「田口くん、ボクシングやっているらしいよ」

 知人に言われてボクサー・田口良一の存在を知った。

 実は、田口くんのことは小学校のころから知っている。1つ上の先輩で、中学校では、ラグビー強豪校に進学した小林くんや長身でスポーツ万能な陳くんに混ざって体育館を走り回っていたから、印象はいまでも「バスケ部の田口くん」のままだ。

 元WBA・IBF世界ライトフライ級統一王者。プロ通算33戦27勝(12KO)4敗2分。昨年11月、33歳の誕生日を前に現役を退いた。

 輝かしい戦績とは裏腹に、派手さはなかったボクサーだった。でも玄人に称賛されるタフで堅実なファイトスタイルは、後輩から見れば、なおさらかっこよく映った。

田口くんと『はじめの一歩』。

“小さな田口くん”にボクシングを教えたのは漫画『はじめの一歩』だった。

 地域振興券で買った『はじめの一歩』のゲームでボクシングを知り、あとになって読んだ漫画で夢中になった。なんとなく当時の自分を一歩の姿に重ねていた。

 田口の境遇が語られるとき、しばしば“いじめられっ子”という表現が使われる。

「いじめられっ子は小学校の話で、半年間ぐらいのこと。仲間外れにされたり、無視されたり。でも、そういう記憶って簡単には消えないもんなんです。やり返すつもりもなかったし、それをする気持ちすらなかった。強くなりたいという気持ちはあの時に潜在的に身についたものだと思う」

 中学3年秋、友人と一緒にボクシング教室に参加した。学校で配られたプリントには大田体育館と書いてある。引っ込み思案だった少年は、2週間に一度、自転車を走らせた。

 高校1年夏、横浜光ジムに入門。畑山隆則、新井田豊という憧れのボクサーが籍を置く名門ジムだ。でも、すぐ行かなくなった。

「年頃なんで遊んでしまった。だんだん気まずくなって、行ったら行ったで『なんで来ないの?』とか言われて。それにサンドバッグを打っていても、特に何かを言われることもなかったし、自分には才能がないんだなって思っていました」   

洪東植トレーナーと運命の出会い。

 高校卒業が近づくにつれ、進学する者、就職する者と遊び仲間が続々と進路を決めていく。周囲には「ボクシングをする」と口にするものの、練習どころかジムも決まってない。自分の弱さに気付いたとき、一歩の姿を思い出した。

 もう一度、ボクシングと向き合わないと――。

 深い霧に光が差す時は、偶然のようでいつも必然である。山手線の車窓からワタナベボクシングジムの看板が目に飛び込んできた。

「直感です。正式に決まる前から五反田でアルバイトも始めてたくらいでしたから」

 日にちも覚えている。2005年5月9日。見学を済まして、翌日には練習を開始。もし山手線の端っこの車両に乗っていなかったら、もし反対の方向を向いていたら、ワタナベに入ることはなかったかもしれない。ドラマっぽくしすぎだねと、田口はいたずらに笑った。

 導かれるようにワタナベジムの門を叩いた田口は、そこで洪東植トレーナーと出会う。洪はすぐに田口を質問攻めにした。リーチの長さを測り、どんなスポーツ経験があるかと尋ね、ぎゅっと腕を掴み、連れられた先は会長室だ。

「この子を強くします、世界チャンピオンにしますって。漫画みたいですよね。初めて認められた気がしたというか」

ワタナベジムでの寮生活で得たもの。

 強烈に背中を押された主人公は、ようやく物語の一歩を踏み出した。1年目は毎日ジムに通い、そのうち週6日はマスボクシングに取り組んだ。田口が声をかけづらそうにしていると、洪がいつも対戦相手を呼んできた。手数を打つ田口の礎はその1年間でつくられたと言ってもいい。

 洪はもともとアマチュア界で名を馳せたボクサーだった。張正九という防衛記録「15」を誇る韓国人に対して2戦2勝(アマ時代)の実績を持っている。張は洪の存在を恐れてプロ転向を決意したという逸話があるほどのボクサーであった。

「すごく熱い人。プロとしての姿勢を教わりました。自己管理、プロ意識、謙遜の3つを言われ続けました」

 そんな洪は田口に対して、何度も何度もワタナベジムの寮に入ることを勧めた。15時ジム→18時アルバイト→深夜に多摩川を走るというルーティンを崩したくない田口は何度も嘘をついて断ったが、しつこい洪に根負け。冬にはアルバイトを辞め、寮生活が始まった。毎朝5時45分起き。暗い早朝からみんなでストレッチが始まる。

 3人部屋からのスタートだった。部屋ではみんなトイレを開けっぱなし。その音で起こされることもあった。3畳の1人部屋に移っても、誰かが廊下を歩けばミシミシと音がして、プライベートはない。練習もきつい。

「それでも、不思議なもんで慣れると平気で。後々、広い部屋への移動を勧められたけど、断るぐらい快適になりました」

 洪は田口に足りなかった自分を律する力と1つのことに打ち込むプロセスを、寮生活を通して植え付けたかったのだろう。

全日本新人王、コーチとの別れ。

 寮では同門のメンバーとも切磋琢磨できた。金城智哉は日本ランク1位まで上り詰め、同期の佐藤洋輝は日本ランク2位、酸欠で倒れた時に寮まで担いでくれた麻生興一はのちの日本チャンピオンだ。隣の寮にいた元世界王者・内山高志の部屋にはよくゲームをしに遊びに行った。

 ボクシングは自分のためにやっている。だが見ている先は同じリングだ。階級こそ違えど、ともに目的地へ走る月日はチームを、人を一層太くする。2006年夏のプロデビューから約1年半後、全日本ライトフライ級新人王を獲得し、念願だったランカー入りを果たす。

「個人競技なのにチームみたいだった。寮生活の3年間ですべてを叩き込まれたし、みんな洪さんのために勝つと強烈に思っていた」

 順調に白星を重ねていた矢先、洪がジムを離れることになった。

「2009年8月1日の試合(対瀬川正義戦)。この月で洪さんが辞めることがわかっていたんですけど、負けてしまった。しかもプロ初黒星。そこで勝てば10連勝だった。何より洪さんに勝利を届けられなかったことが今でも心残りですね」

 泣きながら別れを惜しんだ洪は、もういない。それでも積み上げてきたものを、自分に賭けてくれた洪のためにも見せないといけない。奮起した田口はデビューから約7年経過した2013年4月、ついに日本チャンピオンになった。

怪物・井上との出会いにも逃げず。

 実はこの日本チャンピオンに輝く前、ある青年から挑戦状が届いていた。この出会いが田口のボクシング人生を加速させていく。

「実は2012年3月に黒田(雅之)くんに引き分けて日本チャンピオンになるチャンスを逃し、少しへこんでいたんです。当時もまだネガティブだったので。そのあとの5月ぐらいかな、井上(尚弥)くんからスパーリングのオファーがあった。井岡(一翔)くんや八重樫(東)さんともスパーリングしていましたし、それに自分は日本ランク1位ですから、いけるだろうと思っていたんですけど……」

 怪物は強かった。高校を卒業したばかりの青年に、2回のダウンを喫し、予定よりも早い3Rで中断。しかも周囲が見守る前でボコボコにされた。日本チャンピオンを逃した以上に、プライドを傷つけられた。

「悔しかった。でも、絶対に逃げられないなって」

 日本王者となった田口は最初の防衛戦の相手に井上を指名。会長に直訴したのだった。

「負けたけどいい試合ができたんだな」

「田口って日本チャンピオンいるだろ? あれ、この辺の生まれらしいぞ。どうやら筋がいいらしい」

 その頃、ボクサー田口は地元の飲み屋でも話題の中心だった。それどころか、井上とのマッチメイクは村田諒太のプロ転向初戦とともに、日本タイトルマッチとしては異例となるゴールデンタイムで中継された。しかし、その主役は王者ではなく、プロデビュー後に3連続KOと快進撃を続ける怪物である。それでも田口は代名詞となる「粘り」を見せつけた。

 序盤から圧倒する井上に、田口は必死に食らいついた。パンチをもらっても前に出る。勝つためにリングに上がる王者は、最後まで足を止めず、井上がやや攻め疲れした後半は驚異的な追い上げを見せて判定まで持ち込んだ。勝敗は明白、だが試合終了を告げるゴングと重なるように送られた拍手は、挑戦者だけに向けられたものではなかった。

「リングの上で会長から『次は世界戦やるぞ』って声をかけてもらって、あ、負けたけどいい試合ができたんだなって。あの一戦は井上くんのおかげで今でも評価してもらえる。思えば、あそこで黒田くんに勝って日本チャンピオンになっていたら、その後の防衛戦で負けていた可能性もあっただろうし、彼も日本ランク1位まで上り詰めたタイミングだったからこそ対戦が実現した。井上くんとの試合は自分にとって大きかった。巡り合わせというか、不思議な縁があったと思う」

 田口に言わせれば、井上は「1人だけドラゴンボールの『精神と時の部屋』にいるみたい」。それほど段違いの速さで駆け上がる怪物に対し、田口は着実に歩みを進めていく。

夢に見た世界はあっけなかったけど。

 世界を制したのは2014年の大晦日。井上戦の敗戦を引きずることなく、2戦勝利して得た挑戦権だった。相手はペルーのアルベルト・ロッセル。3-0の判定で勝利をもぎ取った。それでも田口は「悔しかった」と切り出し、こう続ける。

「井上くんだったら絶対KOできただろうな。ダウンを2回も奪えたし、判定時は勝ったと確信があった。でも内容に納得がいかなくて。映像を見ればわかりますが、あの瞬間笑ってないんですよ。世界を獲ったチャンピオンの表情があんなに不満顔だったら絵になりませんよね。内山さんからも『もっと喜べよ』と言われました」

 夢に見た世界はあっけなかった。自分を満足させるほどの手応えはなかった。でも、それは田口の進化の証でもある。一歩のようになりたいとボクシングを始めた少年は、初めてグローブをつけた大田体育館でベルトを巻いた。

7度の防衛、お金を稼いでこそ一流。

 田口はその後、7度の防衛を達成する。王座を守ったのはおよそ3年半。追われる立場の難しさも知った。

「試合へ向けて追い込んで、勝利して、ホッとする。その繰り返しですね。恐れずいえば、仕事として割り切ってやっていた。強くなりたい、有名になりたいという気持ちはあるけど、稼ぎたいという思いが根底にずっとある。ボクサーは世界王者になってからじゃないと稼げないとわかって始めていたし、だからこそ、ここからがスタートだと思っていました。ボクサーはボランティア、ノーマネーではリングには上がらないですよ」

 お金を稼いでこそ、一流のボクサー。それが本音であり、王者・田口の矜持だった。一方で親に好きなことをさせたいという思いもね、と柔らかい顔も覗かせる。

 防衛戦のほとんどは8ラウンド以降のTKOか、判定勝ち。相手をジワリジワリ追い込むスタイルが田口の戦い方と認知された。7度目の防衛と統一王者のベルトを得たミラン・メリンド(フィリピン)戦でも流血しながら12ラウンドを戦い抜いた。

「もともと体力には自信があったんですけど、昔はすぐに疲れちゃっていて。でも経験を積むにつれて体力の使い方をコントロールできるようになった。だから、相手よりもスタミナが落ちるスピードが緩やかなだけなんです。よく後半に強いと言われるんですけどね、考え方としては逆。だから主導権を握れる。相手に主導権が渡ると体力を消耗する一方なので」

現役ラストマッチ、田中戦の消耗。

 そんな田口にも、相手にもたれかかるほど消耗した試合があった。2019年3月、現役ラストマッチとなる田中恒成とのWBO世界フライ級タイトルマッチだ。10カ月前にヘッキー・ブドラー戦で王座から陥落していた田口にとって、背水の陣で迎えた一戦。だが、この試合の主導権を握ったのは田中だった。

「とにかく(田中の)パンチが強くて、気合いだけで立っていた」

 階級も上がったことで減量自体は楽だった。小気味よいジャブと右アッパーを駆使し、コンディションも悪くない。だが試合後にグローブを外すと、田中の強烈なストレートをガードし続けた手首は真っ赤に腫れ上がっている。何度も倒れそうになりながらも意地だけでリングに立ち続けた。

 完敗。でもすべてを出し切った。一度は再び這い上がろうとしたが、もう未練はない。潔く敗戦を受け入れられたのは、ボクサーとして燃え尽きることができたからに他ならない。リングに上がる者にとって、これ以上ない幕引きだった。

引退で森川ジョージ、内山高志が。

 引退会見の前日、ご褒美があった。後輩の試合の観戦に訪れた会場で『はじめの一歩』の作者・森川ジョージ氏と会うことができたのだ。

「なんか不思議だなって。引退を発表する前日に、ボクシングを始めるきっかけを与えてくれた人に初めて会って『引退します』と報告してるんですから。洪さん、内山さんとの出会いも、井上戦の巡り合わせも、防衛も、最後が田中くんという縁も、本当に恵まれていたと思います」

 昨年12月、後楽園ホールで行われた引退式では兄のように慕った内山が最後のスパーリング相手に名乗り出てくれた。恩師・洪も駆けつける中、尊敬する先輩に「主導権を握られてしまった」とうれしそうに振り返った。試合後、内山からは好物であるラーメン1年分を、森川先生からはメッセージ入りの色紙をもらった。

 どちらも宝物、と自慢気に語るその表情は、ボクシングと出会った少年のように輝いていた。

 現在、田口は知り合いのフィットネスジムでトレーナーの勉強中だという。いずれは独り立ちして、ボクシングも? そんな容易な質問を「先のことはゆっくり」とかわしてみせた。

ワタナベジムは今も熱を帯びる。

 田口くんと別れた後、原点となるワタナベジムに足を運んだ。現在は、山手線の車窓から看板は見えない。拠点は線路の反対側に移っている。

 歴代の世界王者の写真がびっしりと並ぶ空間で「次は俺だ、私だ」と若者たちが汗を流す。

 ピピッ。練習時間を区切るタイム計の音がする。すらっとした長身のボクサーが頭を下げて入場してきた。シャドーをすれば、さらに風格は増す。洪のように腕を掴むことはしないが、素人目にも期待の大きさは窺えた。

 彼もいつかチャンピオンになる日が来るのだろうか。ふと見上げると、そこにはベルトを巻く田口良一の写真があった。後輩たちを見守るような、堂々として佇まいは誇らしい。

「ボクシングをやる前は、自分に自信が持てなかった。強くなりたいと思ってボクシングを始めましたが、本当の人間的な強さは、リングの上での強さとはまた別だなと思います。それも世界を経験して学びました。ボクシングがなかったら? ラーメン屋かな? どんな人生になったか想像できない。本当に楽しかった」

 田口くん、13年間お疲れ様でした――。

(「ボクシングPRESS」谷川良介 = 文)