今年3月まで現役だったメジャーリーガーが草野球で素人相手に全力投球を見せる。130キロ超え連発の直球と切れ味鋭い変化球で毎回の16奪三振、無四球完封勝利で圧倒するパフォーマンスにこんなことを言う人がいた。

「素人相手に大人気ない」

 どう感じとるか。それは人それぞれの自由。だが、フィールドで戦った両軍選手は同じ思いを共有していた。

 イチローさん率いるKOBE CHIBENの選手が「手抜きのない全力プレーこそが相手を称え、敬意へとつながる」と話せば、智辯和歌山の教職員でなる和歌山智辯のメンバーは「世界一のイチローさんが全力で戦ってくれたこと自体が光栄」と喜び、プレーイングマネージャーの藤田清司理事長(65)は「うちのチーム全員が世界のイチローさんと出会ったことが思い出」と、深々と頭を下げた。

 お互いの思いを汲めば、14−0の結果など意味を持たない。上手下手に関係なく、野球をリスペクトし、全員が白球と向き合い、全力プレーの上に己の責任を果たす。和歌山智辯とKOBE CHIBENの草野球対決にはスポーツの持つ素晴らしさがあった。

現役生活では記憶にないほどの笑顔。

 もう一度、純粋に楽しい野球がしたい。

 主役は、もちろんイチローさんだった。投げては1人で131球を投げ抜く完封勝利で打っても猛打賞の大活躍。そのイチローさんが勝利のハイタッチを終えた後に見せた笑顔はこれまでの現役生活ではお目にかかったことがないほどに晴れやかなものだった。

「いやー、めちゃくちゃ楽しかった。またやりたい。(左)ふくらはぎがピクピクしているけど肩、肘は全く問題ない。まだまだいけますよ」

 ダブルヘッダーも辞さない。そんな笑顔だった。

「もう一度、純粋に楽しい野球がしたい」

 今回の草野球回帰。それは前にも触れたが、現役引退時の言葉に遡る。

「もう一度、純粋に楽しい野球がしたい」

 あらためて真意を記す。

「プロの世界でここまでやって来ると純粋に楽しい、子どもみたいに楽しめるかと言えば、それは責任を伴うんで出来なくなる。ある程度プロの世界でやった人間、時間をかけて結果を残してきた人間はみんなじゃないと思うけど、そこに戻りたいという人は結構いると思うんです」

 深い言葉に感じた。

極めるほどに責任が増えていった。

 プロ野球選手になることを夢見ていたイチローさんはその世界に入ることを許され、その中で一軍にたどり着き、レギュラーの座を奪い、日本一の打者として実績を残した。

 そこから先のMLBでの挑戦では、長いメジャーの歴史の中で誰もたどり着けなかった入団から10年連続200安打を放ち、シーズン歴代最多安打を262安打と更新し、10年連続ゴールドグラブ賞に加え球宴出場も果たした。新人王、MVPにも輝き、まさに成功の体現者と評価された。

 だが、本人の中では大好きな野球が次第に楽しいだけのものではなくなっていったと言う。プロとしての使命、責任に追われ、いつしか野球は自分のためだけのものではなくなってしまった。

 大好きなものを職業にできる人間ほど、世間で幸せな者はいない。ましてや、その世界で頂点に立つとなればなおさらだ。だが、だからこそ、極めれば極めるほどに責任が増え、追われ続けることになる。

田中将大や工藤公康もイチローの夢に賛同。

 試合終了後、屈託のない笑顔でグラブを磨くイチローさんを見て、あらためて、彼が今までに背負ってきたものの大きさ、それを乗り越えてきた彼の偉大さを感じた。だから、思った。

「気の置けない仲間たちと草野球ができてよかったですね」

 イチローさんにとって、これからは第二の野球人生のスタートとなる。来季は今季同様にマリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクターの仕事でチームに同行するが、オフには草野球の再戦も用意されるだろう。

 また、今回の件で、イチローさんが持つ夢構想(草野球リーグ創設)に賛同する球界関係者も増えつつある。日本へ帰国し、都内でイベントに参加したヤンキースの田中将大は2日、「羨ましい。プロを全うされ、その後も野球を楽しむ。僕もそうありたい」と、イチローさんの取り組みに賛同した。

 また、愛工大名電の先輩であり、3年連続日本一に輝いた福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督も「俺もやりたいなぁ。入れてくれないかなぁ。投げたいよ」と、目を輝かせた。

 イチローさんの言葉通り、「もう一度、純粋に楽しい野球をやりたい」と感じる野球選手は多い。また今回、KOBE CHIBENの監督で、俳優・田村正和さんのマネージャーを40年間以上も務めた江平光男さんはリーダーとしてのイチローさんの資質を高く評価した。

「彼にはね、真のリーダーシップがある。いいリーダーになれる。期待したいね」

 イチロー杯争奪軟式野球大会の実現も遠くはない。

(「イチ流に触れて」笹田幸嗣 = 文)