2019年3月26日。囲碁の総本山、日本棋院では4月からプロになる新初段の記者会見が行われた。例年と違うのは、10歳0カ月でプロになる仲邑菫初段が注目され、多くの報道陣が詰めかけたことだ。

 新初段ひとりひとりが抱負を述べる中、とりわけ際立ったのが、13歳の福岡航太朗初段だった。

「感謝の気持を忘れず、世界一になって、日本が中国韓国に勝てるようがんばりたい」

 背筋を伸ばし、はきはき話す姿に、会場にいる多くの人が心をつかまれた。

 福岡は、プロ養成機関である「院生」を約半年で駆け抜け、中学1年でプロ試験に合格。スピード入段(プロ入り)を果たした逸材だ。

 井山裕太四冠は小学3年の9月に院生になり、プロ試験に合格したのは小学6年の冬。院生期間3年というのは早いほうなのに、福岡航太朗が院生になってから1年足らずでプロ入りしたのは、驚異的なのだ。それも院生になって、なんと114連勝しながら毎月クラスをEからD、C、B、Aと一気に駆け上がっていったというのだ。プロを目指す猛者がひしめく院生で、114連勝というのは例がない。

 それでも福岡は「連勝はたいしたことはありません」と言う。院生に入る前、小学生のうちに十分、プロになれるほど実力を上げていたので、当然というのだ。

 短期間で福岡はどうやって強くなったのだろうか。

囲碁との出会いは祖父の家で。

 福岡航太朗は4歳のとき、祖父の家にあった碁盤を見て興味を持った。人気囲碁マンガ『ヒカルの碁』で主人公が碁と出合うシーンが彷彿される。

 しかし、祖父は五目並べしかできず、そこで囲碁は教えてもらえなかった。

 そのあと、日曜日のNHK囲碁番組をひとりで見入り、「このゲームをやってみたい」と思ったという。

小2から「洪道場」に通う。

 もともとボードゲームやカードゲームが好きで、どんなゲームでも理解が早く、家族でやった神経衰弱ではすぐカードの場所を覚え、親を驚かせたという。

 5歳の夏休みに、駅前にあった囲碁クラブの看板を見つけて、無料の体験教室を受講。小学校受験が終わった1月から囲碁とサッカー、水泳、体操、縄跳びを習い始めた。

 小学2年の秋には、洪清泉(ホン・セイセン)四段が主宰する「洪道場」に通い出す。

 洪道場は、プロを目指すなど、囲碁での目標がある子どもが通っており、史上初の10代名人となった芝野虎丸新名人(19)や早碁二冠の一力遼八段(22)、藤沢里菜女流四冠(21)ら、現在囲碁界トップで活躍する棋士を多く輩出している名門だ。

「サッカーは楽しかったのですが、体操教室は地獄の時間でした。疲れて体が痛くなるだけだった。洪道場ではみんな毎日来て勉強して強くなっていました。土日だけしか通ってなかった僕は最初、なかなかランクが上がらず……」と福岡航太朗。

 強くなりたい、勝ちたいという思いがつのり、ほかの習い事を徐々に減らし、土日だけでなく、平日も学校帰りに寄って夜まで碁の勉強をする毎日になった。

負けるとスクワット10回。

 強くなりたいというモチベーションを支えたのは、ライバルの存在だった。

「こいつだけには負けたくないという人がいました。負けたらショック。でも次は勝たないといけないので」

 ショックを引きずっている暇はないのだ。

 洪道場では、碁に勝てばお菓子やアイス、映画鑑賞券やボウリング券などがもらえるが、負けるとスクワット10回などの罰ゲームが課される。

 師範の洪清泉は優しいが、うるさくしたりはしゃいだりすると怒られた。とくに同じことを2回注意されたときは怖い。

「ふざけていたことがあって、本当に1回、帰らされたことがありました。それがつらかったです。次の日行きづらくても行くしかないので行きました」

 8歳で「こども棋聖戦低学年の部」で優勝するなど、着実に世代でトップの位置を確保していった。

9歳で単身、韓国留学へ。

 現在、30歳くらいまでの若手棋士が、期間の長短はあれ、韓国に留学して囲碁を勉強しプロ入りするのがトレンドだ。

 仲邑菫も韓国で修業し、大きくスキルアップし、プロ入りを決めている。

 韓国では宿泊はもちろん、食事や洗濯の世話もしてもらえる囲碁道場がいくつもある。朝から晩まで囲碁漬けの生活が送れるのだ。

 日本でも師匠宅で内弟子生活を送ってプロになるというコースは、江戸時代から続いていた。10年ほど前までは、タイトルホルダーは皆、内弟子経験者だった。

 しかし現在は、住宅事情などから内弟子を取る棋士がほとんどいなくなっている。

 道場の仲間が韓国留学をしているのを見て、福岡も行きたかったのだが、家庭の経済事情を心配し、言い出せなかったという。他の子の韓国留学に親が気づき、福岡も気持を表明することができた。

 9歳、小学4年で単身、韓国に渡った。

一番怖い敵は自分自身。

 親がついてきたのは羽田空港まで。ビザの関係で、3カ月以内で帰国し、囲碁の大会に出場し、また渡韓するということを繰り返した。

 韓国・陽川道場では朝6時起床。順番にシャワーを浴び、2時間勉強して朝食。皆で車に乗って道場に移動し、朝9時から夜9時半まで碁の勉強や対局。寮に戻っても夜11時半まで勉強した。

「優しい人ばかりでした。韓国語は真似しているうちに3カ月でだいたい理解し、しゃべれるようになりました。寮の食事が美味しくなかったのですが、我慢して食べました」

 小学5年のときは、上から2番目のクラスに安定して在籍できるくらい実力がついてきた。最上位クラスは余裕でプロになれるほどのレベルだ。

 支えは、洪清泉から送られた「対局前のきもちの作り方」。気持で負けない、一番怖い敵は自分自身であることを知る、などが書かれていた。

 もうひとつは、親が送ってくれる一流アスリートが生活やメンタルなどを語っている本や雑誌。

 これらのおかげで気持を強く持って、日々を送ることができた。

親に「やめたら?」と言われた。

 小学5年で「こども棋聖戦高学年の部」「ジュニア本因坊」で優勝。

 相応の実力をつけ、小学5、6年と2年連続「外来」(院生以外でプロ試験を受ける人のこと)資格で受験するが、2度とも予選を突破することができなかった。

 福岡は「終わった。囲碁を続けられるのだろうか」と思ったという。親に「やめたら?」と言われたからだ。

 韓国留学までさせてくれた親の気持は痛いほどわかる。

 親としても、韓国で囲碁漬けの生活を送っているのに、結果が出せないのであれば、今なら他の道に進めると思ったのだろう。

 親の思いはプレッシャーだったが、ここまで来たら戻れない。

残り6局を全勝して、プロ入り。

 中学1年、日本で院生になることを決意した。一番下のEクラスに入り、ここから快進撃が始まる。

「Cクラスまでは負けられないと思いました。Bクラスは洪道場で打つと負ける子が在籍していたので、全勝するのは難しい」

 結局、Bクラスの4局目、半目(最小差)で負けて、連勝は114でストップした。

「(周りから)全然負けてないねーとか言われていたので、連勝が止まって安心感もありました。1回負けておけばあとは何も言われなくなるだろうから」

 黒星を喫したものの、Bクラスで1位となり、Aクラスまで登り詰めた。

 いよいよプロ試験。採用は上位2名だけ。16人総当たり戦で、2カ月間にわたる長丁場だ。
 しかし9局までに4敗を喫してしまう。これ以上負けたらプロ入りは絶望だ。

「親はめっちゃ怒って。意地を見せなさいって。あとすべて勝たないとプロになる道はない」と奮起。残り6局を全勝で駆け抜け、見事プロ入りを果たしたのだ。

18歳までに最低でもタイトル挑戦。

 プロ生活は充実しているという。院生のときより安心感がある。

 囲碁はAIの登場により、従来、悪い手とされていたことがよくなるなど、考え方が変わったり、新しい定石や形が誕生したりしている。

「可能性がいっぱいあって面白いです。やってもやっても何が正解かわからないところも魅力」

 18歳までに最低でもタイトル挑戦、目標は七大タイトル獲得だ。

 そう遠くない未来、最年少タイトル記録を福岡航太朗が刻むのを楽しみに待ちたい。
 

(「Number Ex」内藤由起子 = 文)