日本チャンピオンですらない青年のラスベガスデビュー戦は、衝撃的なものだった。米・大手プロモーション会社であるトップランクとの契約が発表された11月26日から、わずか4日後のことだ。

 右フックでダウンを奪った後は、ラッシュによるレフリーストップで2R・TKO勝ち。

 ロヘリオ・カセレスを圧倒した平岡アンディ(23・大橋ジム)は、異例の大抜擢に応える形で、アメリカの地で自身の価値を証明してみせた。トップランク社が見出した“原石”が回顧する。 

「正直、結構余裕があったんですよ。プレッシャーも感じなかった。小さい頃から夢だったラスベガスでの試合でしたが、一切舞い上がることもなく、自分でも驚くほど冷静でした。相手のパンチや動きもはっきり見えていた。昔は小さな舞台でも緊張して、思うようなボクシングが出来なかったけど、今は自分のスタイルには自信がある」

 その特大のポテンシャルには、所属する大橋秀行会長も太鼓判を押す。

「素材は間違いなく一級品で、今までみたことがないレベル。バネ、身体能力、パンチの撃ち方、全てが日本人離れしている。持っているモノが違う。ピカイチですよ」

 数多のトップボクサーを育てた名伯楽は平岡を手放しに絶賛した。一方で多くの世界戦をマッチメークし、井上尚弥や村田諒太ら日本のトップランカーにも注目し始めているトップランク社CEOのボブ・アラム氏は「もっと短いスパンで試合をして、来年の世界戦でチャンピオンに」とその期待を漏らしたという。

父の影響で始めたボクシング。

 平岡がボクシングを始めたのは4歳の時。アマチュアボクシング界で鳴らしたガーナ系アメリカ人の父ジャスティス・コジョ氏の影響もあり、自然とグローブが身近にある環境に育った。

 日本人である母も、遊びたい盛りの息子に対して敢えて厳しい練習のお目付け役になることもあったという。スパルタで遊ぶ時間もない生活は、楽しさよりも苦しさが勝り、幼少期はボクシングに対して前向きな感情は皆無だった。

「昔はボクシングが嫌で嫌で仕方なかった。当時は妹にボコボコにされるくらい上達が遅かったので。それでも、1日5時間。1日たりとも練習をサボったことがないんですよ」

誰かと一緒に走りたくて陸上部に。

 英才教育の意味に本人が気づくのはもう少し後の話だ。

 中学では陸上部に入部している。その理由を本人に尋ねると、「1人でロードワークを走るのがツラくて、誰かと一緒に走れば楽しいと思ったから」と笑う。

 陸上競技でも結果を残し、横浜高校時代は中長距離を得意とし国体にも出場。そのセンスは箱根駅伝の名門、東洋大学からもオファーがあったというエピソードからも窺い知れる。

 もっとも高校時代は、ボクシングへの熱量に変化が生まれた転換期でもある。花形ジムに所属し、高校生ながらキャリア6戦で東日本新人王を奪取。天性の素質と幼少期からの“貯金”で獲得した新人王だった。父親譲りの身体能力、手足のバネに、柔軟性のある予測不能なパンチ。久しぶりに現れた中量級のホープとして期待を集める一方で、平岡は強い葛藤を感じながらボクシングと向き合っていた。

「試合内容もないし、思うようなボクシングができない。自分はこんなモノなのか――」

 その後の2年間、ボクシング界で平岡の名前を聞く機会は途絶えた。

高校卒業後、単身アメリカへ。

 4歳から現在までトレーナーとして接する父ジャスティス・コジョ氏が述懐する。

「アンディはボクサーとしては優しすぎる面があって、昔は相手を殴ることすら躊躇していた。試合では、練習でやれていたことが3割くらいしか出せない。その理由が技術面ではないことはわかっていたが、息子がもう一皮むけるために何が必要なのかがわからなかった。強くなるために、家族の夢であったアメリカ行きを勧めたんです」

 横浜高校を卒業後、平岡は単身ロサンゼルスに渡っている。練習生としてジムに顔を出しては、雑用や自分よりも階級の上のボクサーのスパーリングなどを強いられた。日本から来た無名の18歳が、ボクサーとして扱われるまでは相当な時間と忍耐が必要だった。

「よく聞かれるのは、アメリカで何が変わったのかということなんです。ただ、正直にいえばアメリカだから、日本だから、ということはなくて技術的に変わったことはほとんどないんです。基礎や技術的な面は、小さい頃から父と二人三脚でやってきたことがアメリカでも充分通用した。これまでやってきたことを出せれば、世界も遠くない。そういう風な考え方ができるようになり、リングに上がる際に心の持ち方が変わっていったんです」

ルーツに対する捉え方が変わった。

 日本ではハーフであることや褐色の肌をからかわれ、いじめに合った経験もある。幼少期に『さんまのからくりテレビ』に出演し、“気弱なアンディ”と全国ネットで流れたこともあり、内気な性格を揶揄されることもあった。

 アメリカでの生活は、自身のルーツに対しての捉え方が変わる契機ともなる。

「僕は純粋な日本人とは違いますが、ボクシングにおいては強みになる部分もあると思えるようになった。昔はそれがコンプレックスだったけど、今ではそれが自分の個性だと捉えてます。いつもリングに上る前には、ブラックミュージックのヒップホップを聞いて、テンションを高めてスイッチを入れ替えるんですよ。彼らが虐げられた歴史やその想いをのせた音楽は、自分にも重なる部分もある。

 そんな潜在的な怒りを引き出すことが、イマジネーションに繋がっている面もあります。これはアメリカに行けたから気づけたことでもある」

 いつしか、練習生の立場は免除され、現地の有名プロモーターからアメリカでの契約のオファーが届くまでにになった。それでも、日本でもう一度ボクシングをしたいという思いから、再び日本へ戻るという選択を行った。

大橋会長「すぐにピンときました」

 2年弱に渡るアメリカ武者修行から帰国した後、20歳となった平岡が訪ねたのは大橋ジムだった。大橋秀行会長は、当時の平岡の印象をこのように表現する。

「技術的に優れており、特に基礎の部分でもほとんど直す部分がないくらいのレベル。これは世界を目指せる、とすぐにピンときました。ただ、メンタル面では課題があり、そこは目についた。これだけの素材が揃うジムの先輩から刺激を受けてか、パワー、スピードも上がったが、何よりメンタルが変わった。正直、足りないものは経験くらいで、経験をつめば手がつけられないボクサーになると思いましたね」
 
 大橋ジム移籍後は9連勝。通算戦績も15戦15勝(10KO)まで伸ばしている。世界ランキング入りを賭けた昨年7月の近藤明広戦では、10日前に発生した肉離れをおしての強行出場。一歩も引かずに打ち合い、大差で判定勝ちを収めている。以前の平岡であれば、見られなかった貪欲で泥臭い一戦だった。オーソドックスなサウスポースタイルで、打たせずに打つ。そんなスタイルにも変化が生まれた。

「昔はポイントを取って勝てれば良かったし、そういうボクシングに終始してきた。でも、やっぱりボクサーは強い相手と戦い、面白い試合をして倒さないと評価されないことも分かってきた。世界から必要とされるのはそういう選手。メイウェザーが好きですが、参考にしているのはロイ・ジョーンズ・ジュニア(ヘビー級4階級制覇の元世界王者)。もちろんプラスアルファでいかに自分の色を出せるかも考えていますよ」

現在もアルバイト、まだ何者でもない。

 トップランクと契約したとはいっても、日本チャンピオンですらないIBF世界14位。平岡は週に4度、ジムでのインストラクターのアルバイトで生計を立てている。現段階では、まだ何者でもないのだ。2年弱リングを離れ、回り道もしてきたが自身初となる世界戦への挑戦はそう遠い未来ではないだろう。陣営は今年3、4戦を組み世界ランキングを上げ、来年での世界戦を目論む。
 
 父ジャスティス・コジョ氏は手厳しくも、最近では6割程度の力は試合に出せるようになったと見ている。

「本来であれば、アンディはもっと早くラスベガスの舞台に立っていたはず。だから、私からすれば全然ダメ。本来の実力の、3、4割くらいしか出せていなかったから、遅すぎたくらい。仮に息子が100%の力を引き出せたら、ラスベガスの観客も席に座ってられないと思う。強い相手であればあるほど、彼の技術や能力の引き出しが世界に見せられる」
 
 この発言は、ジムの先輩である井上尚弥がドネア戦後に話した、「引き出しを見せられた」という発言にも重なる。

4月25日、井上戦の前座に登場。

 かつて弱気で泣き虫と揶揄されたボクサーに未来図を尋ねると、こう笑みを浮かべた。

「たぶん普通よりは才能はあるんでしょうが、自分が思う才能とは絶対的に他の人よりも練習してきたこと。練習で自分を追い込めたことから才能に変わったと思うし、精神的にも強くなれた。今は対戦相手から、『怖いぞアンディ!』と恐れられる存在になりたいですね」

 来る4月25日。平岡は井上尚弥の世界統一戦のアンダーカードを戦うことが決定している。場所は平岡家の夢が詰まるラスベガスだ。

「力が出せれば特に恐れることはない。できるだけ強い相手を強いボクシングで倒したい」

 ボクシングの聖地での2戦目、トップランク社が認めたその潜在能力は広く世界に知られることになるはずだ。

(「ボクシングPRESS」栗田シメイ = 文)