2月26日、政府が新型コロナウイルスの感染拡大防止に向け、今後2週間の全国的なスポーツ・文化イベント開催自粛を要請したことで、各スポーツイベントの開催中止や延期が相次いでいる。

 プロレス界でも、すでに3月14日までの興行中止を発表していたスターダムを始め、同じブシロード傘下の新日本プロレスも3月15日までの大会中止を発表。DDTも系列ブランドの東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスも含め3月8日までの全大会を中止。さらにプロレスリング・ノアも春のビッグマッチ、3.8横浜文化体育館大会の延期を発表するなど、影響が広がっている。

 そんな中、26日に新日本プロレスとスターダムの木谷高明オーナーが、Twitterで以下のような投稿をし、ファンの間でも賛否両論の声が上がった。

「新日本プロレスに関してはなるべく口を出さないてきたがファンの立場としても言うが日本全国のライブ、スポーツが中止になる中、ワールドと言うプラットフォームを持つ新日本プロレスが3月3日の創立記念日に無観客試合をやり、全国のファンに勇気と希望を与えるべきではないのか? 巌流島を思い出せ!(原文ママ)」

中止は余りにも工夫が無い。

 ここでいう「巌流島」とは、1987年10月4日に山口県の巌流島で行われた、アントニオ猪木vs.マサ斎藤のこと。この試合は、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘伝説にあやかり、無人島である巌流島で観客を入れないノーピープルマッチとして開催。それを後日、テレビ朝日がゴールデンタイムで特番放送したことで知られている。

 現在、新日本プロレスには「新日本プロレスワールド」という定額課金制動画サイトがあるのだから、3月3日の旗揚げ記念日には無観客で試合を行い、それを動画配信するなど方法はいくらでもあるのではないか。「中止だけ発表するのでは余りにも工夫が無い(原文ママ)」というのが、木谷オーナーの意見だ。

 実際、スターダムはすでに3月8日の後楽園ホール大会を無観客大会として、YouTubeで全世界無料配信することを決定。DDTと東京女子プロレスも道場を使用しての無観客試合を5大会、動画配信サービス「DDT UNIVERSE」を通じて配信することを発表している。

 その是非はともかく、ここでは最も有名な無観客試合である、アントニオ猪木vs.マサ斎藤の巌流島の決闘とは、どんなものだったのか掘り下げてみたい。

心に穴を空けたまま戦った猪木。

 なぜ、巌流島での無観客試合という前代未聞の一戦が行われたのか。そこには、猪木の精神状態が深く関係していたと言われている。

 当時、新日本プロレスはテレビ視聴率が低迷、猪木自身も個人的な事業による億単位の借金があり、さらに私生活でも倍賞美津子夫人との離婚問題を抱えていた。あの頃、“海賊男”の乱入による暴動事件が起こるなど、新日本が“自爆”を繰り返していたのは、ある種、自暴自棄になっていた猪木の精神状態が反映されていたのだ。

 そんな中で、猪木は突如として「巌流島の決闘」をぶち上げる。当時は、猪木率いるナウリーダー軍vs.長州力、藤波辰爾、前田日明らニューリーダー軍の世代闘争が勃発している時期。そんな中、共闘していたマサ斎藤を対戦相手に選んだのは、この突拍子もないアイデアに“付き合ってくれる”のは、同世代の盟友マサぐらいしかいなかったからだろう。

 そして猪木は“決闘”の2日前に離婚届を提出。心に大きな穴を空けたまま、観客のいない、無人島に設置されたリングで、マサ斎藤と暗闇の中黙々と闘ったのだ。

 この異様な一戦について、生前マサ斎藤さんにインタビューした際、次のように語っていた。

「日が落ちたのもわからなかった」

「俺もあんな試合は初めてだった。猪木からは、『野っ原で闘う』としか言われていない。あれはルールがあってないようなものよ。レフェリーもいないし、観客もいない。何時間やるのか、いつから始まるのかもわからないんだから」

 そう、猪木vs.マサ斎藤の巌流島の決闘は、観客はおろか、レフェリーすらいない中で行われたのだ(山本小鉄と坂口征二が立会人として見届けた)。ルールは「己のプライドがルール」の一文のみ。当初、「日の出とともに試合開始」と言われていたが、試合開始のゴングもなく、実際に闘いがスタートしたのは、午後4時30分ごろだった。

「あれは試合をしながら酔ったな。夕刻から始まった試合は、ハッと気がついたら周りが暗くなってて、日が落ちたのもわからなかった。途中からは闇夜で、まるで宇宙空間で猪木と2人だけで闘っているようだった」

2人にしかできないプロレス。

 観客もレフェリーもいない2人の“私闘”は、両者血だらけでフラフラな状態のまま2時間以上にわたる“死闘”となり、最後はマサを絞め落とした猪木が2時間5分14秒、TKO勝ちを収めた。

「プロレスというのは観客の声を聞き、観客が求めるものを感じ取って、観客を沸かせるために闘うもの。でも、巌流島はその必要がないわけ。じゃあ、その中でどんな闘いができるのかっていうのを試されたんだよな。俺自身、最初はどうしたらいいかわからなかったけど、途中からはそういった余計な考えはすべてなくなり、俺と猪木だけの世界になった。あんな馬鹿な試合ができるのは、俺とアントニオ猪木だけよ」

 最後の言葉には、マサ斎藤のプライドと試合に対する満足感が詰まっていた。そして猪木自身も、後年、巌流島の決闘を振り返って、次のような満足げなコメントを残している。

「プロレス人気は落ちていたのに、巌流島の上空をヘリコプターが4機も旋回し、結果的に俺の離婚騒動に負けない大きな話題になった。一発逆転になったんだ」

 あの時、猪木はどん底の精神状態に追い込まれながら、マサ斎藤とともに誰にもできないプロレスを見せつけた。それは「苦しみの中から立ち上がれ」という猪木の生き方そのものだった。

(「ぼくらのプロレス(再)入門」堀江ガンツ = 文)