厳しい暑さが残る9月初旬――。

 安英学は、東京の駒沢オリンピック公園内にある競技場にいた。在日朝鮮人3世で、北朝鮮代表として2010年南アフリカ・ワールドカップにも出場している元Jリーガーである。

「こうして後輩たちが一生懸命にサッカーする姿を見るのは自分にとって何よりの楽しみですよ」

 グラウンドの看板には「在日朝鮮学生中央体育大会」のハングルの文字。そして旗を掲げるポールには北朝鮮の国旗がなびく。そこは年に一度、各地にある朝鮮学校サッカー部(中学生)の頂点を決める全国大会だった。1996年以降、朝鮮学校は中体連、高体連の主催する全国大会を目指せるようになったが、現在まで続く同大会は全国の在日サッカー少年・少女たちにとっては一大イベントである。

 そんな小さな大会に安英学は毎年、駆けつけている。

「あ! ヨンハ選手だ!」

 試合を終えてスタジアムを出ると、どこからともなく「あ! ヨンハ(英学)ソンス(選手)だ!」と聞こえてきた。20人くらいのサッカー少年たちがそう声を張り上げ、安英学の下に駆け寄っていく。

 2002年にJリーグのアルビレックス新潟でプロデビューを果たした安英学は、その後、名古屋グランパス、大宮アルディージャ、柏レイソル、横浜FCでプレー。当時現役の北朝鮮代表ながらも、Kリーグの釜山アイパーク、水原三星ブルーウィングスにも在籍。そしてW杯出場という夢もかなえた彼に、子どもたちはヒーローを見るかのようなキラキラした目を向けていた。

「もうほとんどの子どもたちのことを知っているんですよ。全国の朝鮮学校に講演にいったり、一緒にサッカーしたりしていますから」

 2017年に現役引退。現在は「育成の現場」でいくつもの顔を持っているという安英学は今、どこに向かおうとしているのか――。

サッカースクールの運営。

「今はジュニア(小学生)の子どもたちを対象にした『ジュニスターサッカースクール』を2つ運営しています。場所は東京朝鮮第三初級学校と横浜朝鮮初級学校のグラウンドを借りて行っています。2013年、無所属で欧州クラブのトライアウトを受けていた時、日本でトレーニングを続けながらサッカースクールを立ち上げました。元々、子どもが好きなので何か自分が貢献できることがないかと考えていた時にサッカースクールがいいと思いました」

 安英学は同スクールの“代表”になるわけだが、指導をコーチだけに任せることはなく、実際に自分が子どもたちとボールを蹴ることを信条としている。スクールの全国展開もまったく考えていない。

「自分が見るとなると、2つくらいがちょうどいいと思っています。目が行き届かなくなってしまうので」

 子どもたちのサッカーの話になると表情が生き生きする。コミュニケーションを取ることを大切にする“彼らしさ”が言葉からにじみ出ていた。

朝鮮学校の部活環境を改善。

 さらに、安英学の活動はそれだけに留まらない。昨年から横浜の朝鮮学校で指導も始めた。肩書きは“スーパーバイザー”。同じ敷地内にある初級部、中級部、高級部のサッカー部が本気でサッカーに取り組むためのプロジェクトを立ち上げて、強化サポートに携わっている。

「まず、大きな夢を掲げました。1つは全国高校サッカー選手権大会出場を目指すこと。もう1つは、神奈川朝鮮学校卒業生の中でプロになった選手がいないので、その第1号を輩出すること。夢に向かってみんなで心を1つにするという意味で、初・中・高と同じデザインのユニフォームを新調し、左胸には新たに作成したエンブレムを入れました」

 朝鮮学校が選手権出場やプロを輩出するという目標を実現するのは決して簡単なことではない。現に高級部サッカー部員は12人しかおらず、そのうちGKが2人。ケガ人が出れば、少ない人数での戦いを強いられる。

 だが、プロで様々なことを見て経験してきた安英学には、幸いにもサッカー関係者との太い人脈と知識があった。ツテを辿り、声を掛けると、周囲の人々は「ヨンハさんのためなら」と協力を惜しまなかった。

 まず2人のフィジカルコーチに協力をお願いした。1人は同じ朝鮮学校の卒業生の元Kリーガー。もう1人は中島翔哉(ポルト)を指導した経験もある人物だ。

「僕の後輩にあたるコーチにはサッカーに必要な筋力トレーニングの指導をお願いしました。月に1度来てもらい、指導を受けたメニューを週に1度しっかり行っています。もう1人のコーチからは体の使い方や正しい姿勢の指導を受けています。朝鮮学校の子どもたちは、勢いがあってパワフルなところもあるのですが、細かい動作では雑な部分があるので、ダッシュやジャンプ、ターンなどを画像でチェックして改善していくことを定期的に行っています」

 そして以前からGKのレベル向上の必要性を感じていた安英学は、湘南ベルマーレなどでプレーしたGK金永基(キム・ヨンギ、現在は引退)に声をかけた。今年4月には新たにキーパーコーチのライセンスを持つ韓国人を招聘している。

管理栄養士による食育セミナー。

 名門校さながらの環境が徐々に整いつつあるが、さらに驚いたのは、その強化は食の大切さを伝えるまでに至っていることだ。

 横浜FC時代、スポンサーのフードサービス企業「LEOC」の管理栄養士から食の大切さについて学んだ。その経験をもとに年4回、管理栄養士による食育セミナーを選手とその保護者に向けて開いている。

「食に関しての勉強。たとえば練習が終わってすぐに補食をとることや普段の食事や水分補給の重要性などを学んでいます。それがなぜ必要で、どのように行うのかと具体的に知識をつけています。育成年代はそこで差がつく。Jリーグのアカデミーではそういうのをしっかりやっている。自分もできる限りのことはやってあげたいと思っています」

「環境」を言い訳にしない。

 プロを目指す上では決して恵まれた環境ではない朝鮮学校だが、安英学は「環境」を言い訳にしてはならないと語る。

「僕も高校時代はまったく無名で、1年浪人して立正大学サッカー部に入り、そこからJリーグでプロになったんです。そして朝鮮代表としてW杯にも出られた。ほとんどゼロに近いその確率と比べたら、成し遂げられない夢ではないと思うんです」

 環境が変わると選手たちの目の色も変わり始めた。

「今までは高校の試合で負けても本気で悔しがっているのは1人か2人。それが今ではみんなが悔しがる。全力でやらない選手のほうが浮く状況になりましたね」

 ただ、こうしたことを形にしていくだけでも、骨の折れる作業だ。気になったのはそこにかかる費用。決して安くはない。

「自分は学校からは1円も、もらっていません。朝鮮学校は自治体から補助金がカットされ、無償化の対象外の学校です。運営は大変で、保護者たちが負担する学費もかなりかかっています。費用に関しては、僕のサッカースクールをスポンサードしてくれる人たちがいるので、そこからコーチ代やその他、付随する金額を捻出しているんです」

 そう考えるとほぼ、ボランティアに近い。だが、彼にも家庭がある。自分の生活も大事だろう。

今の仕事は僕にしかできない。

 実際、過去に“安定”を得るチャンスはいくらでもあった。

「引退後に柏レイソルの強化担当の方から連絡が来たんです。アルビレックス新潟からも連絡を頂きました。思い入れのあるクラブからのオファーだったので、すごくうれしかったですし、恩返しをしたい気持ちもありました。でも、お断りしました。サッカー以外の活動も含めて、今、僕がやっていることは僕しかできない。それに今、一番やるべきことでもありますから」

 Jリーグの指導者になることも想像はできた、と正直に吐露する。しかし、自分がすべきこと、やりたいことはブレなかった。

「監督に向いてなさそうですし、自分ができることをただ全力でやるだけです」

母校・立正大学への恩返し。

 さらに安英学には、母校の立正大学サッカー部にも顔がある。

 立正大学といえば、昨季関東大学サッカーリーグで1部昇格を果たし、さらには今季の総理大臣杯でベスト8入りを果たすなど、躍進を続ける注目校だ。

「去年発足したOB会の初代会長、サッカー部アドバイザー、後援会理事を務めさせていただいています」

 OB会で遠征費などを募るサポートのほか、月に1度は練習に参加し、一緒にプレーしながら自らの経験を伝えている。「当時に比べると、選手の質はすごく上がっているし、みんな素直なんです。ものすごく雰囲気がいい」とうれしそうに話した。

「1人の学生から何でプロになれたのか、聞かれたことがあって。僕は『プロになりたいから立正大学の4年間、努力した。同胞たちや後輩たちのためにという思いでやっていたんだよ』と言いました。そしたら『僕はヨンハさんのために頑張ります!』って。かわいい後輩です(笑)。当時メンバーにも入れなかったその学生は、少しずつ試合に絡みだしてきました。後輩たちが成長する姿を見ると本当にうれしいですよ。立正大がサッカー名門校として周知され、より輝けるように応援したいです」

 ルーツだけでなく、育ててくれた立正大学にも恩返しができればと強く願っている。

貸してもらったものを返していく。

 安英学にはその過程で得た真理のようなものがある。おもむろにこんなことを語りだした。

「僕がサッカー選手として成功できたのは多くの応援があったからです。これからは僕がお返しする番。とくに朝鮮学校の子どもたちは僕にとって本当に大切な存在。彼らはみんな僕の弟妹みたいなものですし、我が子のようなもの。僕も在日同胞の方々から愛情を注がれて育ってきました。一言で言えば家族のような存在です」

 マイノリティーの在日コリアンには、時に風当たりが強いことも安英学は知っている。だから守ってやらなければならない。

 その逆もしかりで、Jリーグでは多くの日本人サポーターに支えられ、愛されてきたこともまた事実である。

 彼が日本のサポーターからどれだけ愛されていたのかが知れる象徴的な出来事がある。2017年4月30日、アルビレックス新潟のホーム、ビッグスワンで試合前に行われた引退セレモニー。相手は柏レイソル。「思い入れがある」と語る両チームのサポーターの前でスパイクを脱ぐ報告をしたのだ。

涙が止まらなかったセレモニー。

 在籍期間は新潟が3年、柏が2年とそう長くはない。それゆえ「大事なリーグ戦の前に時間を取ってもらうのが申し訳ない」と一度はセレモニーの打診を断った。ただ、一方で「プロデビューした新潟で引退したい」という気持ちは強く、新潟からの熱烈なオファーを受け取った。

 背番号「17」の新潟のユニフォームを着て場内を歩いた。スタンドに埋まった新潟サポーターから「イギョラ(頑張れ)、アン・ヨンハ!」のチャントがこだました。柏のサポーターからも、当時のチャントがスタジアムに響き渡った。そしてサポーターの前でそれぞれのユニホームに着替える粋な計らい。自分のためにこれだけの日本人が声援を送ってくれる。感動的な光景に歩みを進める安英学の目からは涙が止まらなかった。

 安英学は自分のこれまでの人生を振り返る時、「多くの日本の方々に支えられてきました」と必ず口にする。だからこそ、日本のサッカー発展のため、かつて所属したJクラブにいつか恩返ししたいという思いは今もなお持ち続けている。

 ただ、それでも彼に与えられた“使命”があるとすれば、それは同じルーツを持つ在日サッカー少年・少女たちに夢を与えること、そして自分を支え続けてくれた母校への還元が第一なのだろう。

自分がサポーターになる番。

 5年、10年後のビジョンについて聞くと、「正直、なりたいものっていうのがないんですよ」と笑う。

「自分のことを一言で表すなら、“サポーター”です。朝鮮学校の子どもたち、そしてお世話になった立正大学サッカー部の学生たちの夢を信じて、支えてあげるサポーターになりたい」

 同胞も日本人も分け隔てなく、自分を育ててくれ、支えてくれた人たちのために尽力することが生きがい――。安英学らしい言葉だと思う。

「それでも1つ具体的にあげるなら……」と、言葉をつなげた。

「在日の後輩たちの中からプロサッカー選手になり、代表選手になってW杯のピッチに立つ姿を見たいです。僕はベンチかスタンドにいて。その時はもしかしたら統一コリア代表チームになっているかもしれない。子どもたちの中には『自分もW杯に出たい』という子は多い。その光景を見られる日が来るのを夢見ています」

 かつて自分が歩んだ狭き道をより広くし、明確な道しるべを示すことで、夢を現実に変えようとしている。安英学の情熱は、多くの後輩たちに受け継がれていくに違いない。

(「JリーグPRESS」キム・ミョンウ = 文)