東京オリンピックのスポーツクライミング代表選手選考が大混乱に陥っている。

 11月1日、日本山岳・スポーツクライミング協会(JMSCA)は記者会見を開き、国際スポーツクライミング連盟(IFSC)を相手取って、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴したと発表した。

 現在、スポーツクライミング東京オリンピック代表として内定しているのは、男子の楢崎智亜と女子の野口啓代のふたり。代表選手は1カ国最大4人(男女2人ずつ)まで派遣することができる。残る男1女1の座を争って、選考レースが本格化しようという最中の発表だった。

 JMSCAによれば、楢崎・野口のほかに、男子の原田海と女子の野中生萌も代表に決定するべしということを、IFSCが突然通告してきたのだという。

 つまり、上限人数に達したので日本の選考レースは終了。今後行なわれる選考大会に他の日本人選手が出場して所定の成績を収めたとしても、その選手にオリンピック出場の権利は与えられないということだ。

代表入りを目指してきた選手に衝撃。

 東京オリンピック出場を目指していたのは、上記4人のほかにも、男子の楢崎明智と藤井快、女子の森秋彩と伊藤ふたばなどがいる。彼ら彼女らにとってはまさに青天の霹靂。目標にしていた大舞台への道が、突然消えてしまうというのだから。

 新たに代表に決定するという原田と野中にとっても、素直に喜べる話ではない。

 ゴールに向かって走っていたマラソンレースを、突然10キロで打ち切られて表彰されるようなものなのだから、納得できないのも無理はないだろう。実際、野中は、4日に中国の大会から帰国したときの会見で、この件についてのコメントを拒否している。

 今回、JMSCAが行なった提訴は、日本の代表選考レースに大混乱をもたらすこの通告の撤回を求めるものだ。その行く末は不透明だが、12月1日までの裁定を求めているという。

代表選考には3つの舞台がある。

 ここで、スポーツクライミングの代表選手選考システムを説明しておこう。

 IFSCの規約では、選手選考には以下の3つの舞台が用意されている。

(1)世界選手権(2019年8月/東京・八王子)

(2)オリンピック予選大会(2019年11月28日~12月1日/フランス・トゥールーズ)

(3)大陸別選手権(アフリカ・アジア・ヨーロッパ・パンアメリカン・オセアニアの計5エリアで、2020年2~5月に開催)

 これらの大会で、以下の成績をあげた選手に出場権が与えられる(男女とも同じ)。

(1)上位7人

(2)上位6人

(3)各大陸の優勝者(5大陸で計5人)

 以上の計18人に、開催国枠1人と「三者委員会招待枠」1人を加えて、計20人が出場可能だ。ただし、1カ国2人という上限人数が設定されているため、同じ国の選手が上位に2人いた場合は対象にならず、他国の選手が繰り上げされる。

 他に細かい付帯条件もあるのだが、ざっくりいうと、このような流れでオリンピック出場選手は決まるようになっている。

 こうして見るとそれほど複雑な手続きではないが、日本だけは「開催国枠」があるため、やや特殊な決定方法を採用している。そして、今回、問題となっているのがこの部分なのだ。

日本は世界の最強国なので……。

「開催国枠」というのは、選考大会で所定の成績を残した選手が仮にゼロであったとしても、男女1人ずつは出場が保証されるというもの。いわば最低保証のようなもので、国別上限人数にプラスして与えられるエクストラではない。

 現在、世界の最強国である日本は、3回ある選考大会の結果で上限の男女各2枠が埋まらないということは考えにくいので、開催国枠が与えられていることに実質的な意味はあまりない。

 事実、8月の世界選手権では、男子が優勝した楢崎智亜のほかにも、原田が4位、楢崎明智が5位、藤井が6位。女子は2位の野口を筆頭に、野中が5位、森が6位、伊藤が7位と、男女それぞれ4名の選手が入賞している。

「開催国の裁量」で内定を保留してきた。

 ただし、開催国枠は、そこにだれを選ぶかを「開催国の裁量で決められる」という利点がある。

 その規定を利用して、世界選手権で日本人最上位の選手を男女1人ずつ代表内定した後は、各選考大会で所定の成績を残した選手が現れても内定を保留し、2020年5月に開催されるジャパンカップで残る1枠ずつを決定することにしていた。

 この決定方法はややわかりづらく、開催国枠規定の拡大解釈ととれる部分もあるので、当初は報道陣などから疑問も相次いだが、JMSCAはIFSCと何度も協議を重ねて、選考規約上問題がないことを確認して進めてきたという。

 実際、世界選手権で10位だった男子のショーン・マッコール(カナダ)と、女子のジェシカ・ピルツ(オーストリア)は、世界選手権直後に母国の代表に内定している。

 これは、楢崎智亜と野口以外の日本人選手はまだ代表に内定していないということを前提にした決定。日本の選考方法が認められていなければ、こういう判断はありえず、ふたりは出場権を獲得できていなかったはずなのだ。

 つまり、少なくともこの時点ではIFSCは日本の選考方法を問題視していなかった。

 しかし10月に入ってから態度を翻し、原田と野中を新たに代表に選出し、以降の選考は認めないという趣旨の通告をしてきたという。これが今回の騒動の発端だ。

IFSCの方針転換に世界中から疑問の声。

 問題は、なぜ、IFSCが急な方針転換をしたのかということ。

 ここについてはまだ不透明だ。関係者に聞いてみたが、係争事案ということもあり、コメントは避けられた。現時点では、CASの裁定を待つほかないのかもしれない。

 しかし混乱は日本だけでなく、各国にも広がっている。

 11月4日にIFSCはウェブサイトを更新し、「CONFIRMED QUALIFIED ATHLETES」と題して、オリンピック出場が決定した選手のリストを発表した。そこには、楢崎智亜・野口のほかに原田・野中も含まれ、マッコールとピルツの名もあった。

 男女ともに計8名。世界選手権では上位7名に出場権が与えられるという規約はどこにいったのか? 海外のクライミングサイトでも訝しがる声が上がっている。

事実を整理しても、疑問だらけ。

 不可解なことはまだある。今月末のオリンピック予選大会に出場資格のある選手には招待状が送られているが、いつの間にか規約が変更されていて、対象にならないはずだった選手にも送られているという。

 逆に、新しい規約にしたがえば出場資格を失うはずの選手にも、無事招待状は届いている。

 そもそも、IFSCの主張どおりに、日本のオリンピック代表選手は楢崎智亜、野口啓代、原田海、野中生萌で決定というならば、他の日本人選手は予選大会に出ても意味がないはず。しかし、招待はされているのだ。

 事実を整理してみれば、疑問や矛盾ばかりが積み上がり、ただただ、混乱ぶりだけが伝わってくる。いったいIFSC内部で何が起こっているのか。

 これらの疑問について、今のところIFSCは公式に説明をしていない。とにかくいちばん気の毒なのは、原田・野中を筆頭に、振り回される選手たちだ。彼ら彼女らの不安な時間を少しでも少なくするためにも、一刻も早い解決を望むばかりである。

(「クライマーズ・アングル」森山憲一 = 文)