、自分の作品を見てくれたり、SNSなどで反響を目の当たりにしたことで、「自分の違う一面を見せられたことが嬉しかったし、もっと水墨画が上手くなりたいと思えた。でも個展を開けたのも僕がプロサッカー選手であるからこそ。やっぱりサッカーももっと上手くなって、みんなを喜ばせたいと強く思った」と、より向上心に火がついた。

 さらにその後も、東京と大阪でも個展を開いた。その時にも改めて来場者の反応を見て、「もっとサッカーでも笑顔を見せないといけない」という思いも湧き起こっていた。

 C大阪2年目のシーズンはレギュラー獲得とまではいかなかったが、1年目より周りの信頼を掴んでスーパーサブとしてリーグ21試合に出場。J1第26節の浦和レッズ戦での決勝弾を含む、2ゴールを挙げるなど、着実に結果を残していった。

ヘルシンキとの契約は半年。

 しかし、2シーズンを終えたオフ、チームから「契約満了」を提示された。移籍先を探す際にJリーグからのオファーがない現実をも突きつけられた。それでも、田中の心は折れなかった。

「サッカーを諦めたくなかった。日本でオファーがないのなら、もう一度海外でチャレンジしたいと思えたんです。『新たな自分』を見つけることができた海外に行けたらまた成長できるかなと。熱心にオファーをくれたのはHJKヘルシンキだけでしたし、僕の中でここは『第二の故郷』だと思っているので、もう一度世界でステップアップするためのチャレンジをしようと決断しました」

 行くところがないから戻るわけではない。安心できる場所だから戻るわけではない。サッカー選手としての再チャレンジのスタートの場を「第二の故郷」に求めたのであった。

「周りからは『フィンランドで現役を終えるの?』という声もありました。そうではありません。ヘルシンキとの契約を半年にしたのも、ここからステップアップするために、この時間の中で前回以上の結果を出すしかないという覚悟の上で戻ってきました。サッカー選手としてステップアップするという野望だけは絶対に消してはいけないし、消えた時が潮時だと思っています」

水墨画は「白と黒」しかない。

 ここは終着地ではなく、再起の場。3年前に知った「白と黒のコントラスト」をもう一度積み重ねにきた。

「サッカーと水墨画。全体の中で自分の個性を浮き出させるためには、どれも再現性が大切。成功したプレーや濃淡の付け方をイメージで残して、それを似たような状況で引き出して再現する。サッカーは味方と相手しかいない世界で、水墨画は白と黒しかない世界だからこそ、感覚や感性を大事にこれからもやっていきたい。今はこの意識を植え付けてくれた原点回帰という意味で、僕はフィンランドに再び導かれる運命だったのかなと思っています」

 フィンランドリーグも世界的大流行を見せている新型コロナウイルスの関係で開幕が 6月まで引き伸ばされた。それでも彼は帰国せず、第二の故郷であるフィンランドで生活をしている。

「フィンランドでも川地さんと個展をやろうと動いています。もともと日本で個展をやった時に、オフの時にでもフィンランドでやりたいなと思っていたので、こうしてサッカーをしに戻ってきたからこそ、実現させたいと思っています」

 最後に田中亜土夢に聞いてみた。今、将来の自分にどんな絵を描いているのか、と。

「ステップアップして他の国でプレーしている自分と、その国でも個展を開いている自分です。それがプロサッカー選手である田中亜土夢らしさだと思っています」

(「“ユース教授”のサッカージャーナル」安藤隆人 = 文)