「またか」

「まさか」

 一瞬、ふたつの感想が混じり合った。大坂なおみがWTAファイナルズを途中欠場。2日前、ラウンドロビンの初戦でペトラ・クビトバを退け、世界1位のアシュリー・バーティとの注目の一戦が始まる3時間あまり前の発表だった。理由は右肩のケガ。練習中か、2日前の試合の最中か、それともオフコートでの出来事か――。

 憶測がめぐる中での会見で大坂はこう話し出した。

「実は北京の決勝で痛めていました。サーブが打てるようになったのはこっちに来る2日前からだった。でもいい感じになって、試合をしたんだけど、翌日起きたら急にまた痛みが出て昨日は全然サーブが打てなかった」

 クビトバ戦では要所で強力サーブを生かし、トータルで12本のエースを放った。確かに練習はすぐに切り上げたが、ここでの棄権は予想もしない展開だった。

 この大会のラウンドロビンでは、1勝ごとの賞金30万5000ドル(約3300万円)のほかに、戦った試合数によって異なる出場料が定められている。ケガなどで1試合しかプレーしなければ22万ドル(約2400万円)だが、2試合プレーすれば26万5000ドル(約2900万円)。つまり、たとえ負けてもコートに立ちさえすれば500万円増えるわけだが、その額は大坂レベルのプレーヤーがリスクをおかすエサにはならない。

 途中棄権も含めて負けて去るより、クビトバ戦の勝利で締めくくることを選び、大坂の2019年シーズンは終わった。

クビトバ戦の明らかに高い注目度。

 大坂は今3位だが、トップに匹敵する目玉選手だった。

 ダブルスのほうには中国から2人、台湾から3人のアジア選手がいるが、シングルスでアジア系は大坂ただひとり。北京で優勝したばかりということもあり、これまでのところの観客数は、目視するだけでも明らかに初日の大坂対ペトラ・クビトバの試合が一番多かった。

 ここからバーティとの今季グランドスラム・チャンピオン同士の対決、そして今季3敗を喫している相手ベリンダ・ベンチッチへのリベンジと、見どころが詰まっているはずだった。

大会中の棄権は今季2度目だった。

 今年から大会の冠スポンサーとなった資生堂は、大坂のパーソナル・スポンサーでもある。クビトバ戦勝利のあとの記者会見終了後には、看板商品を手に同社役員との記念撮影に笑顔で応じていた。スポンサーも大坂に最大の期待を寄せていた。

 それがわずか1試合で希望は散ってしまった。 

 大会中の棄権は、シンシナティの準々決勝に続いて今季2度目。昨年のこの大会はラウンドロビン全敗で、最後は足の付け根のケガによる途中棄権だった。体がもたない原因は何なのか。

推測した2つの原因も、悲観はなく。

 2つの原因を大坂は推測する。

 1つは連戦。もう1つは、小さい筋肉を鍛えるための運動が不十分であること。単純に試合数を見るなら、今季はこの大会を含めて51試合で、62試合を戦った昨年に比べて少ない。

 しかし全米オープン以降のアジアシリーズに限れば、昨年が9試合で今年は10試合。他の出場者と比較してみると、短期間なので大差はないもののスビトリーナの12試合に次いで多い。

 ほかに原因を挙げるとするなら、他の大会と違って初戦からトップとの対戦なので、いきなりフルパワー、トップギアでスタートしなくてはならないというプレッシャーだろうか。それは精神的なものではなく肉体的な負担が大きいはずだ。その点で大坂はまだ経験不足。いずれにしても、来シーズンに向けての課題になる。

 肩の状態についてはさほど悲観していない。

「正直に言うと、肩のケガは5年前だったか、まだ17歳くらいのときにタイの大会でやっています。深刻じゃなくて、少し休めばいいだけだったから、今回もそういう感じだといいんだけど。とにかく今すぐ手術が必要とかいうものではないことは確かです」

 タイという記憶が正しいなら、実際は4年前の11月のことのようだ。確かに、1週空けただけですぐに次の大会を戦っている。

「たくさん泣いたけど、教訓かな」

 オフの間に治せると踏んでいるのだろう。加えて、シーズンを振り返って一定の手応えも感じている。そのせいだろうか、「本当に残念」な締めくくりになったにもかかわらず、会見での大坂の表情はそう絶望的ではなかった。

「意外にも、今は去年より今年のほうがいい年だったと感じている。去年よりたくさん泣いたけど、それも教訓かなって」

 そう話し、今シーズンをアルファベットの「U」で表現した。はじめと終わりがよかったという意味だ。「U」のかたちの底の部分は、1回戦負けしたウィンブルドンを含めたヨーロッパのシーズンである。

「シーズンの終わりになると今年を振り返ってという質問をされるけど、いつも私の答えは同じで、1年を通してもっと安定した成績を残したかったということ。それはまた今回も同じです」

テニス選手としてもっと成長を。

 2週間前に22歳になった。

 日本では22歳以上の重国籍を認めておらず、重国籍者は誕生日までに1つを選択しなくてはならない。大坂は以前から希望していた通りに日本国籍を選び、これによって来年の東京オリンピックには、出場するなら間違いなく日本人として出場するということになった。

 アメリカ国籍を離脱したかどうかのデリケートな部分を本人が詳しく語ることはこの先もないと思われるが、多くのファンや関係者の関心事だった<国籍問題>に一応の決着をつけたかたちだ。

 その後、気持ちの変化はあったのだろうか。そんな質問に、「皆さんが望むような答えじゃないかも。だから本心を言うのはやめておくわ。なんてね(笑)」と冗談めかしてから、こう続けた。

「正直なところ何も変わっていません。それも問題なのかもしれないけど。ただ、今はテニスプレーヤーとしてもっと成長したい。ひたすらそのために自分のエネルギーを注いでいます」

 大会に漂う空しさをまるで置き去りにして、大坂は颯爽とポジティブに来シーズンへと向かって行った。

(「テニスPRESS」山口奈緒美 = 文)