(1日、福岡国際マラソン)

 結果的に藤本の“最終挑戦”は成就しなかった。東京五輪代表の残り1枠に入るには、大迫傑の日本記録更新が条件だった。時計は2時間9分36秒を示し、昨年のシカゴでマークした2時間7分57秒の自己記録も上回れなかった。

 「悔しい思いは多少あるんですけれど、途中まではいいチャレンジができたと思う」。レース後ひと息ついた藤本は冷静に話した。

 30キロを1時間29分33秒。大迫の日本記録を13秒上回るペースを刻んだ。涼しい顔に見えたが、実は少しの異変を感じていた。22キロ過ぎの博多駅付近で他選手と接触して転倒しそうになり、右ふくらはぎに大きな負担がかかった。28キロ付近からは「へっぴり腰の感覚ですかね。腰が張って、体幹が崩れてしまった」。

 ペースメーカーが離れ、いよいよダザとの一騎打ちか、と思われたのもつかの間、たくましい足取りのモロッコ選手に差を広げられた。早いタイミングのスパートに「追いつけるチャンスがあると思って2、3キロは気持ちを前向きに保った。でも、差が詰まる気配がなかった」。35~40キロのスプリットは16分台に落ち込んだ。力不足だった。

 「常に自分の現状を超える走りをするのが一番の目標」と言い、東京五輪出場に“是が非でも”というこだわりを持っていたわけではない。所属するトヨタ自動車の佐藤監督も「そのあたりは(代表内定した服部)勇馬と違うところ」と言う。監督は東京やびわ湖への再挑戦は否定した。

 五輪への挑戦は終わった。しかし「30キロまでは収穫。このまま練習を積めば日本記録更新も不可能ではない」と言い切った。新しい景色が開けた4回目のマラソンだった。(堀川貴弘)