1991年の秋、28年前のことでした。当時、私は運動部の新人記者で、いまはもうない大阪・近鉄藤井寺球場に近鉄・ロッテ戦のナイター取材に行ったのです。当時、ロッテの監督は6日に86歳で亡くなった金田正一さんでした。

 ロッテ担当の先輩女性記者が「この子はうちの新人で、左利きでずっとソフトボールをしていたんです」と監督に話しているのが聞こえました。「ちょっと、やるか」監督はそう言うと、考える間もなく、キャッチボールが始まったのでした。

 ところがです。塁間より少し短いくらいの距離でした。普通、キャッチボールといえば何球か、山なりの緩いボールを投げて始まるものではないでしょうか。なのに監督は初球からいきなり、尋常でない速さのボールを投げてきたのです。心臓が止まりそうでした。当時、すでに58歳。何とか捕球できましたが、右腕が持っていかれるようでした。逃して顔に当たっていたら…と想像するだけでゾッとしました。

 緊張でカチカチの私はシュート回転したヘコヘコのボールしか投げられませんでした。しかし5球、10球と続くうち、別のすごさが分かるのです。ほとんど寸分違わず、左耳の横にボールがきていたのです。この位置は、捕球して投げるとき、最短距離で動ける場所です。つまり、もし初球を受け損なっていたとしても、顔を直撃することはなかったのです。使ったボールを渡され、キャッチボールは終わりました。

 そのボールを持ってウロウロしていると、別の先輩男性記者から言われました。「せっかく金田さんとキャッチボールできたのだから。サインもらってきたらどうだ」。言われるまま、監督のもとへ行き、サインを頂戴し、再び先輩記者に見せに行きました。すると、「おい、このボールは貴重だぞ。金田さんはサインはしても400勝とはめったに書かない人なんだ。大事にしろよ」と言われました。いま、そのボールは京都の実家の床の間に飾ってあります。

 息子で俳優の金田賢一(58)が父親とキャッチボールをしたのは3度ほどだったと話しているのを知り、私のようなものがやらせてもらってよかったのか、と申し訳なく思いました。あの日、藤井寺球場で何の取材をしたかは全く思い出すことはできません。でもキャッチボールの記憶は鮮明なまま。何者かよく分からないピヨピヨの新人記者にまで、消えることのない思い出を残してくれたのでした。(記者コラム)