後楽園ホールの入口で、獣神サンダー・ライガーは少しほっとしたような表情を浮かべていた。マスク越しに見える顔は黒く日焼けしている。

 3月8日、後楽園ホールで解説者としての仕事が入っていた。

 新型コロナウィルスの対策の1つとして、まずはホールの入り口での体温測定が義務付けられていたのだ。

 それを無事クリアしてひと言「よかった」となったわけだが、会場に入るとまた、違った異様な雰囲気を味わうことになった。

 客がいない。

 今や毎日のように耳にする「無観客」という現象だ。

 スターダムのオーナーでもあるブシロードの木谷高明氏は、Jリーグやプロ野球が中止や延期、無観客をアナウンスする以前に、スターダムの予定されていた興行中止とこの日の無観客試合をいち早く決めていた。

 ライガーは無観客で戦ったことはない。無観客の試合を見たこともない。

「緊張していますよ。女子プロレスは初めてです。それにこうして無観客ですし、選手の名前もよくわからないから。いや、下田(美馬)ねえさんは知っていますけれどね」

 ライガーが体感する初めての女子プロレス。新日本プロレスの大会なら自信満々で座れたはずの放送席に、なにか怖いものを見たのかもしれない。怖いものに向かうとき、人は極端に陽気を装ったり、声高になる。それがこの日のライガーにも当てはまったような気がした。

「ファンの気持ちで放送席に座る」とライガーは言っていたが……第一試合の“時間差バトルロイヤル(選手が時間差で次々と入場する方式)”を見ていると、自然にプロの目になっていた。

新鮮な驚きの連続だった女子プロレス。

 まず17歳のAZM(あずみ)に驚いた。

 彼女が小学生の時からリングに上がっていてもう7年のキャリアがあると知らされると目を丸くした。そして繰り出した技に「決め方がしっかりしている。あれは返せない」と評した。

 さらに13歳という驚愕の年齢の中学生の双子姉妹・吏南と妃南に、またしても驚き、くれぐれもケガをしないようにと付け加えた。

 バトルロイヤルの後、ライガーはいったん放送席を離れると、メインが始まるまで誰もいない客席からリングで繰り広げられる試合を真剣に見つめていた。そこにはオープニングの時間差バトルロイヤルを明るく語っていたライガーはいなかった。

 時には険しいくらいの表情でリングに視線を投げていた。

最初は「ただの乱闘」と切って捨てたが……。

 メインになるとライガーは放送席に戻った。

 岩谷麻優、鹿島沙希によるランバージャック・マッチ。「木こりたちのケンカ」と呼ばれる方式の完全決着戦だ。

 本来は場外に逃げたらセコンドが力ずくでリングに押し戻すというものだが、行われたのはそんなランバージャックではなく、“乱闘性”の高い、異様に過激なものになってしまっていた。

 それがいいのか、現代風なのか、無観客のせいなのかはわからない。でも、これにはライガーは「ただの乱闘だ」と厳しい目を向けていた。

 だが、岩谷が後楽園ホールの南側の一番上の階段から鹿島に蹴倒されて、35段下のライガーの足元まで転げ落ちて来た時にはあ然としていた。

「『蒲田行進曲』のあの命がけの階段落ちのシーンを後楽園ホールで見るとは思ってもみなかった」とライガーは言った。

 このあたりから、ライガーの岩谷への感情移入が始まった。ライガーは解説者と言うより岩谷の応援団になっていたのだ。

ライガーは岩谷の繰り出す技を褒め称えた。

 岩谷のキックは強烈だ。背中にぶち込んだ一発に「ドスンですよ。ベチャじゃない」とライガーが反応した。

 岩谷がコーナーの鹿島にドロップキックを決めて、笑いを浮かべた。鹿島をいたぶる前のその不気味な笑みを「恐ろしい。怖いですよ」と嬉しそうに評していた。

 ライガーは岩谷のドラゴンスープレックスに想像以上の速さを感じていたようだった。さらに、コーナーからのドロップキックには「高い!」と思わず叫んでいた。

 岩谷がパイルドライバーからこの日、二度目のムーンサルトプレスを決めて勝利すると「強い!」と岩谷の圧勝を認めた。

オカダ・カズチカと似ていると表現したライガー。

「後楽園ホールの皆さん、こんばんは」と岩谷が客のいない客席に呼びかけると「こんばんは!」とライガーは放送席から大声で応えてみせた。

 インタビューを受ける岩谷の日本語になっていない天然ボケのコメントには、ライガーもさすがにあきれ顔だったが、その光景を見届けた後に、急にしゃべり始めた。

「熱い試合でした。なんか、どこかで見たことがあると思っていたんですよ。ああ、うちの(オカダ・)カズチカ選手にしゃべり方とか立ち振る舞いとか、(岩谷は)似ていますね。それくらい器の大きさというか、オーラがある」

 そう言われるまで、筆者は岩谷とオカダをダブらせたことは一度もなかったが、ライガーに言われてみると、そう言われれば……という気がしてくる。

 突き刺すようなドロップキック、フィニッシュ前のパイルドライバー、起き上がって来いと蹴りつける仕草にオカダを重ねることはできる。しゃべりも試合の凄さとのギャップがあるから似ているというのだろう。

「ミラノ(コレクションA.T.)がコーチしているから、コーチのうまさもあるんだろうね」と分析した。

「それを吸収している選手たちに素質や可能性を感じる、お世辞抜きで興奮しましたよ」

ライガー「自分で後楽園ホールに見に来てもいい」

 ライガーくらいダメなものはダメという男はいない。だが、その男が若い女子レスラーにエールを送って、岩谷を特別に称賛したのだ。

「解説の仕事がなくても、自分で後楽園ホールに見に来てもいい」という惚れ込みようだ。こんな特殊な環境ではないスターダムも、是非いつかライガーに見てもらいたい、と思った。

 YouTubeで無料生中継された試合は約3万5000人が見たことになったが、海外からも岩谷には称賛の声が寄せられていた。

 普段のスターダムとはある意味で、非日常の世界になったが、非日常を見せるのもプロレス。

 新型コロナウィルスによって無観客に踏み切ったことでスターダムには新しい可能性が開かれた。無観客でもこうしてできる、という1つの感触は、今後の展開に希望の光をもたらしたことになる。

「会場の換気や客の数を調整すれば……」

「ピンチはチャンス! この際色々チャレンジしましょう。スターダム無観客試合」と試合前にツイッターでつぶやいていた木谷会長は本部席の後方からずっと試合を見ていた。

 そして、木谷会長は試合が終わると、スターダムの選手に感謝した後、コロナウィルスの問題がすぐに収束しなくても「会場の換気や客の数を調整すれば、後楽園ホールなどで試合をすることは可能だろう。できることはまだいろいろあるということがわかりました」と語った。

 現実的に企業として考えた場合、いつ終わるのかわからない「自粛」という名で興行中止を長く続けたら、会社は持ちこたえられない。感染を極力抑える工夫を凝らして、なんとか開催したいはずだ。

 大会終了後、ライガーは「試合が面白くてのめり込み無観客試合という事を忘れるくらいでした。スターダム。面白いっす。これガチ感想です!」とツイッターに綴った。

(「プロレス写真記者の眼」原悦生 = 文)