<ドラフト回顧録1>

17日に運命のドラフト会議が行われる。悲喜こもごも…数々のドラマを生んできた同会議だが、過去の名場面を「ドラフト回顧録」と題し、当時のドラフト翌日付の紙面から振り返る。

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<94年11月19日付、日刊スポーツ紙面掲載>

王ダイエーが駒大に合格している別府大付の城島(じょうじま)健司捕手(18=182センチ、83キロ、右投げ右打ち)をドラフト1位で強行指名した。’94ドラフト会議は18日、東京都内のホテルで開かれ、63選手の交渉権が確定した。前日(17日)の12球団スカウト会議で、他球団の猛反発を受けながら城島の指名を示唆したダイエーは、予定通り1位で単独指名、交渉権を獲得した。石毛、工藤どりを狙うFA戦略に続く豪快補強作戦。この日、軟化発言の飛び出した城島攻略へ、22日には王監督が出馬してアタックをかける。

城島の単独指名、交渉権確定と周囲を驚かせる動きにもダイエー根本専務は表情一つ変えない。別室に用意された会見場に移るや、テレビカメラを通して城島に熱いメッセージを送った。「球団のいろんな角度から考え、指名させてもらいました。じっくり将来を見据え決断してほしい」。

駒大に合格、退部届を出さず、プロ側の接触を避けて拒否を打ち出している城島の攻略は難しいと他球団は指名を早々とあきらめた。が、ダイエー側の判断は違った。前日(17日)の12球団スカウト会議では、もし城島指名の場合、コミッショナーの判断にゆだねる事態にもなったが、気後れすることなくダイエーは名乗りを上げた。「プロか大学かの選択は本人が持っている。(1位指名したことで)五分五分になったんじゃないかな」。進学表明、そして前日の会議での紛糾。騒ぎ立てる周囲の雑音をよそに根本専務は淡々と城島への思いを口にした。「チームがこれから段階を上げて行く上で必要な選手。リスクはあると思うが思い切って指名した。可能性がある限りいく(指名する)のは当然。それだけの資質を持った選手ですから」と指名した経緯を説明した。西武の管理部長時代から秋山、伊東をはじめ球界をアッと驚かせるドラフト戦略を繰り広げてきた「剛腕」は、チームが移っても変わることなく発揮された。

地元九州の逸材。ましてや王新政権が誕生して初ドラフトだけに、補強へ向け真っ向攻撃を仕掛けていく。入団へ向け厳しい説得の日々が続くことも予想されるが、チラリ自信ものぞかせた。「こちらの調査ではもともとが99%、プロ志望だったわけだし」。根本戦略に勝算なき戦はない。プロ入りへ、切り札も用意している。根本専務に続いてインタビューを受けた王監督は自ら「直接出馬」の意向を明らかにした。「22日くらいに学校に行って素直な気持ちを伝えたい」。23日に大分でちょうど広島とのオープン戦が行われる。その機会を利用して王監督が別府大付へ足を運ぶことになる。アーチストを目指す城島にとって世界のビッグ「1」はあこがれの人。ましてや中学時代には、王監督から直接指導を受けたこともある。王監督のメッセージも強烈だ。「今は和製大砲を望んでいる時代。日本の野球界を代表する選手になってもらいたい。(プロで)ホームランの快感を味わえるように力を合わせて頑張ろう」と入団をアピールしてみせた。

石毛、工藤のFA(フリーエージェント)補強に続いて高校通算70本塁打の「怪物」城島を堂々の1位指名。王政権誕生で、ダイエー王国づくりを目指す中、根本補強戦略が速度を増した。

★警告発したが

吉国一郎コミッショナーはダイエーの城島指名について「調査するのは事態の進展を見てからになるでしょう」と、しばらく静観する意向を明らかにした。

コミッショナー事務局では前夜(17日)駒大の太田監督と連絡を取り、城島捕手が推薦入学試験に合格し特待生として奨学金が出ることについて誓約書を書いたことを確認。吉国コミッショナーが、この日ドラフト会議前にダイエー瀬戸山球団代表を呼び調査状況を報告した上で「入団を見合わせてもらうこともある」と警告を発した。

しかし、結局ダイエーは強行指名。吉国コミッショナーは「大学当局を詳しく調査しなければならないが、大学側から何らかのリアクションがないと。調査は事態の進展を見てから」と静観することになった。ただ、本人が強くダイエー入団を希望した場合は「(誓約書などを)破棄できればいいんじゃないか」とも話した。

プロ側としては金の卵といえる逸材だけに入団を認めたいのも本音。11球団の反発を抑えるためにやむなくコミッショナー裁定を持ち出した背景もあり、事態の沈静化を待つことになった。

<西武時代の根本マジック>

◆1978年(昭53) 松沼博久投手(42=ロッテ投手コーチ)雅之投手(38=評論家) 東京ガスの松沼博久、弟で同社への入社が決定的だった東洋大・松沼雅之をともにドラフト外で獲得。巨人と最後まで争ったが、二人合わせて1億円を超える破格条件で勝利した。

◆80年 秋山幸二外野手(32=ダイエー) 九産大進学が濃厚だった当時投手の秋山を巨人、広島、阪急(現オリックス)などとの争奪戦の末、ドラフト外で獲得。

◆81年 工藤公康投手(31) 名古屋電気高(現愛工大名電)から、熊谷組への入社が内定、プロ拒否を表明していた工藤を、ドラフト6位で指名、獲得した。

◆81年 伊東勤捕手(32=西武) 前年の80年、熊本工定時制3年の伊東を練習生(球団職員)として採用。チームに囲いながら所沢高に通わせ、81年ドラフト1位で指名した。

◆85年 清原和博内野手(27=西武) 巨人逆指名会見まで開いたPL学園・清原を1位指名。清原は涙を見せたが、結局入団した。

◆87年 鈴木健内野手(24=西武) 早大進学を公言、プロ拒否を表明していた浦和学院・鈴木を1位指名。結局、同選手は早大への願書を出さず、西武に入団した。

◆88年 渡辺智男投手(27=ダイエー) ドラフト1カ月前に右ヒジ軟骨除去手術を受けたのが発覚、他球団が回避した中で1位指名。手術を受けた病院が西武とかかわりが深いことから密約説も流れた。

高等学校野球選手及び部員のプロ入団その他についての規定

第三条 選手、部員は、野球部に籍のあるうちは、一切プロ野球団と入団についての交渉を持ってはならない。もし交渉を持つ場合は、その以前に退部し、当該都道府県高等学校野球連盟の部員登録を抹消されていなければならない。

当該連盟は、登録を抹消した時は抹消の理由並びにその月日を直ちに日本高等学校野球連盟へ報告しなければならない。

※記録と表記などは当時のもの