ウェートリフティング(重量挙げ)で1988年ソウル五輪に出た小栗和成(かずしげ)が受け継ぐ道は、岐阜県立中津高を抜きにしては語れない。同じ道を歩む先達が導き、支え、そして自らもいま同じ役割を担う。

 中津高で陸上部に入ろうとしていた小栗を心変わりさせたのは、ウェートリフティング部顧問の中田高広(70)。「絶対インターハイに行けるぞ」と声をかけた。中田は元日本代表で、小栗を見て「向いていそうだ」とピンときた。

 練習場は、体育館近くの空きスペースに中田と部員で材木を敷き詰めた手作り。屋根はあるが吹きさらしで、冬そこでバーベルを挙げればけがをするため走り込む日々だった。そんな環境で、「修正を指導しても直すのに1年かかる生徒もいるなか、彼は一度で直せるセンスがあった」と見込み通り、小栗は急成長し、3年のとき、インターハイで優勝した。教師志望で岐阜大を目指していたが、日本一になったことで強豪・日本大に進学。卒業後、高校の定時制の教師として岐阜に戻った。