数千人が参加する巨大トーナメントを勝ち上がり、最後の1人になる。

 それが格闘ゲームの世界で最も名誉あるタイトル「Evolution」、通称EVOを手にする条件だ。

 今年も世界中から2000人近いプレイヤーが集まった『ストリートファイター』部門で、無敗で頂点に立ったのがRed Bull所属の日本人プロゲーマー、ボンちゃんだ。

 つまり、今世界で格闘ゲームが強い何人かの中で、限りなく先頭に近い位置を走るプレイヤーである。

 高橋正人という本名も公表しているが、ボンちゃんという名前の方が圧倒的に“しっくり来る”のでそう呼ばせてもらいたい(高は実際ははしごだか)。

 彼は現在のeスポーツ、とりわけ格闘ゲームシーンがどうなっているかを理解する格好の手がかりであると同時に、ゲーマーという人種のイメージを再設定する人物としても最適な存在である。

働き始めた麻雀屋さんでの出会い。

 ボンちゃんが格闘ゲームを本格的に始めたのは2009年、22歳の頃。きっかけはさらに2005年に遡る。運命は、意外なところで待っていた。

「小さい頃からポケモンとかは好きだったし、ゲームセンターにもちょくちょく行ってました。まぁ普通のゲームっ子ですね。のめり込んだきっかけは、18歳で働き始めた麻雀屋さんにウメさんと豊田がいたこと。最初はただの同僚でしたけど、彼らに引っ張られる形で仕事終わりにゲーセンに通うようになって、本気で練習するようになりました」

 ウメさんとは、後に日本人初のプロ格闘ゲーマーになる梅原大吾。豊田とは、現在ボンちゃんが所属する事務所TOPANGAの社長・豊田風佑を指す。日本のeスポーツを引っ張る第一人者たちが同じ場所に集合していたことになる。

「のめり込んだ、とは言っても当時はプロゲーマーっていう職業自体ありませんでしたからね。それで生活しようなんて考えたこともなかったです。2010年にウメさんがプロになるって聞いた時も『それ大丈夫なの?』っていう感じで(笑)」

伸びるのは「負けても楽しめる人」。

 それでも、ゲームへの情熱は加速する一方だった。本格的にゲームセンターに通い始めて半年も経たないうちに国内トップレベルのプレイヤーたちと勝ち負けするレベルに急成長する。

『ストリートファイター』において日本はアメリカをしのぐ超大国であり、世界ランキング上位も半分近くを日本人が占める状況である。そんな環境で、ボンちゃんは凄まじいスピードでトップ集団に追いついた。格闘ゲームが強くなる人の共通点を、彼はこう表現する。

「ゲームって面白いからやるじゃないですか。ただ、何を楽しいと思うかは人によって違う。勝てば楽しいのは当然だけど、負けてても楽しめる人が伸びやすいと思います。負け試合を見て何がダメだったのかを反省する人は強くなりやすい人だと思います。

 僕は大会で負けた試合は絶対に見返します。何がうまくいかなかったか、何を食らったかが明白に残ってるので、負け試合って凄い財産なんですよ。負け試合は見たくないっていう若い子も多いんですけど、何言ってんのって(笑)。勝った試合なんかどうでもいいんですよ、負け試合を見ないと」

 プロ野球の野村克也氏が座右の銘にしていたことでも有名な松浦静山の名言「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を思い起こさせるような勝負観だが、それではまだボンちゃんが現在の位置にいる説明としては不十分である。

 彼は『ストリートファイターV』でのEVOを優勝した2人の日本人のうちの1人であり、ポイントランキングでも世界ランキング1位を経験した数少ないプレイヤーである。セオリーでたどり着ける一流の先の、超一流の領域に踏み込んでいる。

「どんな状況でもレバーを後ろに」

 そんなボンちゃんだけが持つストロングポイントについて尋ねると、少し考えた後にこう表現してくれた。

「他の人は待てないというか、焦っちゃう人が多いなとは思います。自分で思う長所は、全く焦らないこと。格闘ゲーム的に言えば、どんな状況でもレバーを後ろに入れられる。前に出れば自分の攻撃は当たるけど、リスクも上がる。ハイリスクハイリターンは決まると気持ちいいし観てても盛り上がるんですけど、仕事にしたいんだったらそのリスクは取れない。生活するってそういうことでしょ、って。

 麻雀のスタイルも守備型だったし、元々性格的にそうなんだと思います。だからゲームでも、格下相手の取りこぼしは誰よりも少ないですね」

オファーに飛びつかず、じっと待つ。

 その慎重さは人生でも変わらない。一緒にプレイしていた人たちが次々とプロになっていくが、「実力的には決して負けていない」という確信を支えに、自分の道を見失わなかった。

 2013年に国内初タイトル、そして2014年のEVOで準優勝。順調にプレイヤーとしてのキャリアを積み上げていったボンちゃんには当然多くのオファーが舞い込んだが、実際にプロ契約を結んだのは2015年の秋。

 決して自分を安売りせず、かといって非現実的なハードルを設定することもせず、26歳頃まではゲーム以外の仕事も続けながら適正なオファーを待ち続けた。

「結果を出そうと意識するのはマジで損」

「その時も僕は『スポンサーを取るために結果を出さなきゃ』と焦ってはいませんでした。結果はついてくるもので、意識するのはマジで損だとしか思えないんですよね。

 それでもある程度は結果がでないと、戦う舞台にも上がれないのも現実。いくら自分では強いと思っていても、スポンサードしてくれる企業がつかなければ海外の大会に出ることもできませんからね。

 だから、Red Bullにとってはじめてのeスポーツのプレイヤーとして僕に声をかけてくれたのはもちろん嬉しかった。でもいくら大きい企業だからって、ふたつ返事で話を受けることはしませんでした。待遇やルールにチームとしての考え方、そういう部分はプロになるうえでも譲るつもりは無かったので」

 華々しいプロ契約の後も、ボンちゃんの歩みは着実だった。急にランキングを上げたわけではないが、自分が勝てる形、戦い方、キャラクターを確実に見つけ、2019年に大きく花開いたのだ。

結婚相手に言われて感謝した言葉。

 そして2019年は、プライベートでも大きな転機となった。ここ数年はeスポーツの社会的認知の向上に引っ張られるようにプロゲーマーの結婚ラッシュが続いているが、ボンちゃんも今年、結婚と双子の誕生を発表した。

「こんな業界じゃないですか、今はプロにもなって生活できていますけど、結婚はやっぱり不安でしょうがなかったですよ。いつまで自分がプロでいられるかはわからないし、それ以前にプロシーン自体だってずっとあるとは限らないんで。

 だから、自分は他の仕事をやるのは全然OKなんですけど、それでもやっぱり共働きというか、そういうスキルはあってくれた方が助かるなとは思ってました(笑)。

 もし相手の人が専業主婦になりたいタイプだったら『ご縁がなかったということで……』ってなってた可能性は全然あります。俺が絶対食わせてやるからどんと構えとけみたいな気持ちは全くないです。それくらい今だって自信はないですよ。でも相手の人は、大丈夫だから一緒に頑張ろうって言ってくれて、ほんとありがたいです」

 新しい職業世界を切り開く革新者であると同時に、極めて真面目で生活者のリスク感覚も併せ持つ。プロゲーマー、という言葉のイメージとボンちゃんのパーソナリティは一致していただろうか。

 ゲームの中に加えて私生活でも鉄壁の体制を整えたボンちゃんに死角はない。

(「eスポーツは黒船となるか」八木葱 = 文)