昨年の世界選手権では男子20キロ競歩、50キロ競歩でいずれも金メダルを獲得するなど「競歩大国」になった日本。その先駆者といえる山崎勇喜(富山陸協)が15日、石川県能美市で開催された全日本競歩20キロのレースを最後に、現役を引退した。2008年北京五輪男子50キロで競歩の日本勢で初めて7位に入賞したが、最近は低迷。けがにも苦しんだが、引退レースでは、笑顔でフィニッシュした。

 1周1キロのコースを20周するレース。山崎はスタートすると先頭からどんどん遅れ、辛うじて時間オーバーを免れて、ストップがかかることなく最終の周回へ入る。競歩の盛んな石川県では山崎は有名人だ。「山崎、ありがとう!」と沿道から声援が飛び、自然に拍手がわいた。

 次の女子のレースがすでに始まっているなか、最下位の53位でフィニッシュ。「ゴールできるかどうか不安でしたが、楽しく歩けた。いろんな人の支えがあってこんなに長い間、競技ができた」と表情はすがすがしかった。

 富山商高時代に競歩を始めてから約20年。競技人生を振り返って、「悔いは残る」と言った。最も印象に残るレースは入賞した北京五輪ではなく、その前年にあった「大阪の世界選手権の“事件”かな」と話した。男子50キロで入賞が見えていたのに、競技役員の誘導ミスで1周少ないまま競技場に入って途中棄権の扱いになったことだ。「自己紹介のときには、その話をします」

 後輩の台頭もあり、最近は成績も低迷。昨年1月に右の臀部(でんぶ)を痛め、6月からは歩くことも苦痛に。今年1月に練習を再開したが、体力の落ち方のひどさに「どこで引退するか考えるようになった」という。

 専門種目は50キロ。本来なら4月に石川県輪島市である日本選手権50キロを花道にしたかったが、仕事上、出場が難しかったという。自衛隊体育学校から一般の陸上自衛隊員になった山崎には「3月から自衛隊の訓練が待っているので」。今後は指導者の道も頭にはあるが、当面は自衛隊員を続けるという。

 レース後には引退セレモニーもあり、花束をもらい「つらいことのほうが多かったが、幸せな競技人生だった」と締めくくった。(酒瀬川亮介)