1976年モントリオール五輪男子レスリング・フリースタイル90キロ級で8位に入賞し、日本がボイコットした80年モスクワ五輪で“幻の金メダリスト”と呼ばれたプロレスラーの谷津嘉章(63)は、今年6月に糖尿病のため右足を切断した。“幻のモスクワ五輪代表”の出走が計画される20年東京五輪の聖火ランナーに名乗りを上げ、このほど義足歩行を開始。その一歩となるリハビリに密着し、40年たっても冷めない五輪への燃える思いを聞いた。(ペン・カメラ=酒井 隆之)

 関東近郊のリハビリ病院に谷津はいた。必殺技“監獄固め”をロックしてきた右足は、膝関節の下からなくなっていた。プロレスラーとしてのトレードマークだった口を覆うひげは、きれいにそられていた。

 谷津が右足を失ったのは6月25日だった。プロレスを一度引退しながら、レジェンド選手として復帰。五輪ならぬ8つの輪をデザインした「YATSU―RIN」コスチュームで、東京五輪まで盛り上げるつもりだった。だが、持病の糖尿病から血管障害が起き、靴ずれから細菌が入って右足が壊疽(えそ)。6月2日のDDT愛媛巡業から帰って診察を受けた時には、切断という選択肢しかなかった。

 「筋肉があって骨太だから手術は3時間半かかった。首から上は意識があって、レーザーメスで焼き肉のような臭い、骨をギーーンって削る音…。グロすぎて体験するもんじゃないですよ」

 体重は入院時の92キロから右足切断で87キロに減った。術後に2度気を失ったほどの痛みが薄れていくと、39年前と同じ絶望感が湧いてきた。

 20歳でモントリオール五輪に出場し、フリー90キロ級で8位入賞。次のモスクワ五輪に向けてソ連(当時)に単身で渡って武者修行を行った。フリー100キロ級で79年世界選手権金メダルのサルマン・ハシミコフ(66)=ソ連、後にプロレス転向=と何度も練習し「1ポイント差で勝つか負けるかという状態に仕上がっていた」。だが、日本は米ソ冷戦のあおりを受けてモスクワ五輪をボイコットし、金メダルへの夢を絶たれた。

 ハシミコフも五輪代表になりながら直前に負傷欠場し、伏兵のイリヤ・マテ(ソ連)が金メダルを獲得している。谷津がプロレス転向した時に師匠・アントニオ猪木があおった“幻の金メダリスト”というフレーズは、あながち誇張ではない。

 切断手術から1週間後に運命的なニュースが入った。7月2日、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長(62)が、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(82)に、幻のモスクワ五輪代表選手が「何らかの形で関われるように」と要望。聖火リレーのランナーとして起用するプランが浮上した。当時、柔道代表だった山下氏は、次の84年ロサンゼルス五輪無差別級で金メダルを獲得しているが「重い傷を癒やせない」同志の存在を忘れていなかった。

 谷津は「ラッパみたいになった」という患部の腫れが引くのを待って、8月19日に義足を採型し26日に初装着。そこからリハビリが楽しくなった。病室から車いすに乗ってリハビリ室へ。入念なストレッチを終え、膝下7センチだけ残った脛(はぎ)の部分にシリコンの“靴下”をはかせる。その先にネジのような金具がついており、それを義足のソケットにある穴に入れて圧力を調整する。底辺に負荷が集中しないように、ソケットの側面から圧がかかる。「すごい圧迫とストレス。なかなか慣れない」。座って話を聞いていると、何度も立ち上がったり義足を外したりしていた。

 両手を平行棒に乗せ体を支えながら約3メートルの往復歩行、手すり付きの階段昇降、そして、つえをついて歩いた。私がカメラを構えているのを意識し、つえを担当の理学療法士に預けて2足歩行もしてみせた。「普通は怖がって義足に乗れないんですが、谷津さんは怖いもの知らずですから」と療法士が言うと、プロレスラーの顔になって胸を張って歩き続けた。

 リハビリは休日なく毎日行われ、午前と午後に40分ずつ。病院の外周約100メートルを歩けるようになった。走るためには義足を“成長”させていく必要がある。プラスチック製の練習用から、軽くて割れないカーボン製が完成した。ソケットのサイズを変えないためにも、大腿(だいたい)部を太らせずに筋肉を付けていく。足首の部分をジョギング用に進化させる。

 9月30日に一時帰宅が許可され、退院予定日も決まった。聖火ランナーについては「今のところ何の約束もない」と、関東近県の一般公募にも応募。一般参加よりもJOC枠の方が走る区間が東京に近付き、実施時期も後になる。「しっかり走るためにも、開幕直前の方がいい。トーチを持って絵作りさえできればいいと思ってるだろうけど、俺は本気で走るからね。義足に乗っかった以上は、俺は東京五輪に乗っかるよ」。ひげのない谷津が、維新軍時代のような野武士の表情になった。

 ◆谷津 嘉章(やつ・よしあき)1956年7月19日、群馬・邑楽郡明和村生まれ。63歳。足利工大付高でレスリングを始め、日大、足利工大研究員を経て、80年10月に新日本プロレスへ入団。83年に維新軍入り。全日本プロレスで長州力とインタータッグ王座奪取。86年にプロとして初めてアマ全日本選手権に出場し、フリー130キロ級で6年ぶり6度目の優勝。ジャンボ鶴田との五輪コンビで87年世界最強タッグ優勝、88年に初代世界タッグ王者。93年に社会人プロレスを旗揚げ。2000年に総合格闘技PRIDEに参戦。10年10月30日に引退試合。現役時代は186センチ、120キロ。

 ◆3・26福島からリレー開始

 聖火は来年3月12日にギリシャで採火式を開催し、同26日からリレーが福島・Jヴィレッジでスタート。計121日の日程で47都道府県を巡る。走者数は約1万人。公募のほかIOC・各都道府県・各スポンサーの推薦枠もあるが、内訳は非公表だ。午前10時~午後8時頃まで連日80~90人が走る予定で、実施の市区町村は全国1741中857と約半分。車や電車などで1時間以内に見に行ける自治体の住民数を全人口で割った「人口カバー率」は98%で、組織委関係者は「ロンドン大会よりも高い」と胸を張る。

 1人あたりの距離は200メートル、時間にして2分と短め。原則1人で走るが、ランナーと十数台規模の車両からなる「聖火リレー隊列」を組む。ユニホームは白地に、神事に紀元を持つタスキをモチーフにした赤の斜めラインをデザイン。リレー参加者は着用した一式を無料でもらえる。聖火トーチも、ランナーに限って数万円で販売することも検討している。