15歳の柔道少年は考えた。「秋田にいて日本一になるには、どのスポーツがいいだろう」。県大会で個人優勝すると、勧誘の手紙が届いた。「秋田商業高校でレスリングをやらないか」。その年の1972年ミュンヘン五輪の金メダリスト、秋田商OBの柳田英明さんからだった。「レスリングもいいかな」

 のちに五輪で「中年の星」と呼ばれることになる、太田章(あきら)さん(62)だ。

 才能はすぐ開花した。高校1年で、県大会と東北大会で個人優勝。高校総体では秋田商の初の団体日本一に貢献した。3年では個人で全国制覇。小説「青春の門」の舞台にあこがれ、早大に進んだ。当時レスリング部は2部。でも、他大学の押しつけられる練習はごめんで、「自由な校風」を選んだ。「早稲田でチャンピオンになったら本物だ」と逆境をバネにした。重量級のエースとなり、大学生で五輪代表に選ばれた。