1964年の東京五輪で、北海道標茶町の製材会社社長、三好英雄さん(77)は米国のUPI通信社の撮影助手を務めていた。UPIの日本人の仲間2人は五輪後、戦場カメラマンとなり、ベトナムやカンボジアで戦火の犠牲になった。五輪を来年に控え、北海道では札幌でのマラソン開催も決定。半世紀以上の時を超え、いま三好さんは「平和の祭典」の意味をかみしめている。

 三好さんは当時、上智大学の3年生だった。すでにUPIの東京支社でカメラマンをしていた同級生の峯弘道さんの紹介で、米国人カメラマンの助手を務めることになった。

 64年10月10日に国立競技場であった開会式では、見上げるような位置の聖火台がうまく写せないとして、カメラマンに肩車を頼まれた。「体重が100キロを超えるような巨漢を全身で必死で支えました」