笑顔の復活だった。

 早川史哉が1302日ぶりにJリーグのピッチに帰ってきた。

 早川は筑波大学から2016年にアルビレックス新潟に加入。ルーキーイヤーからいきなり開幕スタメンを掴むなど、順風満帆なプロ生活をスタートさせた。しかし、白血病という恐ろしい病魔に襲われた。サッカー選手という、一度は叶えた目標を手放さなければならないところまで追い込まれた。それでも、彼は心折れることなく、情熱を消すことなく、想像を絶する過酷な治療とリハビリの日々を経て、復活の日を迎えた。

 J2第35節のホーム・鹿児島ユナイテッドFC戦。リーグ戦は2016年3月12日の横浜F・マリノス戦以来の出場だった。カップ戦を含めると同年3月27日ルヴァンカップのサガン鳥栖戦以来、1287日ぶりの出場だった。

 突然の白血病発表から約3年半。公式戦のピッチ上にいる背番号28に、新潟サポーターたちは誰よりも大きな声でコールし、チャントを歌った。

「ずっとこの景色を見るために、ここでプレーするために闘病生活をやってきたと言っても過言ではなかった」

生粋のアルビレックスっ子。

 新潟生まれ、新潟育ち。中学1年から高校3年まで下部組織で育った生粋のアルビレックスっ子だ。そんな彼にとって、プロとして立つビッグスワンのピッチは特別だった。

「アップの時に、やっぱりチラチラとスタンドや周りを見てしまいました。チャントもコールも聞こえていて、いろんな思いが次々とこみ上げてきて、ちょっと平静を保つことが難しかった。でも周りに緊張しているなとか、気持ち高ぶっているなと思われたくなかったので、普通な顔をして我慢しました」

 こみ上げてくるものを必死で堪えるために、彼が見せたのは笑顔だった。アップのためにピッチに飛び出して行くときも、ゴール裏のサポーターへ投げたサインボールが届かなかったときも、集合写真を撮るときも、彼はずっと笑顔だった。

追加点を呼び込んだ早川の判断。

 右サイドバックとしてスタメン出場をした早川は、開始早々の3分にオーバーラップからクロスを上げるなど、スムーズに試合の入った。1点をリードした20分には早速、早川らしい頭脳的なプレーがチャンスを生んだ。

 右サイドでMF戸嶋祥郎からパスを受けると、早川は中央に走り込むFWレオナルドとMF渡邉新太の姿を捉えた。

「レオと新太が動いていたけど、(直接クロスを送り込むのは)ちょっと通る可能性が低いし、タイミングが早すぎるなと思った。前進してから、左に振って、相手の動きをもう一度逆にすることを考えました」

 相手のCBとボランチがレオナルドと渡邉の動き出しに反応していることを察すると、わざと中へトラップして相手を食いつかせ、戸嶋にリターンパスを送った。「左に展開しろ」という早川のメッセージ付きのパスを受けた戸嶋は、その通りに左サイドのスペースに走り込んだDF堀米悠斗に大きくサイドチェンジ。堀米の左クロスから渡邉の鮮やかなワントラップシュートがゴールに突き刺さった。

 貴重な追加点の裏には早川の味方と相手の全体を視野に入れた冷静な判断があった。

 29分にはルーズボールの競り合いから、鹿児島FWルカオに乗り上げるような形で、空中でバランスを崩して、ピッチに腰を強打した。腰を押さえ、倒れ込んだままの姿に一瞬、場内が凍りついた。だが、彼は笑顔で起き上がると、スタッフから水を渡されたときも笑顔だった。2分後には転倒のダメージを感じさせない軽快な動きで、右からのクロスをダイレクトでクリアしてビッグスワンが沸いた。

2度の激しい接触にも笑顔。

 後半、チームはゴールを重ね、残り5分の段階で6-0という大差がついた。それでも早川の高い集中力は終盤まで途切れない。

 わずかに合わなかったが、86分には左からの堀米のクロスに対し、ゴール前に飛び込んだ。続く、89分には自陣ゴール前でのクリアの際に相手の足裏が右足の甲に入り、担架で外に運び出された。しかし、すでにチームは交代カードを3枚切った後だったからか、痛みを堪えながら再びピッチに戻ってきた。

 2度の激しい接触があったが、彼は90分間プレーをやりきった。タイムアップの笛が鳴り響くと、一瞬だけ安堵の表情を見せた後、すぐに笑顔を見せた。

 完勝後のスタジアム内一周、そしてサポーターとのセレブレーションとヒーローインタビュー。時には涙ぐむ姿を見せた。だが、それ以外はずっと笑顔だった。

 彼にとって一生忘れることのないであろう特別な1日で、最初から最後まで彼の表情を包んでいた笑み。そこには計り知れない思いがあったことだろう。

サッカーをやってきてよかった。

「スタメン出場が決まってから、ずっと落ち着かない自分がいた。試合前も、試合中もソワソワしている部分があった。実際にピッチに出てみて、視野が狭くなったり、ちょっと慌ててしまったりと、自分の落ち着きのなさを感じました。正直、自分もここまで視野が狭まるとは思っていなかった」

 試合前のアップ、ロッカールーム、そして選手入場から90分間戦いきるまで、彼は必死だった。緊張、不安、喜びと感動。彼の過ごした3年半の時間の意義がすべて詰まっていて、公式戦というシビアかつ求めていた環境が次々と自分の中に予想もしない感情と感覚を生み出していく。

「試合のプレッシャーだけではなくて、僕にとってビッグスワンというピッチは何よりも特別な存在なので……。そういう意味ではなかなか冷静さを保つことができなかったです。でも、そういう部分を感じられるということが、ずっとサッカーを頑張ってやってきた結果だと思っているので、サッカーをやってきてよかったなと改めて思いました」

 試合後のミックスゾーンで言葉を詰まらせながらも気丈に語る早川。この後に続いた言葉に彼の笑顔の理由が凝縮されていた。

戦うことを実感した激痛。

「前半、ルカオ選手と接触して一回転して腰から落ちた時も、危ないシーンでしたが、あそこで弱腰になりたくなかったし、後半に足裏が足に入った時も、あそこで足を引っ込めたくはなかった。痛みを感じられること自体に大きな喜びがあったので、正直物凄く痛かったけど、僕にとってはかなり嬉しい瞬間でもありました。これが戦うということだな、ピッチに帰ってきたんだな、と実感できる瞬間でした。

 僕はチームの代表としてピッチに立って戦っている。その意味を感じながら、自分なりに表現することはできました。そういう痛みもずっと感じることができなかったので、幸せな痛みというか……」。

 冷静さを装うための笑顔だけではなく、冷静さを失ってしまうほど求めていた環境に立てた喜び。それを必死でコントロールしながら、彼はピッチを駆け抜けた。

吉武監督に気付かされた武器。

「思考を高める」

 これは彼が昔からよく口にする言葉だ。特に体が大きいわけでもない。特にスピードがあるわけでもない。はっきり言えば、「これ」という分かりやすい特徴がない選手だと言えるが、それを本人はずっと自覚していた。

「U-17W杯(2011年メキシコ大会)で同級生の武蔵、1学年下の南野拓実や中島翔哉、植田直通といった特別な才能を持った選手たちを見てきて、『自分の特徴は何なのか』と迷う時期もありました。その時、吉武博文監督(当時)が『史哉の良さはバランス感覚と、全体の動きを見ることができること。動きながら正確にボールをコントロールするプレーができるから、複数のポジションを質が高くこなせる。そこをもっと伸ばしてほしい』と長所をはっきりと伝えられた。強烈な個性はなくても、組織の1人として機能できる自信が僕を支えてくれた」

 頭脳こそ、自分がプロサッカー選手になるために、プロとしてさらに上に行くために必要な武器。常に周りを見て、状況を把握し、その中で周りの個性と個性を繋ぎ止める役割を高いレベルでこなす。常に自分自身と向き合いながら、思考を高める作業をコツコツと積み重ねていった。

 だからこそ、予想もしなかった事態に追い込まれても、彼が高め続けた思考レベルは落ちることがなかった。

闘病生活で錆びなかった思考。

「これまで思うようにプレーできない日もたくさんありましたし、それこそ(練習に)復帰したての時は何もかもがうまくいかなかった。でも、そこで僕を救ってくれたのは、状況把握と状況判断する力でした。状況は見えているし、これがベストという判断は持てている。体がついてこないだけと割り切ることができた。『コンディションが良くなればできる』と、前向きに考えることができました」

 体は長い闘病生活によって明らかに以前と違う。でも、頭までは錆びついているわけではない。

 これが早川にとって大きな希望の光になった。

 完全復帰に向けての懸命のリハビリを積み重ねてきたからこそ、ビッグスワンのピッチに立つ11人に選ばれることができた。

「病気から初めてベンチ入りした時(J2第28節のファジアーノ岡山戦)も、試合に出ることはありませんでしたが、今までスタンドから見ていた景色を目の前にしたことで、僕の思考は高まった。ベンチ入りを重ねるにつれて、『出たらこうしよう』、『この局面でこのポジションだったらどういう選択肢があって、何を選択するか』まで考えが至るようになった」

復帰戦がゴールではない。

 念願の公式戦出場はアクシデントで離脱することになったDF新井直人に代わる形だったが、ほぼぶっつけ本番でも積み重ねた「思考」を駆使して、90分間プレーし、完封勝利に貢献する事ができた。

「2点目のシーンは自分の中のフィーリングを大事にしてプレー選択ができた。間違いなくベンチ入りした時よりも思考レベルが高まりましたし、自分の自信となってまた一歩踏み出す大きな力になったと思う。これから先、もっと大きな一歩を踏み出せると思うし、それにつれて思考もさらに高まると思う。もっともっとこういう経験をピッチの中でしたいという欲がより強く生まれてきたので、自分がこれからどうなっていくのか、物凄く楽しみです」

 およそ3年半ぶりの公式戦出場。これは決して早川史哉にとってのゴールではない。まだプロサッカー選手としての復活のスタートラインに立ったに過ぎない。

 実力と現状の力を認められなければ、ピッチに立つことが許されないプロフェッショナルな世界。パフォーマンスが落ちれば、すぐに他の誰かに取って代わられてしまうからこそ、この復帰戦で出た課題をしっかりと見つめ直し、これからの日々に生かしていく。この試合は彼の中で思考するための具体的な材料がより増えた最高のきっかけであった。

笑顔の裏にある強さ。

 このコラムを通じて、彼の笑顔について触れてきたが、最後にもう1つ伝えておきたいことがある。

 悲しいこと、つらい事を経験してきたからこそ、緊迫した場面でも笑顔を出せる。何度も窮地に追い込まれ、受け入れがたい現実に直面しても、決して下を向かずに前を向いて突き進んできた。自分で痛みや弱さを知ることで、周りへの感謝の心を持つことができるのだ。

 早川史哉は強い。

 彼の笑顔は、何度も襲いかかる過酷な現実を受け入れ続けてきたからこそ滲み出る「強さ」なのだ。

 経験を思考に変えていく。

 重ねてきた過去は間違いなく今の早川史哉を支えている。それはこれからも変わらない。

(「“ユース教授”のサッカージャーナル」安藤隆人 = 文)