羽生結弦が氷上に姿を現すと、会場内は悲鳴に近い歓声に包まれた。

 9月12日からトロント郊外のオークビルで開催されたオータムクラシックで、羽生の新しいシーズンが開始。半年ぶりの試合とあって、観客も報道陣も、公式練習から彼のジャンプのひとつひとつ、細かい動作まで何ひとつ見逃すまいと目で追っている。

 プログラムは、SP「秋によせて」、フリー「オリジン」とも昨シーズンのものをキープすることを、前日の囲み取材で告白していた。

 怪我で中断された昨シーズン、羽生はこのプログラムを4試合でしか滑っていない。それで終わらせてしまうには、確かにあまりにも勿体無い作品だった。

「このプログラム自体を負けたままで終わらせられないなという気持ちがすごくあった。プルシェンコさんへのリスペクトの気持ちがすごくありますし。完成形として完成させた上で、本当に悔いなくこのプログラムを終えたい気持ちが一番強かったです」

「負けは死も同然」

「負けたままで」と本人が言ったのは、埼玉世界選手権で2位に終わったことだ。「負けは死も同然」とまで口にしたほど、羽生にとって悔しい結果だった。

 試合に出るからにはあくまで勝利にこだわる羽生だが、順位だけが大事なのではない。

「せっかく気持ちが入ったプログラムなので、完成させておふたりに良いものを見せてあげたいという気持ちもあります」

 おふたりとは、もちろん羽生が子供の頃から尊敬していたジョニー・ウィアーとエフゲニー・プルシェンコのことだ。

 SPはウィアー、フリーはプルシェンコに対するオマージュとして作ったプログラムであることは、昨シーズン本人が何度も語っていた。

羽生の求める「完成形」とは?

 だが羽生にとって、「完成形」というものは容易く手には入るものではないようだ。

「自分の中で『オリジン』と『オトナル(秋によせて)』は、自分が入れたいジャンプの構成、今の構成とその完成形で目指しているジャンプ構成とではやっぱり違うんです」

 そう告白した羽生。オータムクラシックではSPでは4サルコウと4トウループ、フリーでは4ループ、4サルコウ、そして2度の4トウループの4回転ジャンプをプログラムに組み込んだ。

「(目指すジャンプ構成とは)具体的にまだ言わないけど。だからこそ、いろんなジャンプの練習はしないといけないと思いますし、最終的に『オリジン』と『オトナル』の完成形のためにも、難しいジャンプをやっていかなきゃと思っています」

 この大会では入れなかった4ルッツ、そして苦手意識のあるフリップも4回転を練習では成功させたという。

「(フリーは)4回転5本でいけるようにしたい。それのトレーニングも積んでいます」

4アクセルと5回転トウループ

 もちろん、かねてから跳びたいと宣言している4アクセルの練習も、大会調整に入る3週間前まで行っていたという。

「とりあえず回ってこけてます。あとは降りるだけかなとは思っているんですけど。まぁ、回るだけでいっぱいいっぱいの所はちょっとあります」

 本人はそう語ったが、クリケットクラブのジャンプコーチ、ジスラン・ブリアンは、こう力説した。

「4アクセルは成功まであと一歩の段階まで来ている。回転はできているので、あとは降りるだけ。ただ4アクセルというのは、転べばスクールバスに衝突したくらいの衝撃があるジャンプ。多くのものが要求される、最高に難しいジャンプなことは間違いない」

ハーネスで降りた5回転トウループ。

 さらに羽生はその回転を強化するため、5回転トウループを練習していたことも告白。ブリアンコーチは、こう証言した。

「(ワイアーで吊った)ハーネスで5トウループを試してみて、彼は2度目の試みで成功させたんですよ。ハーネスを支えていたコーチは、自分は何も助けなかった、と言ってました」

 もっとも現時点でISUが設定している最高難易度のジャンプは4アクセルまで。たとえ試合で5回転ジャンプを成功しても、ポイントが設定されていないため無得点になる。次のISU総会は2020年6月にタイのプーケットで行われるが、おそらくそこで議題の1つに上げられるだろう。

GP前に見つけた課題。

 オータムクラシックで羽生は予想通り余裕で優勝したものの、その内容は本人の満足がいくものではなかった。

 SPでは4サルコウで珍しい転倒があり、フリーでは冒頭の4ループと4サルコウでステップアウト。また中盤で跳んだ4トウループが、2つとも回転不足の判定になったことはこれまでなかったことで、本人も驚きを隠せなかった。

 新しいジャンプの練習をはじめたことで、感覚が違ってきたということはあるのか、と聞かれると、羽生は「それはないと思っています」と即座に否定した。

「試合に向けての段階が良かったとしても、試合の準備だとかがうまくいかなかった試合だと思っている。せっかくグランプリの前に(課題を)見つけられているからこそ、いろいろ修正していきたいなと思っています」

 次の試合は、いよいよグランプリシリーズ。10月後半のスケートカナダになる。

「自分にとっては、ノーミス以外は敗北みたいな感覚が常につきまとった状態で試合をやっている。そういう意味ではまた、新たなプレッシャーと戦いながら試合できたらと思っています」

北京オリンピックも視野にと告白。

 2022年北京オリンピック出場への可能性を聞かれると、あっさりと「そのままやってたら出ます」と答え、こう続けた。

「負けるぐらいだったら辞めろっ、て思ってるんで自分は。本当にはっきり言って、ぶざまな姿は絶対見せたくない。それまでやってるんだったら、多分4アクセルを目指しながら、全種クワッドを目指しながらやっていると思います。今もその気持ちで練習はしていますし」

 今シーズンでシニア10年目になる、羽生結弦の新しい挑戦がまた始まった。

(「フィギュアスケート、氷上の華」田村明子 = 文)