日本プロ野球で前人未踏の通算400勝をマークした金田正一さんが6日に86歳の生涯を閉じた。

 各新聞やネットに現役時代の数々の記録や、ロッテ監督時代の武勇伝などが数多く掲載されている。その中で野球殿堂入りが1988年と、現役引退から19年経ってからだった事に改めて気づいた。

 現在の野球殿堂入りのプレーヤー部門の資格は2008年の発表分から選手引退後5年と改正された。ところが、金田さんらが対象だったそれ以前は、現役引退5年以内は同じだったものの、その間に監督コーチでユニホームを着ると、5年間のカウントがリセットされてしまうため、ロッテの監督を1973年から78年まで務めた金田さんが資格を得たのは、1984年だった。

 当時はまた、野球殿堂に関して年功序列の感があった上に、現役時代の功績よりも、野球評論家でもありながらタレント活動も行っていたことや、まだ若くしてユニホームを着る可能性がある(実際1990、91年にロッテで2度目の監督)などの理由で、金田さんへの投票を敬遠。当選ライン(164票)に大きく及ばない82票だった。

 金田さんは当時「ワシに人気がない、人間的魅力がない、ということ。それにしても82票は少ないな」とため息をついていた。

 同年は他の関係者も選ばれなかったが、翌年は通算215勝の杉下茂、1651試合出場の白石勝巳、173勝の荒巻淳が殿堂入りしたのに、過半数に満たない80票、3年目は123票、4年目も134票と当選ラインを越えなかった。

 金田さんだけでなく、1986年から資格を得たミスタープロ野球の長嶋茂雄もあおりを受け、2年連続殿堂入り0という由々しき事態に陥っていた。そのため、殿堂表彰委員会は88年から、それまでの5人の記入枠を10人に増やした結果、長嶋茂雄(3年目)が201票、初代パ・リーグMVPの別当薫(4年目)が200票、パ・リーグで7度リーグ優勝した西本幸雄194票(2年目)に次ぐ188票で5年目にしてやっと殿堂入り。長嶋とともに昭和生まれ初の殿堂入りとなった金田さんは「選考に関しては色々言いたいこともあるが、野球を志した者にとっては夢だから」と皮肉も込めて話していた。

 資格初年度の野球殿堂入りは1960年、初の300勝投手スタルヒン、その後間を開けて1994年王貞治、そして2008年の大幅改正によって、2014年野茂英雄、16年工藤公康、18年松井秀喜、金本知憲と増えてきた。当時は私も投票権を持っていなかった。それだけに、改めて金田さんを初年度に殿堂入りさせられなかった事が残念でならない。(敬称略)

蛭間 豊章(スポーツ報知、ベースボールアナリスト)