なぜ、イングランドが負けたのか。

 それをずっと考え続けている。

 準決勝でオールブラックスを抑え込んだ試合を見せられ、決勝でも当然ながら有利と予想した。

 エディー・ジョーンズなら、南アフリカの弱点をあぶり出すはずだと。

 しかし、決勝は南アフリカの「フィジカルモンスター」ぶりと、「ディフェンス愛」を表現する場となった。

 世界的に問題になったのは、表彰式でのイングランドのふるまいである。

 4番ロックのイトジェはイングランド代表の先輩で、同じロックでもあったワールドラグビーのボーモント会長からメダルを首にかけてもらうのを拒否した。

 開始早々にイトジェと衝突し、脳震盪で退場を余儀なくされた3番プロップのシンクラーも似たようなふるまいをした。

 コーチの一部も。

 彼らは負けたのに、負けを受け入れられなかった。

NZとウェールズはラグビーの喜びを示した。

 私はその前夜、3位決定戦で見たニュージーランドとウェールズの2チームの「さわやかさ」がとても印象に残っており、イングランドのふるまいに衝撃を受けた。

 3位決定戦は、「コンソレーション・マッチ」と呼ばれる。

 慰めのための試合、くらいの意味だろうか。正直、あまり価値はない。

 ただし、今回ニュージーランドはその試合に価値を与えた。

 オールブラックスの主将、キーラン・リードは試合前にニュージーランド国歌を歌ったあと、柔らかな笑顔を見せたのだ。

 黒衣を着て戦う最後の試合。それが3位決定戦の場であっても、楽しむという思いが伝わってきた。ヘッドコーチのスティーブ・ハンセンの並々ならぬマネージメント手腕が想像できた。

 そして長年オールブラックスを支えてきたにもかかわらず、準決勝のイングランド戦ではメンバーから外されたWTBのベン・スミスは超人的な働きを見せた。

 必要だったのは、俺だったんじゃないのかな? ハンセンHCに対する強烈なメッセージのようにも思えた。

 この試合でオールブラックスから離れるCTBのソニー・ビル・ウィリアムズも、ライアン・クロッティも見事なパフォーマンスを見せた。

 彼らはラグビーをする喜びを、「慰めの試合」で思いっきり表現した。

子どもを抱えて笑顔で話す選手たち。

 かつて野球のブルックリン・ドジャースの選手たちのことを書いた「ボーイズ・オブ・サマー」という本があった。

 夏の少年たち。

 今回、3位決定戦でオールブラックスの選手たちが見せた表情、躍動にこんな言葉が思い浮かんだ。

 冬の少年たち。

 彼らはラグビーを心底楽しんでいた。

 そしてスタジアムでは分からなかったが、帰宅してから映像で確認してみると、試合終了後に素晴らしい光景が見られた。

 ウェールズのフッカーが子どもを抱えながら、オールブラックスのフッカーと笑顔で語らっていた。

 グラウンドのあちこちで握手と笑顔の輪が出来ていた。そしてスティーブ・ハンセンは感極まった表情でインタビューを受けていた(彼は準決勝敗退後の記者会見で、負の感情を露わにしていた。彼ほどの人物でもさすがに動揺していたのだと思う)。

 表彰式でも、オールブラックスの面々は銅メダルを笑顔で受け取っていた。

 そしてウェールズのヘッドコーチ、ウォーレン・ガットランドもこの試合が最後の指揮となった。彼も穏やかな表情で選手ひとりひとりと握手を交わしていて、その様子がなんとも風情があった。

 ウェールズのチームへの忠誠心、人間同士の深い絆、そしてなにより「いたわり」がそこにあった。

 失意のなかで戦った両チームだったが、4年間という時間を共に過ごした「年輪」が、浮かび上がっていた。

成熟した選手にしか負けは受け入れられない。

 その根底にあるのは、なんだったのか。

「ラグビーでは勝つこともあれば、負けることもある」という大前提を、両国のカルチャーが受け入れていることではないか、と感じた。

 オールブラックスが敗れてから、ダン・カーター、ジャスティン・マーシャルといったかつての名選手と仕事で一緒になる機会があったが、彼らは必要以上に悪びれることなく、

「永遠に勝ち続けることは出来ないし、こういうこともあるんだよ」

といった趣旨のことを話していた。

 ただし、負けを受け入れることは、成熟していないと難しい。

 高校生に同じようなふるまいを要求するのは無理だ。彼らは同じクラブのなかで完結している。仲間同士で泣き、慰めればいいのだ。

 取材の経験上、大学生も難しい。敗れたことを受け入れられず、表情、言葉を失った若者を毎年見る。

 敗れてなお、相手を気づかうことが出来るには、選手として成熟している必要がある。大人になってこそ、初めてそれが可能になる。それはラグビーという競技が持つ「人格淘冶」の作用に他ならない。

 その要素が、なぜ決勝の後のイングランドに欠けていたのか。

エディーさんのビジネス流が犠牲にしたもの。

 エディーさんは、チームを機能させるために、ビジネス界のアイデアを積極的に取り入れてきた。彼のビジネス書への目配りは尋常ではない。

「なにか、目新しいアイデアの本はありましたか?」

 それが、取材で久しぶりに会ったときの最初の挨拶だった。エディーさんはビジネスのアイデアをラグビーに応用するのが上手い。

 ビジネスユニット、成果主義、権限移譲、ヘッドスタート、レジリエンスなどなど……。

 エディーさんから、どれだけそうした言葉の「核」の意義を教わったか分からない。だからこそ、エディーさんは日本のビジネス界から熱い視線をおくられるわけだ。

 ただし、このアプローチには犠牲にするものもある。

 愛情だ。

 4年前に日本を離れる前、エディーさんに、

「選手たちから、愛されたいと思ったことはないんですか?」

と質問すると、エディーさんは即座に、

「愛される必要はありません。勝つことがすべてです」

と答えた。

 強烈な反応で、私はショックを受けた。

 その言葉と、今回の敗れたあとのイングランドのリアクションの間には、何か大切なものがあると感じた。

 イングランドは、「勝つこと」だけでつながっていたのだろうか、と。

 イングランドの選手たちは、試合終了後もバラバラだった。敗戦を仲間と受け入れるのではなく、個人個人で向き合っているようだった。つらくはないのか? そう思った。

 もちろん、3位決定戦を戦った両チームとは単純な比較はできない。なんといっても世界一を決める舞台だから、懸かっているものが違う。当然、失意の総量も大きくなる。

「敗者の美学」が際立つ大会でもあった。

 しかし、今大会は「敗者の美学」が際立った大会だっただけに、イングランドのふるまいが目立ってしまった。負けてなお、清々しいチームは多かった。

 プールステージで敗れた国。

 アルゼンチン。

 スコットランド。

 スコットランドの主将、グレイグ・レイドローは流大とジャージを交換しながらロッカーでこう語ったという。

「大丈夫。君たちならスプリングボクスに勝てる」

 台風のため、最終戦を戦えないチームだっていた。

 カナダ。

 ナミビア。

 準々決勝で消えたチームもそうだ。

 アイルランド。

 ヘッドコーチのジョー・シュミットは記者会見で言った。

「胸が張り裂けそうな思いです」

 主将のローリー・ベストは言った。

「これが緑のユニフォームを着る最後の日です。これからはサポーターとして着るだけです」

 会見場でふたりの言葉を聞いて、それこそ胸が張り裂けそうになった。

 そして、日本。

 このチームについては、もう言葉を尽くす必要はあるまい。

 ニュージーランドとウェールズ。

 彼らは敗れてなお、ラグビーの本質を体現した。

イングランドだけは美しくなかった。

 勝つこともあれば、負けることもあるさ。

 終わったら失望を隠す必要はないけれど、笑顔で相手とハグして、握手する。

 一時期、「ノーサイド」という言葉は日本でのみ定着している言葉だし、使うのはやめようかと思っていたことがあった。

 しかし、W杯日本大会を取材し終えて、この和製英語はラグビーという競技の本質を突いていたのだと感嘆した。

 私が見た限り、イングランドだけは美しくなかった。

 唯一、負けを受け入れることが出来ないチームだった。

 南アフリカの選手たちは、人種問題というセンシティブで、重要な問題を背負って戦った。イングランドは勝利を至上命題とした。

 国家の課題と、勝利。

 背負うもののスケールの違いがそこにあったが、集団としての成熟度にも濃淡があったのかもしれない。

 今回に限って言えば、エディーさんのチームはビジネス的なアプローチで決勝まで駆け上がったが、それはそのチームの限界をも内包していたことになる。

 つまり、負けを受容する「土壌」が貧しかったのではないか?

 そんな気がしてならない。

エディーさんは涙を見られたくなかった。

 ただし、エディーさんがビジネス的なアプローチ一辺倒かというと、そんなことはない。4年前の日本代表は、「情」に厚いチームだった。

 戦いが終わって帰国前、最後のミーティングがホテルで行われた。エディーさんはこう言った。

「私の仕事はもう終わったので、もう話すことはありません」

 そう言って選手、スタッフにその場を譲った。

 心のこもったスピーチが続き、涙があった。リーチマイケルが話そうとしたとき、彼は信じられないものを見たという。

「エディーが部屋のいちばん後ろに立って、泣いてたんですよ。『マジ?』と思って、びっくりしちゃって」

 エディーさんは涙を見られたくなかったのだ。

 エディー・ジャパンも間違いなく成果主義のチームだった。スタッフにはスピードと正確さが求められた。夜中に宿題が出され、それは翌朝のスタッフ・ミーティングまでに解決されなければならない。取材で聞く限り、ブラックな職場である。

 選手たちも追い込まれた。今大会、大活躍を見せた福岡堅樹はこう話してくれた。

「今までの人生で、一度だけラグビーをやめようと思ったのは、4年前の合宿で、エディーさんから厳しい言葉をかけられた時です」

 成果主義だけに、自分の期待値に到達しない選手に対しては、手のひらを返してきつく当たった。

 選手はそれに反発し、独立心を養い、最終的にはW杯で歴史的な功績をあげ、指揮官の心をも揺さぶった。エディーさんにとっても大切なチームだったのだ。

 それを感じたのは、インタビューした時に、大会直前にメンバーから漏れた選手の話になった時だ。

「村田毅(当時はNEC。現・日野所属)は本当によく頑張ったようですね」

と話すと、エディーさんは急に涙を浮かべてこう話し出した。

「まったく、その通りです。村田はすべてを捧げてくれましたが、第三列の競争が激しかったのです。本当に彼は成長したんですよ」

 エディーさんは日本代表にどっぷりとつかっていたし、だからこそ、2015年の日本代表は胸を打ったのだ。

日本人はすぐに合宿する。なぜか。

 8月に国際ジャーナリストの小西克哉さんとトークショウをしたとき、小西さんが興味深い視点を教えてくれた。

「アメリカ人とか、西洋の人はお互いの利益の合致するところだけで集まって“Party”を作ります。Democratic Party 、民主党とかRepublican Party、共和党のようにね。だから利益と関係ない部分では干渉しない。

 ところが、日本人は何かを達成しようとすると、すぐに合宿するわけ。合宿の目的はなにかというと、成果を上げるということよりも、同じ集団に所属しているという同朋意識を育てることです。英語でいえばTribe、同じ民族であることを確認する作業」

 これには膝を打った。

 エディー・ジャパンに限らず、今回のジェイミー・ジャパンも長期合宿によってあらゆる数値の向上が実現した。

 しかし、長期合宿によって生まれる「これだけしんどい練習をやったのは世界で俺たちだけ」という連帯感を養ったことも大きな武器になったのは間違いない。

 4年前、エディーさんは成果主義を標榜しながらも、日本スタイルのTribeに染まっていたのではないか。

NationがPartyを圧倒した試合。

 今回、イングランドでは日本代表のときのような長期合宿を組むことは国内プロリーグの関係上、不可能だった。しかし、個々の能力が高いからそれでも問題はない。それは準決勝でオールブラックスを倒したことで証明されている。

 しかし他のチームが見せたような、負けてなお充実した表情を浮かべることはなかった。

 イングランドは、Partyだったのではないだろうか。

 結局、Nationを背負った南アフリカは、Partyを圧倒したのである。

 エディーさんのイングランドは、来年からTribeになれるだろうか、とそんなことを思ったりもする。

 ラグビーは奥深い。

 みんなが去り、ラグビーを通していろいろなことを考えられなくなると、途端にさびしくなった。

 2023年9月8日、パリでの開幕戦が待ち遠しい。

(「スポーツ・インテリジェンス原論」生島淳 = 文)