我が目を疑う知らせだった。

 日本時間3月15日の午前0時20分、米国デトロイトでクリス・リードが心臓突然死で急逝。わずか30歳という若さだった。

 クリス・リードは姉のキャシーと一緒に、今年1月にオープンしたばかりの「木下グループ・関空アイスアリーナ」で、木下アカデミーアイスダンススクールを開設したところだった。

 これから本格的に日本で後輩の育成に力を注ぐため、トレーニング拠点だったデトロイトのアパートの荷物を整理して日本に送った直後だったという。

日本アイスダンスの要だった。

 長い間、細身の体で日本のアイスダンスをパートナーと共に牽引してきた。

 2006年に姉のキャシー・リードと組んで全米ノービスで優勝した後、日本スケート連盟に所属を変更。そしてキャシーと7度、2015年からは村元哉中と組んで3度、合計10回の全日本選手権タイトルを手にした。

 国別対抗戦やソチオリンピックから始まった団体戦では、競技人口が少ないカップル競技は日本のネックであった。その中でクリスとそのパートナーは、日本のアイスダンスの要となってきた。

 3度オリンピックに出場し、村元哉中と出場した2018年四大陸選手権ではアジアのアイスダンサーとして史上初の銅メダルを手に。また同年世界選手権11位も、日本のアイスダンサーとして歴代最高の成績だった。同年夏に村元とのコンビを解消し、昨年末に現役引退を発表していた。

 筆者が記憶しているクリス・リードは、いつも演技の直後で顔を汗で光らせていた。そしていつもパートナーと視線を交わしながら、きらきらと目を輝かせて笑顔を絶やさなかった。

アイスダンサーには不可欠な華やかさがあった。

 何度も怪我をして、結果が思うように出ない時期もあったけれど、ソチと平昌の2度のオリンピックでは団体競技に出場して日本チームを支え続けた。

 クリスはアメリカ人の父と日本人の母を持ち、アメリカ生まれのアメリカ育ち。185センチの長身で、アイスダンサーには不可欠な華やかさがあった。

 もともと日本語はあまり得意ではなかったけれど、それでも日本代表選手として一生懸命練習して、取材にも日本語で答えるようになっていった。

 現在はコーチであり振付師でもある姉のキャシーのほか、妹のアリソンもアイスダンサーで現在リトアニア代表として国際大会に出場している。

セルゲイ・グリンコフも心臓発作で……。

 クリス急逝の知らせを聞いて、デジャブのように咄嗟に心に浮かんだのはロシアのペアスケーター、セルゲイ・グリンコフのことである。

 パートナーで後に妻となったエカテリナ・ゴルデーワと1988年と1994年の2度のオリンピックで金メダルを手にし、1995年に28歳でやはり心臓発作で急逝した。

 全く病気の兆候などなく、練習中にあっという間に亡くなったと聞いている。

 クリスもセルゲイも、リフトなども要求されるカップル競技において、酷使した身体への負担が原因のひとつだったのだろうかと思うと、心が痛む。

 2014年から2018年夏の村元とのコンビ解消まで、彼の指導にあたったマリナ・ズエワコーチが、筆者の依頼に急遽応じて、日本のファンのためにクリスとの思い出をメッセージに託してくれた。

「この先もずっと人々の記憶に残るでしょう」

「私は2014年から2018年の間、クリス・リードのコーチとして彼を指導するという素晴らしい体験に恵まれました。

 2014年ソチオリンピックの後から2015年の世界選手権までクリスと彼の姉のキャシーを指導。そしてキャシーが引退してからは、村元哉中との組でした。

 クリスは3度オリンピックに出場し、日本を代表していることをいつも誇りにしていました。スケートに対して情熱を持ち、アイスダンスを演じることに愛情を持っていました。彼がフィギュアスケートに残した素晴らしい業績は、彼の持っていたゴールを達成しようという強い意志の証にほかなりません。

 彼は氷の上ではとても強く、ハンサムで、またアスリートとしてとても才能がありました。彼の長身、力強さ、素早さ、音楽性のある動きなどは、彼のチームに特別な個性を与えてくれました。

 彼の感情と情熱、そして愛情を全て注ぎ込んだ演技は、この先もずっと人々の記憶に残るでしょう」(マリナ・ズエワ)

 あまりにも早く私たちの元から姿を消してしまったクリス・リード。彼がこれまで日本のアイスダンス界に残してくれたものに感謝を捧げ、心からのご冥福を祈りたい。

(「フィギュアスケート、氷上の華」田村明子 = 文)